山梨・静岡旅行
2002年09月11〜13日(水〜金)

帰途
2002年09月13日(金)


 朝起きて、宿の朝食をとる。朝飯は平凡なものであったが、やはり朝は米にみそ汁。一人暮らしの身では、こういう食事一つがありがたい。メシを食い終え、洗顔・歯磨きの類をすませ、帰り支度を行う。今回はさほど荷物をここそこに置かなかったので、回収は早かった。
 そしてアコードに乗り込む。契約者である私が車を返却することもあり、私がハンドルを握る。
 標識通りに進んで難なく甲府南ICに至り、中央道へ。やはりアコードのトランスミッションとエンジンは優れている。4人乗っても加速はすばらしい。いい吹き上がりだ。中央道はさほど混んでおらず、快調に飛ばして東京へ向かった。電光表示の「××まであと○分」というものの、半分の所要時間で進行していたような気もする。PGO氏はスピードメーターを覗いて何か言いたげであったが、敢えて黙っていたという。PGO氏の乗るディーゼルのパジェロは、最高速度が100q/hそこそこ。極めて安全な車である(急加速が出来ないという意味に於いては、安全とも言い切れないが)。それに比べてホンダ・アコードはなかなか回ってくれる。いや、速ければいいというものではないが。


 東京には、午前中に到達した。国立府中ICで降りて、多摩センターへ。
 一般道を迷うことなく進み、中大のふもと・堰場付近のガソリンスタンで燃料を満タンにして、レンタカー屋へ向かう。かけていたCDは、ドイツ軍歌のトラックを演奏しはじめる。そのとき、助手席のPGO氏が突然カーオーディオの音量にまで振り切らせた。そして助手席の窓を全開にする。なるほど、街宣か。凱旋でもいいが。大学時代に後輩の課長(仮名)と北陸を旅したときのことを思い出す。市街地に入るたびに、窓を全開にして鶴田浩二をかき鳴らしたものであった。もっと前の旅行でも、軍歌をかけたハイエースで道を聞いたものであった。
 我々の乗るアコードはドス黒い。なかなかの威圧感ある車両だ。そこから聞こえるのは異国の軍歌。乗っている連中は4人とも頭がおかしそうだ。通行人は面妖な車を一瞬凝視した後、二度とこちらを見ようとはしなかった。旅の終わりも近づき、ますますアホになっていたのであった。

 国立を走っていると、竹を担いだあやしげな一団を目撃。学校祭の準備だろうか?

 レンタカーの返却寸前に撮影。
 まだガソリンを補給していない。

 この旅行では、785q走ったことになる。まあ結構走ったものだ。もっとも、北陸旅行ではその倍以上走ったのだが、それは異常。


 レンタカーを返却し、余計なカネをとられることもなく無事に終わる。
 多摩センターの駅で、我々はそれぞれ別れた。ゼミ合宿を控えたП氏、何かの合宿に出かけるPGO氏。彼はこの山梨・静岡旅行の前も合宿に行っており、自宅に帰ることなくこの旅行に参加した。そして再び合宿とは、ハードスケジュールな男である。そして私と美津濃氏は、美津濃氏宅に帰宅。かくして旅行は終了した。
 この日はそれ以降、フィルムを現像に出して、またそれを取りに行ったり、デジカメの画像はPCでまとめてCD-Rで焼くなどして過ごした。私の休暇もあと少し。のんびりと過ごそうではないか。


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