「貧農史観を見直す」新書・江戸時代3 講談社現代新書1259
佐藤常雄、大石慎三郎著、講談社、1995年
江戸時代の農業および農業従事者に対しては、様々なステレオタイプが跋扈している。時代劇や時代小説、あるいは明治以降日本に持ち込まれた社会科学(極言すればマルクス)の生産と階級に対する分析の影響で、次のような百姓観が発達したのではなかろうか。貧乏で過酷な年貢に苦しめられ、武士階級には徹底的に迫害され、しばしば大した理由もなく殺される。働けども暮らしは楽になるどころか、明日も昨日もなくただ耕し、今日の糊口をしのぐ。もちろんこうした農民の姿というものもあったことだろう。しかしこれだけでは江戸時代の農民をわかった気になるのは早計であると、本書は指摘している。
江戸時代(とひとまとめにはできないが)の農業生産力は、昭和30年代の農業と比較してもそう遜色はなく、農民は豊かであった。あるいは、時代や地域によっては豊かな農民も少なからずいた。そして封建領主は西欧のように農村に常駐せず、庄屋や百姓頭など百姓の統括者が他の農民を統括し、武士が農村を徒に跳梁して悪行三昧するようなことはあまりなかった、それどころか農民は不足しており、保護されていた。そして稲作だけではなく各種商品作物も盛んに栽培され、現金収入は農民が様々な道楽を享受することを可能にし、農村文化が発達した。そして、農業の改良が積み重ねられて農業書が各地で残されたが、これは農民の知的水準が高かった、あるいは大抵の農村に教養のある人間はいたということである。そして飢饉がしばしば発生したのは農業生産力が貧弱だったのではなく、幕藩体制下で流通や配分がうまくいかなかったことで、凶作の際の被害が広がった面もあると指摘される。
このように本書は史料から当時の農村生活を描き出して、貧乏で無教養で、昨日も明日もないような貧農観に揺さぶりを与えようとしている。もちろん、江戸時代を通してすべて地域のあらゆる農民がこのような生活を送っていたわけではなく、地域差時代差はもちろんのこと、同じ村落でも階層は広がり、貧富差もあったことだろう。貧乏で苦しんで、向上心さえ持つ余裕もない農民も少なからず存在したことであろう。この本一冊で農民生活を思い描くことなどはとてもできまい。ただ、農業の専門家でもなく、まして歴史や文化の研究者でもない私にとっては、既存のイメージのような農民生活ばかりではなかった、というインパクトを受けただけでも十分に読んだ意義はあったというものである。今後「江戸時代の農民」を考えるとき、自己のステレオタイプを積極的に疑うことを忘れなくなることであろうて。