PGO氏祝賀会、やはりパセラ
2003年05月30日(金)


 大学時代の部の後輩PGO氏(仮名)が進路を決定した。今日はそれに対する祝賀会である。
 参加者は私、そして美津濃氏、П氏(両者とも仮名)。計4人である。
 多摩センターのモノレール駅前に集合とのことだが、私が到着したときにはまだ誰もいなかった。自分が一番最後かと思ったのだが、約束の時間の5分前に誰もいないとは。主賓のPGO氏はともかくとして、他の面々、特に今回の集まりを発起して幹事を自称する美津濃氏にはもう少し早く来て欲しかったものだが。




 そしてП氏が訪れる。私がいきなり行ったことは、同人誌の交換である。私からは分厚い小説を、П氏からはシスプリ本を。帰宅する勤め人や学生が行き来する中、П氏はこれらの本を隠しながら受け渡しした。だが、私は片手で持てるだけ持って広げ、写真など撮ってみた。



 何分もしないうちに、幹事たる美津濃氏、そして主賓のPGO氏が訪れる。美津濃氏はスーツ。ファッションスーツに半袖のカラーワイシャツという、まったとうな就職活動ではとても着られないような出で立ちであったが。そしてなんと、駅前でいきなりリボンで作った花を取り出し、「幹事」などとマジック書きなどしおる。何でも彼は、葬式のときに見た「喪主」と書かれたリボンに憧れて、今回似たようなものを作ったとのこと。




 その姿に対抗して、今度はП氏もスーツらしい上着を取り出し、ネクタイなど結ぶではないか。しかし高校は学ランで、就職活動の類とは縁のない彼は、結局PGO氏にネクタイを締めてもらうのであった・・・。傍目には、今まさに絞め殺そうとしているように見えたが。
 それにしてもこのネクタイ。なかなかうまく締まらない。長すぎるのだ。それに生地が安すぎる。全く滑らないし、すぐにシワになる。ネクタイには「GUCCI」「SILK100%」などと書かれているが冗談でしょう。П氏によれば、これは100円で購入した品らしい。そしてスーツもまた、何かが間違っているような。スーツというよりも、「スーツを模した何か」にしか見えないような。値段は聞き忘れたが、これも激安衣料の類らしい。


 PGO氏は「二人してスーツなんぞ着て、『お前はこれからこういう格好して四六時中過ごすんだ』とでもいいたいのか!」と宣ったが、それは違うでしょう。二人ともまともなスーツを着ることなんてないから、こうしたまがい物を着て、ちゃんとしたスーツを着るPGO氏を高めているんのではなかろうか。


 さて、今回の会場はすかいらーくガーデンズ。一般の居酒屋ではなくて、敢えて趣向を変えてメシ屋にしたのだ。美津濃氏が購入した割引券を使う好機である、という理由もあったのだが。数千円も喰わないと値引かれないというこの割引券。団体でなければ使うことはない。さらにはタダでもらった券ではなく、購入した券だからなおさら使うことに執念を燃やすこととなる。


 店に入って、人数と喫煙席か禁煙席を聞かれるが、美津濃氏は即座に喫煙席を要求。実はPGO氏、禁煙3日目なのである。私も消極的禁煙(自分でタバコ・ライターを買わない、持ち歩かない)をしばらく続けていたが、ここ10日ほどは完全禁煙に移行している。П氏は基本的には吸わない。つまり、タバコを吸うのは美津濃氏1人しかいない。そこで喫煙席に即断で決めるとは、挑発的だ。
 席に着くや否や、磁器で出来た灰皿が割れるのではないかという勢いで、美津濃氏の眼前に叩きつけられる。
「吸え」
 美津濃氏は涼しい顔でピースのスーパーライトを取り出して一服つける。




 まずは1人1杯ずつカクテルを注文して乾杯。その後、取り分けられるピザやパスタ、サラダの類、そして赤ワインを一本頼んだ。
 乾杯と祝辞らしきことの後は、なにやら話した。しかし、食事処、特にこのような小洒落た雰囲気を演出した場所でするのにはふさわしくない話をしたのは確実である。その内容を家母得ている範囲で書き出してみよう。
・明治大学の話
・コミケへの参加目的と、原体験の希求について
・変なことをするのに抵抗が生まれてきた
・電気で動くよからぬ器具を動作させたまま机に置き、他部会を引かせた話
・合成樹脂製のよからぬものをテレビの上に放置したまま、電気屋にビデオデッキを修理させた話
・オギノ式の迷妄とローマ・カソリックについて
・簡単に有名になるためには
・テヅルモヅルについて
 などなど・・・。



 今回は美津濃氏がCanonのIXY DIGITAL400を、私が富士写真フィルムFinePix A303を、そしてП氏が廉価デジカメを持ち込んでいた。П氏のデジカメは、35万画素クラスのよくある廉価デジカメである。光学ファインダーを装備し、もちろん液晶ディスプレイはない(枚数表示だけはある)。ストロボもなく、全天候性はない。メモリは内蔵でUSBで吸い出す。私も学部時代には似たような廉価デジタメを持ち歩いていた。しかしП氏のこのデジカメは、なんと動画撮影も可能という。しかも値段は1980円とのこと。私が持っていた廉価デジカメは、1万円前後はしたものだったが・・・。ちなみに動画は音声なしで、わずか2秒可能とのことである。1980円でこれだけ出来れば十二分かと。


 ガーデンズでワイン1本を開け、食事を終えた後、我々はゲームセンターに繰り出した。カーレース、ビートマニア、ガンシューティングなどを少しばかりした後、2:2でエアホッケーを行った。こういうゲームは高校以来ほとんどやったことがない。しかしこのゲーム、パックを敵陣地内の壁に向かって強めに打てば、結構点数は入るものである。だが防御がいかんともしがたい。守る方がコツがいるのだろう。すべてのメンバー組み合わせで対戦したが、私が組んだチームは必ず敗北した。防御に難ありということか。




 その後はカラオケ。もちろん多摩センターのカラオケ屋に入り、1時間半のコースで部屋に入った。だが、セガカラは今ひとつ物足りない。いくつかの歌が減らされている気もした。これはやはりパセラしかないということか。PGO氏がそういうと、私もこれはパセラしかないと同意。前哨戦として多摩センでのカラオケを1時間半終わらせ、PGO氏と私がでは新宿まで出るかというと、美津濃氏とП氏は「本当に行くのか!」「ネタじゃなかったのか」とのこと。甘い。冗談なわけないでしょう。パセラは行けるときに行く。これが鉄則。
 ちなみにPGO氏は翌日も別の人々とパセラで徹桶、そして月曜日にもまたしても別メンバーと徹桶。今日行けば2連続で徹夜カラオケになり、翌々日に再び徹夜カラオケとなる。やはり大学時代にやれることはやるということである。




 終電少し前の京王線上りで新宿に向かう。この時間の上りは空いている。П氏は私が貸したよからぬ同人小説を読み、他の面々はなにやら話しつつ新宿への時を過ごした。




 新宿到着直後、我々はマクドナルドへ入る。まずは腹ごしらえということか。ガーデンズで少しずつ取り分けた料理では腹が減った。しかしPGO氏はハンバーガー3つ、美津濃氏はハンバーガー2つ、П氏は1つ。そして私はてりやきバーガー1つを注文。2つも3つもよく食えるものだ。しかしPGO氏は「あと3つぐらいは軽くいけますよ」とのこと。恐るべし。


 それからパセラへと向かったが、今夜の歌舞伎町界隈は混み合っていた。この時間の歌舞伎町は大学入って以来数え切れないほど闊歩しているが、こんなに混んでいたことはないのではなかろうか。2ヶ月前にもこの時間訪れたが、こんなに混んではいなかった。金曜の夜だからか?ポン引きなんかは昔から山ほどいたが、今夜はホストらしき黒ずくめが非常に多かった。女性相手の客引きなんだろうけど、その手口の強引さといったら。風俗店のポン引きあたりが男(特に酔っぱらいやバラガキ)に対してやったら、その場で殴り合いになりかねないやり口だ。その手の業界も客不足なのか。しかし、相手が女だと思って手当たり次第に掴みかかるやり口はヘドが出る。また、客引き以外にも学生やサラリーマン、バラガキ、よくわからない人、ホームレスも非常に多かったが、やたらと殺気立って当たりまくっている奴もしばしば目にした。
 歌舞伎町ゲートの前後1区画がこのように非常に混み合っていたが、2区画離れると私が記憶していてる「いつもの夜の歌舞伎町」程度の人口密度になった。いったい何であんなに混んでいるんだ?私が1年間東京を離れているうちに世の中激変したのかとも思ったが、PGO氏も「今日は人多かったですね」とのこと。やはり、今日が特別混み合っていたのだろう。



 さて。パセラである。やはり一度パセラに来たら一般のカラオケには不満を覚える。まあ、カラオケに行く機会自体、大学時代の人々との会合がないとまずあり得ないのであるが。
 もちろん歌われた曲目などはあまり覚えていないが、今回は特撮ものが多かった気がする。なんでも美津濃氏が映像が出る東映のカラオケにハマり、次々と戦隊モノやライダー・シリーズ、ウルトラマンの類を入れまくっていたので。私も対抗して「ダイナマン」や「ウルトラマン・レオ」なんかも入れていたが。そして二次元曲も存分に歌ったが、「農耕士コンバイン」の歌詞を覚え切れていなかったのが悔やまれる。次にはぜひに「愛國戦隊大日本」とセットで歌いたいものである。


 それにしても、金曜の朝いつもどおり6時台に起きて、それから酒を飲み、カラオケ梯子しての徹夜はさすがに応えた。パセラに於いて午前5時頃から意識が遠のきはじめてきた。甚だしきは、歌いながら意識が落ちかけた。ここまで朦朧としたことは今までなかった。やはり徹桶前には夕方まで眠ることが必要なのだろうか。それとも単純に年か。
 やはり、もっと徹桶に行って慣らしていくべきなのだろう。というわけで、また遠くない将来にパセラには行きたいものである。忘れた曲、仕入れていない曲が目立ってきたので、そうした準備もしなければな。


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