久方ぶりに5人集結。高校時代の悪友と
2003年01月03〜04日(金〜土)
高校時代。私は自分を含めた9人を「身内」と称して、よくつるんで肉を焼いて食ったり、ボーリングやカラオケなんぞに行ったものであった。下宿生の部屋に溜まって朝まで酒なんぞを飲んだり、当時新製品だったプレイステーション欲しさに、WINSで競馬に励んだりもしたものであった。こうした形でつるんでいたのは、高校時代の後半1年強。その際にやりとりした文字や絵はほとんどすべて手書きであったが(一部ワープロも含む)、そのファイリングはクリアファイル十数冊にもなり、家が徒歩数分近所にいた奴にまで郵送でダンボールの切っ端から季節外れの年賀状まで、様々なものを送ったものであった。
高校卒業とともにそれぞれ進学や浪人で居住地を別ち、FAX、ネット、携帯電話などの新通信手段でやりとりはしていたものの、やがてその頻度は落ちていった。学生時代の帰省でさえも、一度に集結する人数は多くて4人程度にとどまった。そして(浪人や留年で時間差はあったが)人々が社会に出るにしたがって、年に1〜2回程度顔をあわせるのも難しくなってきた。しかし今回は、なんと5人もの人数で集結することが出来た。
夏休みは大学時代と違って日数も少なく、なかなか重ならなくなった。だが、正月は大抵実家に戻るものである。かつての仲間の中には連絡手段もおぼつかなくなった者もいるが、それでも過半数の人間とは連絡を取り合っている。ここで「誰かがなんか言ってくるだろう」ではせっかく正月同じ郷里にいて、携帯電話という便利な代物を持っていても、実家でヒマを潰すだけで過ぎてしまう。だから私は自発的に連絡をとった。元々釧路人ではない伊佐坂(仮名)から鉄道で来襲できる日を聞き出し、他の人間に会合の打診と日程調査を行った。その結果、幸運にも今回は釧路(近辺)にいる5人全員の日程が合った。3日にJR釧路駅で伊佐坂を迎撃し、それからどこに繰り出すか考える。大雑把な話だが、とりあえずはこれで十分。けんしろ(仮名)だけは何かの寄り合いがあって夜からの参加になった。
釧路駅でナイワン、くさ(いずれも仮名)と合流して伊佐坂を待つ。早速私の携帯電話に奴からの着信が。さっそく出ないで叩き切る。改札から出てきた奴の姿を、ナイワンが視認したからだ。背後から伊佐坂に忍び寄って肩を叩き、これで4人集まることができた。
まずは釧路駅にて昼食。ここは秋に、くさと二人で食ったメシ屋である。 |
もちろん私の注文はざるカレー。カレー南と同じではないかという声もあるが、猫舌なためタレが冷める方が喰いやすい。 |
簡単に昼飯を済ませて、食堂で伊佐坂から年賀状なんぞ手渡しでもらったりもした後、これからどうするか考え始めた。けんしろがヒマになるのは午後6時半以降。それまでは5時間以上あった。誰も自家用車で乗り付けてきたわけではなく、いつもは足になってくれるけんしろもいないため、機動力が限られる。どうしたものか。と言っても、釧路では遊ぶ施設は限られているのだが。ナイワンが一声言ったボーリング。早速それに決定した。駅から徒歩で市役所裏のボーリング場へ向かう。
伊佐坂とくさとが、飲み物を買ってきてくれた。チョイスは各自に合わせたとのことだが、私にあがり(茶)とは。当然の帰結なのかも。 |
早速缶をイスのドリンク立てに入れようとしたら、底がない。ただの穴が開いた板とは・・・。なんのための穴なのか。 |
私はかなりボーリングは下手だが、それを加味しても凄絶な点数でゲームを終えた。こんなにもひどい成績は何年来であろうか・・・。
さて、ボーリングを2ゲーム終えた後は高校時代に入り浸ったゲームセンター「スガイ」へ。専門性が高い格ゲーは、一度ブランクをあけると復帰するのが難しい。特にゲームセンターの対戦台は、排他性が強い。高校時代には「キンタ'94〜'95」「真侍魂」「リアルバウト餓狼伝説」なんかを徹夜でやったものだが、私は予備校時代1年間一切のゲームを戒めていたため、それ以来ゲームに疎くなってしまった。だが、伊佐坂やくさは今もなお現役らしく、二人で対戦に勤しんでおった。まあ、知人相手にならばわからないなりにも対戦を挑んでもよいのだが、彼らの勝負は白熱してなかなか終わりそうにもない。そこで私とナイワンはレースゲームを。
ナイワンは「頭文字D」を結構やり込んでいるようで、レースゲームは強い。ギアチェンジやペダル操作が丁寧で、ステアリングにも無駄がない。だが、私と勝負した「スリルドライブ2」はあまりにも勝手が違ったようだ。私もアクセルをいつでも床まで踏み込み、左足ブレーキで捻じ曲げる乱暴な走法でも、数千万円の賠償金をとられながらもなんとか勝利することが出来た。他にもいくつかレースをやったが、結構わるくない勝負であった。
また、1P専用ゲームだがトラック野郎ゲームなんぞもやってみた。巨大なステアを握ってトレーラーを操り、手前の車はクラクションで駆逐し、時には車も外灯も住宅でさえも破壊して突き進む。なんとも暴力的というか大雑把なゲームである。トレーラーの車庫入れなんぞもあったが、先のステージに進むとバックになるのだろうか?私は実車でやったことがあるが、牽引車でのバックは非常に難しい。曲がる方向の反対にステアを切って、連結部分を折り曲げながらバックしなければならない。もしもバックで車庫入れする場面があるのならば、ゲーム上ではどう再現されているのか見てみたかった。
さて、ゲームセンターでしばらく時間を潰してから、今度はジャスコへと向かった。我々の高校時代はなかった店だ。広い駐車場があるので、駅前よりは車でやってくるけんしろとの合流が簡単だ。「スガイ」からは、4人いるのでタクシーで割り勘。たいした金額にはならない。ここでは本屋をほっつき歩いたり、古本を探したりして挙句、最後には喫茶店でコーヒーやアイスなんぞを片手に何事か話していたような。
そして、寄り合いが終わったけんしろから電話が入り、ジャスコに呼びつける。広い店なのでどこで合流するか迷ったが、なんとか入り口を特定して待ち合わせる。けんしろは数分でジャスコまでやってきた。さっそく我々はけんしろの車に乗り込む。容積が広いSUVと言えども、5人で乗るのにはやや狭い。私は真っ先に助手席を占拠したが、アイスホッケーの道具やウォッシャー液のボトルが散乱する後部座席は、なんともケイオスであった。
さて、まずは夕飯である。かつて通った高校の近くに出来た焼肉屋へ。さすがに正月3日。家族連れから何かの仲間まで多くの人間が肉を喰らいに詰め掛けており、我々は一時間待ちであった。ポケットベルを持たされて、我々は再び車で放浪。釧路町のゲーセン「セガワールド」に入ってまたまたレースゲームなんぞを集団でやってみたり。
そうしているうちに、メシ屋の時間は近づいてくる。再びメシ屋近くに戻り、本屋で時間の微調整をしてからメシ屋に乗り込む。案内されたのは、店の真ん中にある円形の空間。周りの席はすべてテーブル席なのだが、中心のここだけは座敷という風変わりな場所だ。まあよかろう。
肉などを喰らってからは、例によってけんしろ宅になだれ込む。移動の間、けんしろ車について盛り上がる。エクストレイルは日産復活のための尖兵のような車だ。大々的に宣伝を打ち、よくある手軽なライトクロカンのようで細部に気を遣った車として鳴り物入りで登場した。だが、けんしろはCMで言われるほど便利ではないと漏らす。
まずは、下の写真にあるドリンク入れ。エアコンの吹き付け口がドリンク入れを兼ねていて、夏は冷房によって飲料が冷え、夏は暖房によって飲み物が保温される。これはけんしろ自慢の装備だったそうだが、全然使えないとのこと。エアコンであるが故の構造だが、これはかなり傾いている。つまり、空ける前の缶飲料しか入れられないということだ。ドランクホルダーにはならない。さらに言えばフタを締められるペットボトルは入らない。運転するときに、ドリンクを買ったらすぐ開けて飲む。未開封の缶飲料を冷蔵ないし保温してストックするようなシチュエーションは、なかなかない。
次に、撥水シート。エクストレイルはクロカンとしてワイルディな生活をイメージさせ、さらには若い家族連れをターゲットにしている。そのため、靴や服にこびりついた泥や、子供がこぼす飲料をシートのコーティングが撥ねることがこれまた大々的に宣伝された。しかしけんしろが実際に水や飲み物をこぼしたとき、シートは撥水するどころか簡単に吸い込まれてしまったという・・・。エクストレイル登場とほぼ同時に購入されたのだから、2年ちょっと乗っている計算になる。いつの話なのかは知らないが、もうシートの撥水コーティングが剥げたということなのか?
そして、走破性。この手の四輪駆動車に乗ると、運転手はどうしても砂浜や荒地などのオフロードを走りたくなってくる。けんしろも例外ではなく、海岸を走りまくって海に突っ込んで、しぶきを上げて疾走したらしい。ライトクロカンであってもさすがは4輪駆動車。砂にハマることもなく海岸から帰ってこられたそうだが、日産に定期点検に出したとき言われたそうだ。「もっと車にやさしく走ってやってください」「砂浜とかあんまり走らないでください」。シャフトやデフに砂でも噛んでいたのか、潮気で錆びはじめていたのかは知らないが、無茶というものだ。しかしエクストレイルのテレビCMでは、海岸を同じように疾走するシーンが流されており、けんしろは当然そういうことができると思っていたそうだが・・・。
以前けんしろは5MTのトレノに乗っていた。流行らないFFクーペなのだが車高が心なしか低く、口径の大きな低音マフラーがついていた。彼の職場を考えるとあまり適切な車ではなかったが、それでも彼は1年近くその車で通勤していた。そして雪が降ったある日、職場の先輩にその車で大丈夫かと彼は言われたそうだ。今まで埋まったこともない、大丈夫だと彼は答えてトレノを走らせた。しかし・・・彼はこともあろうか職場の目の前で雪にハマった。さらにわるいことには、件の先輩の車がすぐ後ろからやってきた。
「あ〜ら、××くん。どおしたのぅ?」
先輩(多分年配の女性なのだろう)は、これ以上ないというくらい嬉しそうな顔をして近寄ってきたという。彼はこの瞬間、トレノの車検を通すことを止めて、新車を買うことを決意したという。車高が高く、重過ぎない4WD。その他の条件をも満たすものとしてエクストレイルを彼は購入した。さすがに雪には強く、大抵の雪道は平気だのこと。ここは満足しているそうだ。
けんしろ宅では酒を飲むでもなく、くさが持ち込んだPS2で「メタルギア」なんぞをやって、敵兵を眠らせて海に落とし、あるいは便器に運び込んで座らせ、それから実弾で射殺、あるいは飛んでいるカモメを木っ端微塵に撃ち砕くなどして遊んだものだ。そんなことをしているうちに、皆眠ってしまった。私一人だけが目がさえて、ゲームのエンディングまで行ってしまったのであるが。なにをやっているんだか。
一人ゲームなんぞやっているとき、屋根の上に敵兵でも走り回っているのではないか。そんな音が突如として頭上に叩きつけられた。一度ならず。まあ、住宅というのは温度差や振動などで様々な音を発する。気にはしない。そして私がエンディングまで言ったのでPS2の電源を落とし、けんしろのマンガ(「ミナミの帝王」だった)なんぞを片手に寝っ転がっていると、やがて一人また一人と起き出した。そして起き上がったけんしろがブラインドを開けると・・・今まさに重そうな湿った雪が、降り積もっていた。夜中のすわ天変地異かという音は、2階の屋根に積もった雪が、1階の屋根に降り注いだ音だったのか。屋根から振ってくる雪の塊はときどき人間をも殺傷する凶器となる。屋根から屋根に落ちるだけでも、その質量はかくも轟音を立てるものだ。
さて、鉄道で釧路までやってきた伊佐坂は、今日実家に帰られるのか?今日伊佐坂は実家に戻り、明日飛行機で居住地に戻る。さてどうしたことか。今日仕事があるくさは、けんしろに送ってもらって直接出勤した。それから少し経ってから、4人でけんしろ車に乗り込み。とりあえずは伊佐坂を釧路駅に送り届けるのだが・・列車は動いているのか?
未だ除雪さら十分されていない道路は、湿った雪で深いわだちになっていた。けんしろはエクストレイルの駆動輪をLOCKにセット。普段はFFにしているのだが、これはフルタイム4WDモードにするということか。それとも、デフロックという意味か。なにはともあれ、LOCKモードのエクストレイルはわだちを乗り越え、いびつな形で雪塊や氷が凍てついた道路を走破していった。なるほど、こういうときの走破性は大したものだ。
そして伊佐坂を釧路駅に落として、けんしろは私とナイワンをそれぞれの実家まで送ってくれたのだが、鉄道は運休ではないのか?なにやら改札前の電光掲示板はまったく表示されていなかったような。まあ、どうしても帰られないようならば携帯に電話をよこせとは言っておいたのだが。
雪の釧路。降雪量が北海道としては例外的に少ない地域なのだが、降るときは降る。 |
けんしろ車もまた雪に埋まっていた。ワイパーも動かぬ重い雪を、払ってから発進。 |
しかしブレーキをかけると、屋根の雪がフロントガラスを埋め尽くす。やむなくコンビニの駐車場に突っ込み、緊急停車。 |
伊佐坂は無事帰途についたのかどうか。この日の鉄道は、全線ダイヤが乱れまくったらしい。 |
そして、ほぼ徹夜明けで実家に帰ったところ、伊佐坂から郵送の年賀状が届いていた・・・。
郵送と手渡しの二重攻撃とはやりおる。字が読めるサイズはこちら。