last up date 2002.08.11
「許されないぞ」(ゆるされないぞ)
こうした表現のセリフは日常しばしば聞かれるが、意味不明である。何か一定の目的を持ち、その目的達成を阻害する者に対してパニッシュメントを下すことも辞さない強固な組織の内部に於いてならば、こうしたセリフも意味を持つ。すなわち軍隊や企業などの組織の規範に反する行動をとる者に対し「許されないぞ」と言えば、組織はその行動を許さず制裁を喰らわせるぞという警告になる。
だがこうしたセリフが、強固な内部価値を持つ集団以外の場所でも聞かれるから不思議である。特に共通する規範も規律もない場所で「許されると思っているのか」などと口にする人間は、どうした意図を持っているのか。誰が何故その行為や言動を許さないのかは、まったくもって意味不明である。はたして主語は何なのか。社会の倫理か。世間の感情か。自分を含めた局地的な人間集団か。はたまた神の意志か。
結局のところ、このセリフを口にしている本人が「お前の言動が不快だ」「お前の行動は間違っている」と言っているだけなので、発言者が「許さない」主体者であるのには間違いない。ただ問題なのは、「オレはお前の言動を許さない」と素直に言うのではなく、漠然としたよくわからない巨大なものの影をちらつかせている点にある。つまり、相手の言動行動を「許さない」のは自分の意志を超越した存在であり、相手の言動は否定(批判ではない)されて当然のものだと言っていることになる。
あたかも当然の前提として唯一絶対の規範があり、それを逸脱した者は多数者や有力者の意志によって完全否定される、とでも言いたげな態度ではないか。相手との正面決戦を避けつつも、相手が絶対的に誤っているという判定を告げるだけのこの二重の姿勢は、融和や論争の余地がなく、行動を改める最後通告をしているに等しい。こうした言い回しを好む者は、こうしたセリフの危険性を認識した上で使ってもらいたいものである。