空前絶後の新勧コンパ
2003年04月19日(土)
本日は、古巣に於いて新勧コンパが行われた。「新勧」と書くのは「全ての対新入生行動は勧誘である」という私個人の大学時代の発想の名残で、現役部員は「歓迎」の方の「新歓コンパ」と称するようである。まあ、それはよい。
OB用集合場所に時間より早めに行くと、すでに数人の部員が待ち受けていた。4年生が1人と、2年生が1人、あとわざわざ先遣隊として随伴してきた新入生2人の4人。4年生は同時代を1〜2年過ごした後輩なので、彼の顔はすぐにわかった(1〜2年とブレがあるのは、大学卒業と部の引退の年が合わないせいである)。しかし、部のシンボルであるエモノもなく、私が後輩を部の人間と認識できなかったら、ランデブーできなかったかも。まあ、そういう場合の対処は、後輩が考えることだ。
そして顧問であらせられる法学部教授を現役部員と一緒にお迎えし、他のOBとも合流してから会場の居酒屋へと向かった。道中、新入生とちょっと話したが、私が大学を留年したと聞くと、すっげー不安そうな顔になったような。「ここの部には、こんな与太者しかいないんだろうか。というか、この部に入ると留年してダメ人間になるのか」と思われたら困るので、私が業界トップの会社に就職した旨も伝えておく。新入生は希望とプライドと、それでもなお将来への不安があることだからね。気の利いたアドヴァイスになったかどうかはわからないが、経理について話しながら歩いた。
さて、会場の居酒屋には、後発の本隊が別ルートですでに到着していた。その人数には目を見張ったね。居酒屋の前の道路の左半分を占拠しているではないか(他の歩行者の迷惑を最小限にするため、上級生の不断の指揮によって右半分は空けている)。しかも、その帯は長い。
私が一年のときは、全部員合わせても10人ちょっとであった。そのうち6〜7人が新入生、つまり私の同期だったのだが、この人数でさえも当時の先輩方は「今年の新勧は大成功だ」と手を取って大喜びしていたものだった。それが年々部員を増やし、もちろん途中で道を分かつ者も相対的に増加はしたが、それでも毎年加速度的に部員総数は増加した。部の歴史上、何人もいなかった女性部員も連続して入り始めて、女性部員もまた一大勢力となった。今年はさらに女性比率が高まったような気がした。
何もかも、スケールが違う。
居酒屋に入ると、ひとつのフロアすべてを我が部が占拠していた。コの字形の空間に、総勢約70〜80人(未計測。推測値)もの部員が流れ込む。しかし、現役部員はさすが大人数時代の寵児。人の流れと荷物の扱いには慣れたものだ。大した混乱もなく入場が為された。
私は動乱期の部員であった。少人数マイナーサークルから、大人数サークルへと移り変わる過渡期を私は過ごした。少人数時代は、すべて皮膚感覚で伝達と調整が行われ、すべての仕事を総動員で行い、誰もが兄弟のように日常的に一団で行動していた。しかし、人数が大きくなるにつれて、そうした感覚だけではやっていけなくなってきた。扱うカネも確保する場所も巨大化し、個々人の利害も多様化してきた。そこを昔のようにやってきたため、様々な齟齬と不利益が生じた。冗談と温情だけでは、許されない問題が生じ始めていた。
それに対して「実務運営」という概念を導入して、運営から情や馴れ合いを切り離し、稽古という内部価値だけによる外部との契約無視などを抑制する口火を切ったのが、私だった。その闘いは一筋縄ではいかず、闘争と葛藤と暴力、オルグとクーデター・・・様々な力学が蠢動した。私も様々なものを失い、不当な暴力や、正統性なき干渉・介入にも晒された。しかし、この闘いは後輩達が受け継ぎ、ついには部は行政制度と意思決定制度を確立し、安定期へと至った。
今は、政治的には安定期なのだろう。だが、人数が多ければやはり、それだけ指導者は苦労し苦悩することであろう。今日一日見ても、主将無名氏(仮名)は様々なことを気遣い、各上級生も己が職責を全うせんと奔走していた。それでも、うねる大人数が発する得体の知れぬ力学。もう、私には想像も出来ない時代になっているのだろう。
今と昔とを比較して、いいとかわるいとか、そういう価値判断はしない。ただ、もう私にとっては別世界になったという感は否めませぬ。
しかしそれでも、空気というか雰囲気というか、受け継がれるものは受け継がれるのである。
ちょっと安心した。