関東再侵攻
2003年02月xx日(X)


 予備校への入寮のため上京したのが、1996年4月。大学を卒業して東京を引き払ったのが2002年3月。25年のうち6年。つまり、今までの半生のおよそ4分の1は、東京で過ごしたこととなる。もちろん幼少期から高校時代に比べて、大学時代の方が行動力・行動範囲・可処分所得は大きい。就職してからの札幌よりも、東京の方が交友範囲は遥かに広い。そのため、東京で過ごした時期の記憶が最も強烈に残っている。さらに言えば、東京に住んでから戻った北海道は、言葉や生活習慣のフォーマットが思いのほか自分と異なっていることに気付いた。方言はほとんどないとされている北海道だが、ごくわずかな訛りが耳に付くようにもなった。また、一口に「北海道」と言ってもたいした縁もなかった札幌は異郷も同然であり、違和感を覚えることが多かった。
 そして、思いがけず関東行きの話が持ち上がったのが昨年の後半。大学の卒業式前から「10年は札幌か」という覚悟しいていたのだが、どこでどうなるかわからないものである。札幌以外の土地を知らぬ者の意見は参考にならぬとしても、外部からの移住者にとっても札幌は評判のよい街である。札幌移住の際は、札幌に好感を持つ様々な人から祝福を受けた。だが私は、愛着を抱くことも、馴染むことも、町並みに慣れることさえもしないうちに札幌を去ることになった。このことを残念に思うような感慨さえも湧き立たない。そして単純に関東に再び居住するというだけでも嬉しくはなる。極めて限定的な居住期間と行動範囲でもって、札幌と関東との優劣を述べることなどはしないが、札幌には縁がなかったということかも。まあ関東とて、これから何年いるのかわからないのだが。


 第二次大戦の緒戦に於いて、舟艇不足と時間の制約によって、英軍は装備・物資の多くを放棄して大陸から駆逐されてしまった。今回の私もまた、多くの物品を放棄せざるを得なかった。輸送コストと関東の住宅事情、そしてスケジュールの関係から多くのものを札幌にて処分し、残ったあらゆる物品を一度実家に輸送。短期的には廃棄が難しいものは実家にて処分を頼み、持っていけないが捨てるのには惜しいものは実家に保管。そして荷物を再編成して関東に送り出した。その様子を下にまとめてみた。




 だいたいの箱詰めが完了。




 輸送困難な大型本棚を解体。
 処分費を払うことはやぶさかではないが、月に何度もない回収を待つこともできず、けっきょく砕いてゴミ袋に詰めて、可燃ゴミとして廃棄した。





 解体に用いた道具は特殊警棒一本である。最初はのこぎりを使っていたが、この方が速い。




 最後に本の仕分け。もう二度と読まないであろう本とそうでもない本に分ける。前書きと、無作為に選んだ2〜3ページだけ読んで判断。一夜にして行った。




 自衛隊で最も多く使われている73式大型トラック。そのAT仕様。
 もちろんこれを使ったわけではない。




 乗用車の後部座席にテレビとテレビ台、トランクには寝具に書籍。
 FFなのに前輪が浮いて、安定性に問題が。




 前から見るとこんな感じ。




 この日のために動員したステップワゴンにパソコン一式と雑貨を詰める。
 かなり過積載。こっちはかなり前輪が浮いた。4WDでなかったら、山越えが大変だったかもしれぬ。




 中の様子。行商人みたいだ。




 コラムシフトのようで、そうでもないシフト。基本的にはDレンジしかなく、O/Dボタンで3速〜4速をコントロール。このようなシフトを自分で操作したのははじめて。重すぎて、オーバードライブは一度も入れられなかった。




 吹雪く日勝峠。道央と道東との交通のボトルネックたる山道。
 冬場はあまりというか、かなり走りたくない道である。




 そして神奈川。実家で物品の保管・廃棄・輸送を判断して分けて、輸送するものだけを搬入。
 札幌ではものが多すぎて引っ越し後の整理が困難極まった。その教訓からだいぶ物品を減らしたため、ものをどこからどうやって所定の位置に配置していくかはだいぶ楽ではあった。しかしそれでも部屋の規模より物品が多すぎるのは確実。




 なんとかダイヤルアップでネット接続。モデムはノート用のPCカード型のしかない。
 電話料もISP料金も従量制。
 早期のADSL開通が望まれる。




 部屋は片づいてきたが、ゴミは一筋縄ではいかぬ。
 川崎市はゴミ収集回数が多くて助かった。札幌ではゴミの置き場にもっとも困ったので。 


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