研修所初の休日
2002年04月07日(日)

 


 入社式を終えた私は、早速東京の研修所へと移動し、そこで缶詰生活がはじまった。研修所に居る限り、食費・公共料金・雑費はほとんどかからず、入る給料はほとんどそのまま使える。また、研修所では、実際の仕事の前線に立つこともない。だから、私は研修所で長い研修を設定している企業を受けてきた。OJTと称して、右の左もわからぬうちから前線で働くことになる企業は避けたかった。現に私が入った会社も、来月半ばまでの長い研修期間を設けている。
 この研修所生活というのは、シャバから隔絶して、学生気分を叩き出しつつ、連帯意識・共同体意識を持たせようという性格を帯びている。研修所は東京の街中に建っていながらも、孤島も同然であり、中では「フルメタルジャケット」を彷彿させるような教練がはじまっていた。どうも私は、予備校の寮といい、大学のサークルといい、軽佻浮薄な世間に対して閉鎖的で、内部価値を追求するために苛烈な生活を送る集団に縁があるらしい。性に合っていると言えば、性に合っている。


 そうした研修所生活から、ようやくシャバへ出られる日がやってきた。それが日曜である。 
 あらかじめ大学時代の後輩、美津濃氏(仮名)とП氏(仮名)に連絡をとっておき、美津濃氏宅にお邪魔させて頂いた。パソコンでなじみのサイトに出入りし、美津濃氏が録画した「ぴたテン」「ちょびっツ」などを3人で鑑賞。わずか1週間ぶりとは言え、文明の恩恵を受け、創作物を享受できた。
 また、П氏の話もなかなか興味深かった。П氏は数人で、ある部会の部室で、床に赤い絨毯を敷き、ドンペリをグラスに注ぎ、「銀英伝」のビデオを流しながら「プロージット!」と乾杯。そしてドンペリを飲み干して、赤い絨毯にグラスを叩き付けたそうな。なかなか奇特な遊びをしておるものである。私が在学中には、トリューニヒトの演説を窓から流して、大衆の決起を促したとも聞く。相変わらずである。


 ちなみに、この日の昼食は、П氏がわざわざ作って持ってきてくれた。研修所のメシは、業者が食堂で作っているまっとうなものであり、不満はなかった。だが、後輩がわざわざ私のために作ってくれたようとは。思いがけず、嬉しかった。また、研修所では人数に対して洗濯機があまりに少ないため、私は洗濯物を溜めていた。それも美津濃氏宅で洗わせてもらった。洗濯機だけ貸してくれればそれでよかったのだが、ついでに風呂まで沸かしてくれるとは。世話になるのう。申し訳ないぐらいだが、後輩達の好意に甘えさせてもらうことにした。
 缶詰生活は大した苦にはならないが、やはり家はいい(私の家ではないが)。ちょっとくつろぎ、些細な娯楽を享受しただけなのだが、大分リフレッシュした気がした。


 門限があるため、行動はかなり制限された。秋葉原にでも行ってもよかったのだが、帰寮時間を考えると少々難しかった。そのため、3人で美津濃氏宅の近所を散歩することとした。美津濃氏宅は、大学時代の私のアパートに近く、私にとっても親しみ深い場所である。

 


 美津濃氏とたまに行った惣菜屋を探したのだが、その店はすでに暖簾を下ろしていた。
 単に休店しているだけでは、とも思ったが、ベンチはひっくり返して置かれているし、店内にも機材がない。美津濃氏が近隣住民に聞き込みをしたところ、今年に入ってすぐに店を閉じたとのこと。店主の老夫婦はけっこう高齢に思えた。利幅はほとんどなく、趣味でやっていた店なのだろうけど、そろそろ体力の限界だったか。良質の材料を使った惣菜が売られていたのだが、残念である。私が東京を離れてわずか数週間。久々に旧居近くを散歩しただけで、景色が変わっていようとは。私や美津濃氏から件の店のことを聞いていたП氏も、店が閉じられたことを残念がっていたものである。


 その後、美津濃氏宅の最寄り駅で夕食を取った。大した金額ではなかったが、私が美津濃氏とП氏の食事代を持った。こんなはした金で受けた恩を返せるとは思わないが、社会人らしいところの一つでも見せたかったのである。
 夕食後、時間にまだ余裕があったので、ゲーセンで学生時代にハマったゲームをしてみる。
 ガンシューティングの「警視庁24時・2」で、私は特殊部隊隊員を選んだ。MP5なのに弾薬が12発しか入らず、リロードは1発ずつマガジンに込めるという使いにくいキャラクターなのだが、12発も撃てれば十分。セミオートかショートバーストで外さなければよい。
 学生時代(と言っても、数週間前までの話だが)、美津濃氏やП氏などとこのゲームをやったときは、「警部補」止まりで、殉職・一般人誤射もしばしばあった。だが、今日の私は冴えていた。撃たれるよりも早く敵を撃ち、それでも飛んできた弾丸はすべてかわした。札幌、新宿、名古屋、福岡・・・次々と進むステージ。そして私の階級はついに「スーパー警視総監」に至った。ライフが100個増えるという、とんでもないボーナス付きだ。さすがにタイムアップでそれ以上先へは進めなかったが、数週間のブランクがあるのに異常な集中力を見せたものである。研修の成果か?
 さらに、運転ゲーム「スリルドライブ2」もプレイしたが、大事故・大惨事を起こし、億を越える賠償額を競い合うかのようなこのゲームで、私は一度も事故を起こさずにゴール寸前まで行ってしまった。ランクはA。いつもは「あなたはドライバー失格です」などと言われているのに、どういうことであろうか。


 そんなことをやっているうちに、時間が迫ってきた。
 駅で後輩二人と別れ、私は再び研修所へと戻った。
 持つべきものは、大学での友である。彼らには、今日も世話になった。大学時代も世話になりっぱなしであった。私が受けてきた有形無形の恩には、いつか必ず報いたいものである。


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