last up date 2004.11.28
НКВД(固有名詞・エヌケーヴェーデー)
ソ連の内務機関。МВД(MVD/内務省)の前身。 内務人民委員部(Народный комиссариат внутренних дел,Наркомвнудел)の略称。ラテン文字表記すると、NKVD。
内務機関として1917年に誕生して1930年に改組されてその名称が消えたが、1934年に警察機構の中央集権化を図るために、ОГПУ(OGPU/合同国家政治保安部)を吸収して再び設置された。スターリン憲法として知られる36年憲法では、憲法の規定する裁判所のみが裁判を行えると規定されていたが、実際にはНКВД(NKVD/内務人民委員部)と後のМВДは、スターリンが死去する1953年まで刑罰適用権を持つ特別会議を開いていた。また、第二次大戦初期にソ連軍の捕虜となったポーランド人将校が、カティン(Катынь/Katyn)の森で大量虐殺された事件に関与していたと、1990年4月にソ連側が公式に認めている。
НКВДは秘密警察機構を吸収したが、1941年にはНКГБ(NKGB/国家保安人民委員部)が独立。これは1941年内に再統合されるが1943年に再び独立。分離したНКГБは1946年にМГБ(MGB/国家保安省)と省へ改称された。同時にНКВДもМВДとして省に改称されている。
参考文献
「新版 ロシアを知る事典」 平凡社 2004年