戦友と会合
2002年09月10日(火)


 今日は、大学の部で1年後輩だった黒天使氏(仮名)と会う日。
 踏襲と馴れ合い、権限の独占と秘密主義、そして加速度的に増える部員。激動の1998年。カネ・時間・労力のムダと上層部の不誠実に対して、黒天使氏ら当時の1年生はオルグと会合を繰り広げてクーデターを画策した。それに対して、実務運営の総指揮と1年生との交渉する役職を、私は自ら引き受けて行った。当時は、クーデターが起きて当然なほど、ひどい状況であった。


 合宿では、ずさんな会計でムダな費用が重なり、部員一人当たりの負担額は万単位で跳ね上がった。それに対する説明は不誠実を極めた。学祭の出店は、総員同意のもとでシフト制度が導入されたが、指揮官はそれをすべて無視してあらゆる人間をあらゆる時間拘束し、過酷なノルマを課した。期間中の緊急会議で「利潤よりも楽しむことを第一義に」と決定された後も、それは変わらなかった。また、稽古指導者の気まぐれによって稽古は際限なく長引き、個人の生活が犠牲にされた。連絡網などの通信は、個人が濫用してその重要性は失われ、また勝手な判断で連絡をしない者が現れだした。
 さらには、当時は部の歴史で最悪のクズが在籍しており、このクズは空虚な自己の優越意識を満たすために常に後輩を愚弄し、部組織やOBを罵倒し、オルタナティブなく実務を批判して進行を阻害した。さらにはまったくの逆恨みな私怨で下戸の後輩に大量の飲酒を強要して半殺しにし、外部からの客人も些細なことで血まみれになるまで殴った。カネがないときは、バイトでカネを持っていそうで気が弱い奴を選んで呼びつけ、後輩の財布で酒を飲んだ。こいつは人間のクズなのだが、その実態を彼の同期や先輩はなかなか理解せず、それ故に追放もできなかった。私を含めた下級生は怒り狂っていた。


 こうした実態に対して、当時の1年生は立ち上がった。私もまた、後輩のために立った。上層部が「2年生の試金石にする」という名目ですべての責任を放棄して雲隠れし、私の同期は何もせず、結局私と1年生だけがすべてを取り仕切り、すべてを変えてきた。黒天使氏は立場こそ違えども、同時代に共通の敵と戦った戦友なのである。私が先鞭をつけ、黒天使氏らが本格的に部の近代化を推進し、旧弊な諸悪はことごとく追放された。批判も多かったが、今の部から旧悪が排除されたのは、こうした活動によるものである(だからと言って、今の部員にどうこう言う気は毛頭ないが)。常に部の現状を憂い、変革のための実践方法を考え続けてきた黒天使氏は、問題意識を持つという意味に於いては同志であった。同じ政治学科ということもあり、政治理論の実践についてもよく話し合ったものだ。
 今日の会合は、喫茶店で茶を飲み、なぜか短時間だがカラオケに行き、そしてファミレスでビールをやりながら食事という長時間なものとなった。話の内容は、仕事のことや就職のこと、昔話といったものだ。ま、ささやかな会合であった。



 さて、美津濃氏(仮名)宅に帰ると、泡風呂が用意されていた。
 なにやら怪生物が潜んでいそうな浴槽だが、大層な厚遇である。


戻る