函館急襲
2002年07月19〜21日(金〜日)


 仕事を終えて、車で銭湯。会社帰りにたまたま目に入った銭湯。先日ものの試しに入ってみたら、これがすこぶるよい。仕事で長時間パソコンに向き合った疲れ、目や肩の疲れがほぐれる。手ぬぐいと小銭だけ持って車を走らせ銭湯など、我ながらオッサンになったものである。土日以外は車に乗ることもなく、土日も休日出勤が続いて、ラファーガに乗る機会はなかなかなかった。銭湯までのわずかな距離と言えども、車を走らせることも出来る。これは習慣になるかも。
 そして今日もまた、銭湯へ。ひとっ風呂浴びて、車に乗り込む。明日明後日は、今月入って初の暦通りの休日。このまま帰宅するのは芸がない。湯冷めしないように長袖のシャツを着込み、札幌の街を南下しはじめた。用意したのは、カメラと三脚程度。衣服は銭湯で着替える分しか用意しておらず、食物・飲料もない。非常に軽装備である。まあ、札幌の街やその近郊を流してドライブするだけならば別に問題ないが、実は私は、長距離ドライブに出かけようとしていたのである。


 一応サイフにはそこそこの現金が入っており、クレジットカードもある。ま、なんとでもなるであろう。しかし、ひとっ風呂あびてからどこぞへ繰り出すというのは、なかなか粋かも知れんのう。ただ、メガネが度の弱めのをかけているだけで、予備がないというのは少々不安ではあったが。
 札幌を抜けて北広島あたりまで南下。ここいらでガソリンを入れる。私のラファーガはすでに2台目の自家用車なのだが、自分の車に給油するのはこれがはじめてであった。自動車通勤禁止ということもあるが、日頃、どれだけ車を使っていないということか。1台目のラファーガなんぞ、1度も給油することなく失われてしまった。せっかく入手した自動車、もっと活用せねば買った意義がないというものである。


 北広島を抜けて、千歳に至る。土日を控えた金曜の夜に移動する人が多いためか、千歳空港への送迎車か、千歳近辺の国道は混み合っていた。まだまだ慣れぬ運転、テキトーに近郊を流して帰ってもよかったのだが、頭の片隅には実家のある釧路へ車で乗り付けようか、という企てもあった。実家へはGWに帰ったばかりだが、せっかく札幌に暮らすようになったのだ。東京時代のように、年に1回帰るか帰らないか、では親不孝というもの。また親戚に赤子が生まれたため、釧路には親類縁者がにわかに集まっていた。ここに車でいきなり現れてもよかった。
 だが、まだ一度も自ら運転して日勝峠を越えたことはない。夕張までは高速道路が開通していたが、そこから東へは未だに峻険な日勝峠を越えなければならなかった。ここは熟練ドライバーでも疲れるとして、自動車ではなかなか越えたがらず、特に日が暮れてからは忌避されがちな難所である。一方、慣れているトラック運転手や地元ドライバー、走り屋の類は、夜でもこの峠を飛ばして越える。私のようなペーパードライバー歴5年、車を買ってからも給油さえしていなかったような青二才の行くところではないと判断。今夜無事にここを越えて釧路に着いても、帰りは余計に疲れて月曜出社するハメになる。親も心配することであろう。


 日勝は、日が昇っている時刻に、日程的余裕がある休暇の際に越えることとしよう。
 そう考えつつも、私は千歳から高速のICに上っていた。目的地を急遽変更して、高校時代からの悪友・伊佐坂(仮名)の住む函館を訪ねることとしたのである。連絡も取っておらず、伊佐坂本人がいるのかいないのかもわからない。高速なので道に迷うことはないだろうけれども、どれだけ時間がかかるのかもわからない。長万部ICを降りてからの道のりも、どれだけあるかわからない。非常に不安要素の大きな選択。いつでも必要だと思ったら、テキトーなところまで行って戻るつもりのドライブであった。 

 どこかのPAで一枚。自販機一つないこのPAで小用を済ませる。ついでに目薬何ぞ差しておく。ちょっと前まで会社のパソコンで細かい入力をやっていたため、目には気遣う必要があった。
 それにしても、このPA。見事なまでに誰もいなかった。
 携帯で伊佐坂に連絡をとったのもこのあたりからだが、伊佐坂はまだ仕事から帰宅していないと見えて、連絡が取れなかった。それでも、このPAを後にして、道央道をさらに長万部方面へと走り出した。


 樽前SA。この時間、すでに店舗はやっておらず、夜間運転御用達の自販機で焼きおにぎりを買って喰らった。実はこれが夕食。銭湯で茶を一杯飲んで以来、実は何も口にしていなかった。さらに、生命線及び眠気防止用として、缶コーヒーとペットボトルの緑茶を数本買い込んでおく。
 それにしても、海岸線近くを走るこの路線。海霧が急にかかってきた。わずか数メートルでさえもこれである。走行中は、ヘッドライトとフォグランプを全開してもよく見えなかった。前の車のテールランプを頼りに飛ばしてきた。

 ちなみに伊佐坂とはこのあたりで連絡がとれた。
 「今から行ってもいいか?」という突然の電話に、奴はさぞかし驚いていたようであった。電話やメールでは頻繁に連絡を取っているが、奴と実際に合うのは何年ぶりになることであろうか。
 本当に行き着けるかどうかわからないし、途中で断念して帰るかも知れない。それに到着はいつになるかわからないので、0時ごろまた電話掛ける、と伝えて再び走り出した。 

 私のラファーガ。上の写真を拡大したものだが、わずか十数メートルの距離でここまで霞んで見える。
 これほどの海霧。事実上運転初心者の私が、疲労の残った仕事帰り(しかも今月は前半の土日すべてが休日出勤だった)に、見知らぬ道を走るのは無謀だったかもしれない。
 だから高速道路を選んだのだが、正直少し身震いしていた。



 見知らぬ道での運転は、慣れたドライバーの後ろを行くのがよい。濃い海霧の中、先の道がどうなっているかはテールランプが浮かんで見えると大分助かるし、多少飛ばしても大丈夫な区間、スピードを落とす区間もうかがい知ることも出来る。ついでに、スピード違反の摘発の際も、捕まるのは前の車だけの可能性が高い。それ以前に、慣れたドライバーならば、そうした取締の位置もだいたいはわかっていることであろう。
 ラファーガのG20Aエンジンは、レギュラーガソリン使用のSOHC、自然吸気ながら公称160馬力を発生させる。ホンダはこのエンジンの能力を最大限引き出すため、マフラーや補機など、エンジン以外の部分にも相当な時間と資金を投入して実験を繰り返したそうな。ノーマルそのままの私のラファーガも快適な吹き上がりを見せて、長万部までの道のりを走ってくれた。


 長万部ICを降りてすぐ。
 実は私、学生時代の旅行ではほとんどすべて高速を使っていた。そのため、高速には割と慣れている。高速を降りてからの道のりの方が、よほど脅威であった。どんな峻険な山々があるのか、ヘアピンカーブなんぞがないか、地元民はそこをいかようなスピードでかっ飛ばすか・・・。
 ちなみに、このあたりでちょうど夜の0時を回ったので、伊佐坂に電話を。長万部を出たと言うと、「ずいぶん早いな」とのことであった。

 国道脇の駐車場に車を止めて降りて電話をしたのだが、噴火湾の波が打ち寄せるすぐ側というのは、なかなかファンタスティックであった。視野の大部分を何も見えない漆黒が占めて、そこから波の音というのは脅威である。漁港の街の出身者だからこそ、海は怖い。
 小雨も降ってきたこともあり、とっとと出発。



 途中、道を間違えて30分近くムダにしたが、午前2時には伊佐坂邸にたどり着いた。
 伊佐坂は、高校時代からの最大の悪友の一人。我が母校・釧路湖陵高校は、高校1年が終わるとクラス替えをし、今度は高校2〜3年と卒業までクラス替えはない。伊佐坂とは高校2年から同じクラスとなった仲だ。高校2〜3年は、この伊佐坂を含めた数人の仲間でいつまアホをやっていた。それまで私は、まあ別に隠していたつもりもないが、あまり口にすることもなかった二次元的趣味も、伊佐坂らと知り合ってからは公然と口にするばかりか、競っていかれ番組を探して鑑賞し、堂々と討議したものであった。実はこのときのアホ連中と共に、一度だけ本を出したこともあったり。
 だが、別々の予備校へ行って、別々の大学へと入った私と伊佐坂とは、高校卒業以来、年に1度出くわせればいい方であった。そして今日、奴の巣へと足を踏み入れる。奴の住処に侵入したのは、1999年以来のこと。社会人としての住居に入るのは、当然はじめてである。


 

 警告!この画像リンク先(同じ画像の拡大版)は、160KBあります。
 二次元的趣味の持ち主としては、至極当然の本棚。もちろん蔵書のごく一部。ちなみに私の部屋には、ほとんどマンガはない。札幌への引っ越しの際に、ほとんど後輩にくれてやってしまった。

 常備しているジャスミンティーとあやしげの栄養剤、養命酒、カップ麺の数々。伊佐坂の生活ぶりが伺える一コマ。飲み物はよくわからんこだわりがあり、栄養剤がなければ足腰立たず、カップ麺もまた重要な主食である。

 伊佐坂が出してくれた茶(備蓄してあるジャスミンティー)。ちよパパカップに淹れてくれた。このカップ、北海道に引っ越して以来、久々に目にした。物品入手に不利な地方に於いて、マンガといいグッツといい、奴はよくやっておるようである。

 10種類近くの薬瓶。毎日ドーピングしてから出勤しているとのこと。高校時代から知ってはいたが、改めて大丈夫かと思ったものである。
 ちなみに、伊佐坂は「長生きしなさそうな人間」投票を行ったとしたら、ほぼ必ず1位になる人物である。


 強行軍で函館に到着して土日を有効に活用し、ゆっくり休んでから安全に札幌へと帰還するため、到着したらとっとと寝るつもりであった。だが、気が付いたら午前4時。慌てて寝仕度に入ったものである。伊佐坂宅のソファベッドを平らにして、私はそこで寝させてもらった。自分用のベッドの他に、ソファベッドなる半端な代物まで用意してあるとは。伊佐坂宅は、なかなかに物品が充実していた。
 テーブルにはクロスが敷かれているだけでなく、床に傷を付けぬよう脚にカバーまで付いている。台所用や住居用洗剤は各種そろい、除湿器に扇風機が部屋の片隅で常時稼働。便所には便座とフタの両方にカバーが掛けられ、部屋の要所要所に小さなカーペットが敷かれている。伊佐坂は、なかなか細かいところに気を配っているようではないか。ま、あまり実用的ではないというか、あればまあ便利かもしれないが、なくても一向に困らない品々なのだが。生活そのものは単純化して、パソコンやビデオ周辺ばかり強化している私の部屋とは大変な違いである。


 何はともあれ、午前4時には寝て、午前10時過ぎには起きた。長距離運転と前日までの仕事の疲れが抜けているか、と言えば少々疑問だが、ま、とりあえずは十分な睡眠時間だ。寝てばかりでは、このまま休日が終わるばかりか、昼夜逆転して、大変な時間に運転して帰り、そのまま眠れずに会社へ行くハメにさえなるかも。生活時間帯がズレることだけは避けたかった。何よりも、せっかく時間と労力かけて函館まで来て、寝て過ごすなどもったいない。
 身支度を整えて、函館の街へと繰り出す。自動車を所有しない伊佐坂は、マンガ一冊買うのにも自転車で時間をかけて中心街へと赴いていたとのこと。私のラファーガを出動させれば、数分である。私も少し前に入手したばかりなのだが、車は偉大だ。

 函館駅前。2〜30万規模の地方都市(函館は人口30万弱)の常として、駅前が殺風景で人気が少ない。観光客はそこそこいたが。

 だが、この駅前にこそ文化の灯火、我らの目的地はあった。函館にあって、我が故郷、我らが高校時代を過ごした釧路にはないものが、これである。


 函館駅前の駐車場に車を止めて、アニメイト函館へと乗り込む。
 少し勘違いしたようなバラガキが闊歩する、流行であるかのような服が売られている店々を通り抜け、エスカレーターで行けるところまで上り詰めて、さらに階段で上に昇ると・・・等身大ポップにポスター。我々がよく知った楽園が待ち受けているのである。
 ま、思いの外、品揃えのよい店ではあった。だが、札幌在住の私は、わざわざここで買い物をする必要はないし、品揃えに感涙もしない。さらに言えば、学生時代には岩本町駅まで乗り換えなしで乗り付けて、秋葉原にしばしば徘徊していたものであった。つまり品揃えについてもはや私は、大した感慨を抱きも、グッツやその筋の本を渇望したりもしない。だが、この旅先の地方都市で、二次元的空間に入った以上、何某かの買い物をしない手はない。旅の共に、なにか一品を!
 伊佐坂は、本来は自転車でマンガの買い出しをする予定だったので、喜び勇んでその筋のマンガなどを買っておった。奴め、私がCATVで観ている「ワるきゅーレ」のコミックなんぞを買っていたような気もするが、目の錯覚か。


 メイトでささやかな買い物を二、三した後、青函連絡船メモリアルシップ「摩周丸」に乗り込んだ。
 駐車場のすぐ側に係留してあるこの船、ここまで来たのだから行ってみて損はなかろう。

 写真撮影用の衣装を纏って。
 過酷な氷雪の中、甲板勤務もこなせるよう、コートは安物のナイフで斬りつけても平気なぐらい分厚く、そして重かった。

 船から後ろ向きに転落しようとしているところか、はたまた海から這い上がってきた怪生物か。何にせよ、この付け方では、海に落ちた瞬間、救命胴衣だけが海面に浮き、本人は沈むような気が。

 それっぽい格好をしたみたら、貫禄不足が骨身に浸みる。パイプでもあればよかったのだが。

 無線室で、変態電話中。ちなみにモールス無線機では、「−− −−− ・ −− −−− ・」などと打ったものであった。つまり「萌え萌え」ということなのだが、二人同時に同じ節を思いつくとは。

 操舵室。そんな腰の入らぬ操舵では船が座礁するわい!パワステ付きの軽四で買い物に行くおばさんじゃないんだから。

 トラック野郎のごとき操舵。しかも片手運転。
 とんだ不良操舵手である。
 ついでにねじりハチマキなんかも欲しかったところである。

 船の案内にはFM-TOWNSが使われていた。しかも等速CD-ROMドライブ付き。昔はTOWNSで「プリメ2」や「ナディア」なんぞやったものであったが、このような場所で再び相見えるとは!


 さて、「摩周丸」を後にした我々は、函館山へと登ることとした。
 久々に、徒歩で低山ハイクをしてもよかったのだが、伊佐坂が死んでしまいそうなので車で。
 メイトで買った品をセットして出発。

 車用になにかいい品がないかと探し、なんとか使えそうな品として買ったのが、このサラのミニのぼりである。車に乗るからには、こうした小道具がなければね。
 もちろん発車してからは滑って落ちることは容易に考えられるので、のぼり本体だけを台から引っこ抜いて、エアコンに突き刺したものであった。


 函館山にはD3にシフトを落としてゆっくりと上った。ヘアピンカーブが多く、地元のバラガキが車で遊んでいそうなこの山。私のごとき事実上の初心者は、のんびりと行きたかった。そのため、慣れた地元ドライバーにあおられるのではとも思ったが、前方には観光バスが恐るべき鈍足で走っていたため、渋滞していたものであった。ちょうどよい。
 車で上れるところまで上りきったのだが、ひどい霧。10メートル先も霞んでいる。まあ、駅前から見上げただけで、山が見えないほどの霧が垂れ込んでいたのが伺えたので、容易に予想はしていたが・・・。
 望遠鏡にはビニールカバーがかかり、観光客もほとんどいない展望台。ここで写真の一枚二枚など撮って、我々も降りたものである。いたのはカラスばかり。「Air」をやったことのない伊佐坂には、私のネタがよくわからんようではあったが。
 下りは、2速に固定して山を下った。4ATの2速というのは、けっこう速度のカバー領域が広く、そこそこエンジンブレーキも利くし、スピードも多少は出せる。D3ぐらいで要所要所でブレーキ踏んで降りても何ら問題はなかったのだけれども、ブレーキフットブレーキは最後の武器だ。まあ、ミッションに負担をかけるのはよくないのだけれどもね。

 景色どころか自分が今居る建物すら霞んでいる函館山頂上。肩掛けカバンは、メイトで調達した「シスプリ」のもの。東京時代は、同じ代物を使っている後輩が複数名いた気もするけれども、こうした普及品も旅先で買って使うのはまた違ったものだ。

 函館近辺にしかないファーストフードらしき店で食事。イカスミ・ソフトクリームやカレーライスもある、なかなか品揃えの奇特な店である。
 イカスミは伊佐坂が来客を案内するたびに喰って、辟易しているとか。私は敢えて注文はしなかったが、次に来たときは喰ってみてもいいかも。

 五稜郭公園にて。触っていいのかどうか知らんが、大砲である。驚いたことに、砲身にはライフリングが刻まれていた。効率の悪い黒色火薬で、精度と空力抵抗のよくない丸い砲弾を撃ち出していたのだろうけど、それが一応ライフル砲であるとは。
 19世紀の技術と発想も、ナメたものではないということか。

 五稜郭公園を散歩。
 石垣と松が、城跡だと感じさせる。北海道では希有な光景である。この史跡で我々が話していたことは、「陸まお」と「ラブやん」についてだったような気がするのは、私の記憶障害であろう。


 さて、五稜郭を回った後、我々は伊佐坂邸へと戻った。
 観光できそうな場所はまだあっただろうし、1999年3月の来訪時のように、意味もなく椴法華村あたりまでドライブに行ってもよかったのだが、体力を温存しておきたかった。再び札幌まで車で帰ること、今月は前半2週の土日はすべて休日出勤で、疲れが抜けきっていないこと、月曜から再び一週間仕事が始まることを考えたら、無理はしたくなかった。ま、伊佐坂のマンションで、茶でも飲みながら異常者談義でもして過ごすのもよかろう。


 結局、伊佐坂邸に戻ってからは、「妹選手権」「ラブやん」「成恵の世界」「しゅーまっは」「ぱにぽに」「辣韮の皮」などの然るべきマンガを読み、それらについて話したりもした。数年ぶりに会った旧友宅で読書会に終始する、というのは避けたかったのだが、奴の本棚が、あまりにも凄惨だった。
私は二次元趣味持ちと言えども、実際マンガはほとんど読まないし、買わないのである。札幌の部屋には、20冊もマンガなどない。伊佐坂のこの部屋にあるマンガ−おそらく1000冊近くあるのだろう−と比べると、あまりにもささやかなものである。そこで、貴様のような異常者はこれを読むべきだ、と勧められたのが上記作品だが、どれも私好みのいかれ作品ばかり。ついつい読みふけってしまったわい。まあ、いい話題にはなったのだが。


 マンガばっか読んでいても詮方ない。ちょっと車でゲームセンターまで繰り出してみた。我々の高校時代は、格ゲーを中心としたアーケードゲームの全盛期であり、我々も高校帰りに「キンタ'94」や「豪傑寺一族」なんぞをやりにゲーセンに通ったものであった。だが、私は「キンタ'95」あたりで格闘ゲーム歴は止まっているし、伊佐坂とてそうそう格闘ゲームばかりしているわけではない(特殊なSLGはやっているようだが)。久々に対戦なんぞしてみたかったが、ゲームの筐体がいかれていて、100円玉が素通りする始末。カーレースをやろうとしても、間違ってそれぞれ1人用になって、別々にゲームをやるハメに。うぬぅ。


 結局、「子育てクイズマイエンジェル3」なる、大学時代の前半あたりに登場した、さして新しくもないゲームをやることに。少しやってやめようと思ったが、この手のクイズゲームは複数人数でやると、クリアするまでやってしまうものなのである。私は世間の話題には疎いが、伊佐坂は変人のわりには俗世のことに通じている。体系的な知識、科学的な知とはとても言い難いが、人文や自然科学に関する雑学にも、伊佐坂は造詣が深い。こういうときには役に立つ男だ。問題の7〜8割は伊佐坂が答えたほどである。一方私は、自動車や電気製品などの工業技術、社会科学について多少答えたに止まる。ま、こういう大衆的クイズでは私は役に立たない。居れば特定分野では多少の戦力にはなる、という程度である。
 この「3」は、娘が成人するまで育てる形式なのだが、解答者がわるいせいか、どうも娘はオタクになりがちであった。しかし最後には、「まじめ」パラメーターがオタクを凌駕し、考古学者になったものである。我々の成果としては、上出来である。ああ、時間かかった。


 それからなんと、シングルCD-Rに歌声を録音するというカラオケマシンを利用することに。伊佐坂は、一人でこのゲーセンを徘徊しては、しばしば自らの歌声をCDに録音する奇癖があるらしい。男二人でそれをやるのも奇妙な行動のような気がするが、函館まで来て、この程度のことをやらない手はない。
 二人とも歌える曲として選択されたのは・・・「おジャ魔女カーニバル」と「檄!帝国華撃団2改」。ま、いいだろう。録音BOXから我らの歌声が漏れていたら、周囲の人々はさぞ失笑したことであろう・・・というか、ネタがわからぬか。


 ちなみに、ゲーセンで曲を録音しようとする直前に、先客がカラオケマシンの筺に入ってしまい、我々は駐車場のラファーガの中で、しばしヒマをつぶしていた。歌う曲についての相談もしたかった。ゲーセンではやかましすぎて、会話もままならない。車のシートに座って、飲み物でもやりながら考えるのもよかろう。
 そこで何が歌えるか、高校時代はどの番組を見た、私は浪人中は寮だったので空白がある、お互い函館と東京に分かれて、観る番組が違う、趣味も大分変わった・・・などと話していた。そこでふと伊佐坂が言った。「まるで刑事みてーだな」と。確かに、正面のアパートへの出入りを監視するのには絶好の位置。張り込みのようだ。車内という閉鎖的空間で、メシもろくに買えないで待ち続ける。そんな禁欲的で地味な仕事の中では、萌え話を。萌え刑事だ。などとアホなことを話して、また歌う曲についての話が脱線を。なんか、必要以上に車内にいたような気がする。
 

 ゲーセンで録音も終えて、我々は再び伊佐坂マンションに戻った。
 夕食は混み合うメシ屋を避けて、伊佐坂邸でとることとしたのだが、奴がメシを炊いてふるまってくれた。なかなかやってくれおる。私が客を招いても、メシを作って振る舞ったことなどなかったし、これからもそんな気は起きないだろう。ありがたく馳走になりますわい。
 それからは、伊佐坂がPSで作った「シミュレーションRPGツクール」のシナリオや「パワプロ」のオリジナルチームを見物し、「ジャンティス学園」のオリジナルキャラで対戦などしたものである。ゲームで登録されるオリジナルキャラや作成シナリオは、こうしたときでないと陽の目を見ない。ここで私がプレイしなければ、伊佐坂が何十時間と使った労力はムダになる恐れがある。これは見届ける必要がある。高校時代の仲間をモチーフにしたシナリオにキャラクターなのだが、意外によく出来ていて素直に笑えたものである。
 などとやっているうちに夜は更け、明日の帰りのことを考えて寝たのは午前何時だったことか。予想以上に遅くなってしまった。だが、まあいいだろう。


 翌朝、何時に起きただろうか。伊佐坂を叩き起こして、早めに帰ろうと思ったのだが、寝起きの茶なんぞやりながら談笑しているうちに昼近くになってきおった。久々に会ったアホ仲間と、変態的な話をもうちょい続けていたかったのだが、お互い明日ある身である。特に私は、不慣れな道を再び一人で運転し続けることとなる。ラーメンの一杯を馳走になったところで、私は出発することとした。
 なんと、寝間着のまま駐車場まで見送りに来てくれた伊佐坂にクラクションと挙手で分かれを告げて、私は再び一人で車を走らせた。途中、コンビニに車を止め、飲み物と軽い食べ物、そして長距離運転にて愛用しているブラックブラックガムを買い込む。そしてメガネを拭こうと思ったら、伊佐坂宅で朝食とも昼食ともつかないラーメンがはねて、メガネのレンズに油脂がついているではないか。ただ拭っても伸びるだけでなかなか落ちないだろうし、水で流したらどうだろうか。視界不良は運転では危ないし、目が疲れる。
 だが、ふと思いついた。私は最初、銭湯へ行ったのだ。銭湯に持参している洗面道具入れには、旅行用の小さなメガネクリーナーが入っている。この表面活性剤はラーメンスープの油脂をいとも簡単に剥離させ、私のメガネは良好な視野を取り戻した。裸同然、徒手空拳で札幌を出たのだが、いろいろと細かな車載品はあった方がいいようである。

 国道5号線沿いのガソリンスタンドで給油したとき、店員にサラののぼりについて尋ねられた。どうやら、彼は同好の士らしかった。いるところにはいるものである。

 それにしてもエアコンに突き刺したミニのぼり。小さいわりには車外から見ても結構目立つのう。駐車中に細工をされぬよう、用心せねば。


 このまま国道5号線で函館まで行ってもよかったのだが、日曜の午後という時間帯。案の定道は混雑していた。
 そこでやはり長万部から高速に乗ったのだが、高速は苫小牧近辺に至るまでほとんど他の車を見ないほどの有様であった。出費としては少なくないが、時間短縮と快適なドライブのためには、高速代は惜しくはない。もっとも、高速道は随分と遠回りするため、慣れたドライバーは札幌−函館間の移動には、まず使わないのだけれどもね。

 昼過ぎに函館を出て、午後4時過ぎには自宅に到着。
 実は、夕方6時からは、札幌に来ている親父と夕食に行く約束があったのだ。
 高速を使ってきた甲斐があって、思いの外早くついたものである。


 さて、細かいことだが、ラファーガの走行距離は、この旅行を終えて88887qとなった。遠回りと道の間違い、観光などすべて含めて、この小旅行では680q走ったことになる。自分の車を持って以来、こんなにも走ったのははじめてである。せっかくの車、もっと使いたいものである。そして、たまの休日。活用していきたいものである。ま、伊佐坂が一番近くの友人という有様では、なかなか人とも会えないのだが。
 貴重な休日に、長距離運転して旧友と会っても、メシ喰って、ゆるやかに観光地めぐりなどして、軽くゲームなどをし、談笑して終わる。なんともささやかな休日ではないか。それでも、今年度に於いてこの函館行きは、非常に大きな出来事として記憶されることであろう。伊佐坂も私も、高校時代は競ってアホをやり、脳を最大限つかってよからぬことを考え、話し、いかれた日々を享受していたものであった。お互い、年を喰ったということなわけである。 


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