last up date 2004.01.29


Новая Земля(固有名詞・ノーヴァヤ ゼムリャ)
 北極圏にあるロシア北方の島郡。バレンツ海とカラ海を分かつ。英語表記では「Novaya Zemlya」。1553年にイングランドから出発した、ウィロビー(Willoughby)卿が指揮する冒険船団が「発見」したとされる。が、11〜12世紀にはロシア人および北方少数民族にその存在が認知されていたと見られる。1870年代から、ホッキョクギツネ、アザラシ、セイウチを狩る狩猟民が移住をしていたが、下に述べる核実験のため1957年に大陸側へ強制移住させられている。
 現在に於いて、この島郡は核実験と放射性廃棄物の投棄でその名を知らしめている。ソ連が行った核実験の総メガトン数に対する94%がここで行われ、1963年以降は地下核実験に切り替えて行われた。ソ連崩壊後はカザフスタン領となったセミパラチンスク(Семипалатинск/Semipalatinsk)実験場が使用できなくなったため、ロシアはここノーヴァヤ・ゼムリャを唯一の核実験場として拡充工事を行い、1998年には臨界前核実験が行われている。
 また、ソ連/ロシアでは放射性廃棄物の処理方法が発達せず、ほとんどが海中に投棄され、ここノーヴァヤ・ゼムリャのフィヨルドや近海には、相当数の原子炉や放射性物質が投棄されている。
 1966年にメルトダウン事故を起こした原子力砕氷船「レーニン」の3基の原子炉がここのフィヨルドに捨てられ、1968年に攻撃型原潜"アルファ級"用の液体金属冷却式原子炉のプロトタイプを搭載した「ノベンバー」級改装実験艦がメルトダウンを起した際も、艦ごとノーヴァヤ・ゼムリャ近海に水没させられた。その際、他の原子炉16〜18基も同時に投棄されている。また「アルファ」級一番艦も完成直前に事故を起し、核燃料が入ったまま機関部がノーヴァヤ・ゼムリャ沿岸に投棄されたと見られている。さらには1964〜1990年の間に、ノーヴァヤ・ゼムリャ近海にコンテナ11000〜17000個もの固形放射性廃棄物が投棄された。ソ連崩壊後、急激に退役した原子力潜水艦・原子力水上艦は100隻を超えるが、それらの機関部の適切な解体は経済的にも技術的にも困難であり、ノーヴァヤ・ゼムリャ近辺に原子炉、あるいは艦そのものが投棄された可能性は否定できない。


参考文献
・江畑謙介 「ロシア 迷走する技術帝国」 NTT出版 1995年
・「新版 ロシアを知る事典」 平凡社 2004年


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