札幌出発、そしてアキバ
2002年09月07日(土)


 ようやく、待ち続けていた日が到来した。年次休暇をすべて投入したこの旅行は、まずは東京に行って大学時代の後輩宅を拠点にし、そこから旧友との再会などに繰り出し、さらにはレンタカーを借りて山梨・静岡方面へも繰り出すというもの。
 札幌に引っ越してから半年になるが、この地では休日に会う人間さえおらず、給与は極めて平均的でありながら余し気味という日々を送っていた。念願だった自家用車も手に入れ、高価なデジタルスチルカメラなんかも買ったが、使う機会は少ない。自分の車はただの足として割り切るとして、カネもデジカメも年に1度のこうした機会のために使うものである。デジカメ用バッテリーも予備を2つ買い込み、屋外作業を見越して大小のマグライトも用意。もちろん銀塩フィルムカメラも三脚付きで持っていく。準備は前日までに整えてある。いざ出撃!

 出撃直前。出勤時は白Yシャツしか着ることが出来ないが、非日常気分を出すためにカタギではない黒シャツで。

 新千歳空港行きのバスにて。実はバスで空港まで行ったことがなかったので、到着時間は渋滞・交通状況でどれぐらい左右されるか不安であった。

 航空自衛隊千歳基地。新千歳空港が出来るまでは、ここは「千歳空港」であり「千歳基地」でもある官民共用空港であった。




 新千歳空港に到着。早速搭乗手続きを済ませ、手荷物を預ける。重い旅行カバンを預けて、デジカメや金品の入った書類カバンのみになる。身軽はいい。手荷物カウンターに背を向け数歩歩み出してから、何かが足りないような気がした。手荷物カウンターで航空券を見せて、荷物を預け、荷物の預かり証を貰って・・・そう、航空券を返してもらっていない!カウンターから20歩も歩いていないところで気が付いた。もっとも、出発ラウンジへのゲートで嫌でも気付かされただろうけど。
 手荷物カウンターに出口から入って事情を話す。先ほど航空券を返してもらっていない旨を。手荷物の預かり証も出して、行き先・便名まで行って問い合わせる。カウンターの職員は落としたのではないかとのことだが、そもそも受け取った記憶がないし、受け取ったものを十歩十五歩で落とすほど私は間抜けではない。もしカウンターから十数歩で落としたのならば、振り返った段階で気が付いている。誰かが拾ったにしても、私に声をかけるなりカウンター職員に届けるなりするだろう(誰かが拾って、出発直前の航空券をわざわざ着服したとは考えにくい)。もちろんそんなものは自分が歩いた短い距離に、落ちてはいなかった。航空券を返さなかったのは職員のミスだが、それに気づかなかった私にも落ち度はある。私が航空券を受け取っていながらそれを忘れたのではないか、とも考えてみたが、やはり受け取った記憶がない。


 職員とそんなことを話しているうちに、私と応対した職員が呼ばれてくる。彼女は開口一番にこう言った。
「私は、渡しましたよ!」
 顔を真っ赤にさせて、腹立たしげに言い放つ。
 ダメだなあ。自分のミスを認めたくないのもわかるし、彼女はミスをしたことに気が付いていないのかもしれない。もちろん、私自身が航空券を受け取っていながらすぐさま記憶を失い、そして航空券を床に落とし、それに気が付かなかった、という可能性も否定しきれない。まあ、私はそれはないと思っているが、だからと言ってここで水掛け論をしても始まらない。私の目的は飛行機に乗ること、職員の目的は私を飛行機に乗せること。それだけだ。ミスをしたのならば埋め合わせて欲しいし、もしも私がバカで航空券をなくしたのならば、困っている客になんらかの措置をとるべきであろうに。しかし彼女は、「渡しましたよ」の一点張りであった。


「誰のミスであろうとなかろうとも、航空券が私の手にないのは事実。さっき私が搭乗手続きをしたのは事実だし、手荷物の預かり証もある。予約したのは私だし、身分証明もある。とにかく、航空券の再発行をするなり何とかして欲しい」
 腹を立てても焦っても仕方がない。とにかく予約した便で飛行機に乗りたいのだ。羽田空港には大学時代の後輩が、わざわざ迎えに来てくれる。遅れるわけにはいかない。だから下手に出て何とかするように頼んでいたら、正職員の女性が航空券を持って現れた。そう、私が求めているのは航空券ただ1つ。それだけだ。とりあえず、正職員が謝罪するのを遮って、こちらこそお手数をかけたとかテキトーなことを言って、この場を去る。いや、一安心。
 それにしても、受付の職員の対応はなっていなかった。自分は悪いとか悪くないとかはこの際どうでもいい、問題はどのようにしてくれるか、でしょうに。航空業界もダンピング競争でコスト削減を図り、人件費ももちろん削られている。だから、こういう受付職員はほとんどがパートタイマーの臨時職員だったりする。もちろん臨時職員を侮辱するつもりは毛頭ないが、短期雇用なため経験が浅く、また研修などの教育もほとんど為されていなかったりする。さらには、長期間いるわけではないし、昇給などの評価もなされないから意欲もあまりなかったり。だから、ルーチンワークから外れるケース、特にトラブルには対処できない(トラブルそのものの解決をしないまでも、時間稼ぎや応対の方法も知らない)。時世を象徴しているかのような出来事であった。だけれども、こんな一流会社まで、こんなレベルの低い人間を雇用しているとは思わなかった。



 さて、羽田空港に到着すると、大学時代の後輩П氏(仮名)が出迎えに来てくれていた。東京に知り合いは数居れども、空港にまで出迎えてくれる人間がいるとは思わなかった。羽田空港が近所ならばともかく、八王子から電車を乗り継ぎ、時間とカネと労力をかけてまで出迎えや見送りに来る人間はなかなかいまい。
 長い休暇とは言え、日程は詰め込めるだけ詰め込んでいる。アキバに行けるのは、到着日のこの日以外にはなかった。だからこそ、空港から直接秋葉原へと向かう必要があったのだ。それにしても、П氏には秋葉原駅のコインロッカーまで荷物持ちをしてもらい、世話をかけた。

 私の非常に重い旅行カバンを持ってくれるというので、遠慮なく預けた。かなり重いのだが・・・。いや、助かった。

 半年ぶりの秋葉原。様子は少し変わったような、そうでもないような。少なくとも、ここにゲーマーズはなかったような。

 ゲーセンで看板に見入る人。

 要するに、「痕」のぬいぐるみについての看板である。П氏は千鶴派、私は楓派と競合はしない。これは是非にとらねば。

 さっそくクレーンを操作するが、残念ながら1つも取れず。いい手土産になると思ったのだが、カネで買った方が早いかも。

 都営新宿線・岩本町駅にて、薄い本を読みふける人。ここは京王相模原線乗り入れなので、多摩センター方面へには新宿経由よりも使いやすい。


 秋葉原では、いくつもの店をハシゴしつつもそんなにカネは使わなかった。買った物は、せいぜい「コスパ」でTシャツ、「あきばお〜」と若葉マーク、それに新PC用のエンブレムぐらいか。夏のボーナスは、親父にネクタイを買った以外一切使わず温存して持ってきたのだが、私の財布の口はなかなか堅い。ちなみに昼食は、「cure maid cafe'」で。私は来たことがなかったのだが、アキバに相応しい店であった。



 アキバへの巡礼を住ませた後、私はやはり大学時代の後輩・美津濃氏(仮名)宅へと乗り込む。ここが私の東京滞在に於ける拠点だ。これから一週間以上世話になる。手土産などは持参しなかったが、メシ代金を持つなどして恩は返さねば。
 それにしても、美津濃氏宅のインテリアは相変わらずであった。

 「セーラームーン」韓国版のマスコット。主人公が美奈子になっているような気がするのだが、はて?

 日和の蚊取り線香。これはなんと、実用品として使われていた。机に敷かれているものも、ねこねこソフトのシート。

 そして早速上映会を。「藍より青し」「まじかるて」「ちょっびっツ」など。札幌ではあまりテレビは観なくなっていたので、こういう番組は久々。

 テーブルの上は混沌としていた。茶を淹れてくれたのは、ちよパパマグカップ。殊勝な心がけである。


 この日の晩メシは、4月に行った焼き肉屋で済ませる予定だった。だが、土砂降りの中を徒歩で向かったその店は、潰れていた。やむなく、さらに歩いて別の焼き肉屋に入ったのだが、片道40分はかかったものであった。まあ、たまには雨の中徒党を組んで歩くのもよし。
 焼き肉屋で死肉を焼いて喰らい、ビールなど飲む。そこで四方山話なども。会計は私が支払った。美津濃氏とП氏からは1000円ずつ回収したが、残りはすべて負担。これぐらいのことはしてやってもよいだろう。恩に着せるつもりはないが。
 帰り道も、雨降りしきる中、美津濃氏宅まで40分歩いた。帰りは途中で全員が尿意を催し、終始無言で早足というものであったが。酒を飲んでから、便所のない道を歩くのは危険だったかも。東京第一日目を終えたのである。


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