last up date 2002.12.02


Баба Яга(固有名詞・バーバ ヤガー)
 ロシアの民話にしばしば登場する老婆。「ヤガーばあさん」などと訳される。Бабушка Ягаと書かれることもあるが、Баба Ягаの方がなじみが深い。彼女は森の奥や峻険な山、地下の国など、日常の生活圏を大きく離れた神秘の領域に住み、人間を焼いて食べる「鬼ババア」「ヤマンバ」の類として描かれることが多い。
 もっとも典型的なパターンは、物語の主人公が森の奥深くに足を踏み入れるとヤガーばあさんの住む「鶏の足の上に建つ小屋」があり、主人公は食べられそうになるが命からがら逃げ出す、というもの。「鶏の足の上」に小屋が建っているというのは、根を複雑に下ろした大木の上に小屋が乗っている様を連想させるが、どういうものなのかはわからない。「鶏の足の上」で小屋が回転している場合もある。いずれにせよ森の奥深くに潜む怪女は、平原と森の民族・ロシア人の、森への畏怖の表れなのかもしれない。
 また、ヤガーばあさんは、小屋に迷い込んできたのが継母に迫害されている小娘であろうと、剛力無双の勇士であろうと、訪問者によって成敗されることはほとんどない。自分を陥れた兄を殺して報復する話、頭がいくつもあるような蛇を討伐する話など、討伐譚・報復譚が多いロシア民話に於いてヤガーばあさんは、人肉を食らい、人骨を家に並べるような怪物として描かれているにも関わらず成敗されることの少ない稀有な存在と言える。それどころか主人公に力や助言を与えて、幸福な結末に導くことさえもある。
 ヤガーばあさんは、必ずしも人間を殺して食らう怪物としてではなく、主人公に助言を与える善良で知恵のある存在として描かれることもあるのだ。悪を為してもなかなか殺されないヤガーばあさん。悪を為しても主人公を助ける導くヤガーばあさん。冒険や難問に立ち向かう主人公への協力者として登場するヤガーばあさん。これらのヤガーばあさんに共通していることは、ヤガーばあさんへの敬意ではなかろうか。もともとヤガーばあさんとは、平地に暮らすロシア人が抱く、森の神秘の象徴に過ぎなかったのかもしれない。物語としては人間を食らう脅威が迫る方が面白いので、森の深遠へとやってきた人間を襲う役割はヤガーばあさんが担っている。そうした話が好んで語られているうちに、ヤガーばあさんは邪悪の象徴としての側面を色濃く持つようになったとも考えられる。そう考えれば、勇士の剣によってヤガーばあさんが成敗される話も存在するが、そうした話は時代的に後に作られたと見ることができる。
 いずれにせよ、ロシア民話に於けるヤガーばあさんの多様な役割は、非常に重層的で興味深いものである。 


参考文献
中村喜和編訳 「アファナーシエフ ロシア民話集」 岩波書店 1987年


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