古い人々と
2002年09月08日(日)


 東京2日目。この日は、大学時代の所属部の先輩Tem氏(仮名)と高尾山へ行く日である。
 高尾山は、中央大学が行うWR(ウォーキングラリー)に於いて、コース前半で登る山である。今なお、部ではこのWRに部員総出で損かするのが一大行事となっているが、部での参加をはじめて行ったのは1997年。当時主将であったTem氏の発案であった。それ以来、私は5年の大学生活で5回ともWRに参加し、個人的にも高尾山には登っていた。久々にTem氏と会うのに高尾山は相応しい舞台である。

 JR八王子駅にて集合。ここに来るのは数年ぶり。ちなみに私の来ているものは、モスクワ在住者から頂いたソ連シャツ。

 八王子駅近くの薬局にて、私は携帯食料としてウィダーインゼリーを購入。もちろん買うのはプロテイン。

 薬局のプロテインコーナー。中大生協もプロテインの品揃えはよく、興味本位で買って、その化学的な不味さにのたうち回ったものである。

 なぜかプロテインを見ると嬉しくなる人。


 八王子でプロテインや飲料水、食糧などを購入。
 京王八王子駅から高尾山口駅へと向かった。本来はJR相模湖駅から高尾山口へと一直線に向かうのがWRのコースなのだが、今回は久々で道がどうなっているのか不明なことから、高尾山口から登ってまた高尾山口へ降りるという無難な選択をした。高尾山へは20回ぐらい来たことがあるが、実はこのコースで登るのははじめてである。
 ちなみに中大WRは、今年から「中央大学を出て、高尾山口でゴール」と変更された。相模湖から中央大へ、という例年のものと逆行する形となり、山へ登ることもない。世の中変わるものである。



 高尾山口駅に到着した我々は、早速装備を調えた。
 山道でTウィルスやGウィルスに冒された生物や、山賊に襲われたときのための備えである。

 空路で東京に来た私は、非武装に近かった。そのため、Tem氏が一丁貸してくださった。ヒップ・ホルスター付きで。

 SIG PRO2340。進歩の遅い小火器としては、これは新しい部類に入る。精度も材料の品質もよい、信頼の置ける銃である。

 Tem氏の武装はなんと鉄扇。接近戦への備えだそうな。広げると傘を思いっきり開く以上の音が鳴り響き、道行く人が振り返った(そして二度と振り返らない)。

 ヘアピンカープが続く坂道の途中で。

 左を向けば石段の「男道」。
 もちろん我々はこちらを登る。

 左は緩やかな上り坂の「女道」。
 膝に負担を掛けぬよう、帰りはこちらで下ることに。




 山頂に到着するのには、どれくらい掛かっただろうか。相模湖から城山経由で登るのよりも、はるかに早いはずである。ま、休日の軽い運動としてはこれぐらいが手頃なのかも。会社勤めで身体がなまりきっていると思ったが、ほとんど疲れなかった。
 早速我々は、八王子で買った食糧を広げて昼食に。私の食事はバクシャリ(麦飯)と切り干し大根。それに納豆汁。Tem氏は「ストイックなメシだ。精進料理か」とのことだが、これがなかなかうまい。今日日麦飯は銀シャリよりも高いぐらいだが、栄養価はもちろん、素朴な味わいは疲れた身体には心地よい。
 Tem氏が持参したサバイバルキットのバーナーで湯を沸かし、二人でみそ汁をすすりながら食事。こういうのも悪くない。Tem氏はカセットコンロと大量の水を背負って富士山に登り、山頂でラーメンを食うほどの猛者。来週も神奈川方面の山に本格的な登山へと出かけるとのこと。私も装備を揃えて、登山を趣味にしたいものである。

 私の食事。バクシャリ、切り干し大根、納豆汁。
 健康にも良好。

 商品名は「麦米」である。もちろん米との混合。まあ、麦の割合は多くはなく、だからこそ食えるのだろうけど。




 食事を終えて一休みした後、我々はゆっくりと高尾山を下った。
 登山口付近では茶屋などに入って、さらにのんびり。
 下山後は、大学の部で同時代を過ごした人間をさらに2名呼んで飲むことになっている。夕方までは相当に時間があるため、このように寄り道が多いわけである。

 茶店とはなかなか渋い。照明も裸電球しかない。
 窓際に置いているものは持ち帰りのゴミ。山にはゴミ箱などない。

 私はところてん。Tem氏はまんじゅう。
 嗜好の違いが如実に現れている。




 さて、聖蹟桜ヶ丘にて待ち合わせて、Tem氏の同期・魔人氏、私の同期F氏(いずれも仮名)と合流。
 私の大学生活の前半によく世話になった居酒屋「まんだらや」に向かう。部の人数が加速度的に増加して、ここでは人数が入らなくなったことと、多摩都市モノレールの開通で高幡不動や多摩センターに行くことが多くなったことが相まって、大学時代の後半はあまり行かなくなった。しかしこの「まんだらや」こそが、部にはじめて訪れた日に私が飲んだ場所であり、週に何回というペースで突発的に行われた飲み会の舞台となった場所。思い出深い場所である。待ち合わせ時間が早すぎて、店はまだ開店していなかったが、店主は快く入れてくれた。しかも我々の顔を覚えてくれていた。やはり、こういう居酒屋はよい。別に故郷ではないが、郷愁を誘う。

 まだ店のシャッターは半開きであった。

 この4人で飲むことは、年に何回もあることではない。久々にいい飲み会であった。年齢は一様ではないが、忌憚なく話せる仲間である。


 大学1年の頃は、Tem氏をカリスマとした先鋭的集団として部は存在していた。その当時の破天荒な空気は、当時の人間が集まっただけでまだまだ甦る。仕事としての飲み会以外は酒を口にすることもなかったのだが、今日は飲んだ。実は6時間も談笑して過ごしていたのだが、長いとは思わなかった。こういう一瞬のために、残りの日々を勤めていられるのだろう。ただ、私には札幌でこのような友はいないのが残念でならない。


 さて、話題は以下のようなものがあった。
・ロボトミー手術の実例と方法、結果について
・キン肉マンの破綻点と、プリプリマンについて
・魁!メモリアルについて
・グレンダイザーでコクピット移動の際、シートは何故2回転するのか
・ジョジョの擬音と名ゼリフについて
・キョーダインの食事について
・鉄騎のコントローラーについて
・ザブングルの操縦桿について
・ラブやんの人々と、知人との比較
・第二次大戦期の戦車について
・戦後史武将のマニアックな兜とは
・高校・大学と社会から乖離して変人をやっていて、社会に出てからのギャップについて
 こんなことは、こういう場でしか話せない。
 いや、相変わらずためになる話であった。


 午前0時過ぎに逗留先の美津濃氏(仮名)宅に戻ると、彼は「第三世界論」のレポートを作成していた。
 私は邪魔にならぬよう、別室で眠りについたのであった。


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