老頭児席にて納会参加
2003年07月05日(土)
大学時代の古巣に於いて、今日は納会が開かれた。前期稽古納めの後、4月からの数ヶ月間を振り返る「納会」が開かれ、その後打ち上げが行われるのが通例である。本来は反省会としての会議を「納会」と呼ぶのだが、OBである私は飲み会のみ参加した。
新勧コンパの際はOBの参加はわずか5名程度。最年長は私であった。しかし今回は10人程度は集まった。私が大学1年次に主将であらせられたГ氏、同期のF氏(いずれも仮名)などの姿も見え、1つ下2つ下の後輩も数人見られた。
「漢は携帯を持たぬもの也」と言ってはばからなかった人物が、ついに携帯電話を所有していた。
私が大学2年のときから携帯電話普及率は爆発的に伸び、3年次には90パーセントを超えた。だが彼は頑なに電話を持とうとしなかった。部でわずか3人程度の「携帯無し」になろうとも。しかしその彼もついに携帯を持ち、Eメールを使い、あまつさえ端末に付いているデジカメでよからぬものを撮りまくるとは。時代は変わったモノである。
ちなみに彼が撮っていたものは「ラブやん」1巻の牛だったりする。
さて、飲み会に於いて私は、他のOBあたりと「ロートル席」と称して2人3人で座って他愛のない話をしていたが、現役部員でここに切り込んでくる兵も少なからずいたものである。60式自走無反動砲がどうしたとか、陸ドムが果たした役割だとか話しているときに乗り込んでくるとは、ただ者ではない。1年生部員でも相当に造詣のある人物がおり、また女性部員でも想像以上に**迷彩がいいとか語る者がいようとは。部は安泰である。
私は今回ミノルタのXtを持ち込んだが、このコンパクトデジカメは夜戦ではほとんど役に立たない。ストロボが弱いとは聞いていたが、ここまでストロボが届かないとは。実質2メートル程度しか照らせない。その上AEが敏感すぎるのか、ストロボを焚くと近くでちょっと反射した箇所に合わせて絞りを閉じてしまう。結局ごく近くまでしか映らない。ここはスローシンクロやストロボなしでシャッタースピードを落とすべきなのか。まあこの手のカメラでマニュアルモードは使いたくないので、ちょっとした工夫でなんとかしたい。
ちなみに私のXtはタマ数が少ない赤である。このカメラを見た人間の少なからず人間に「晴天さん、随分ファンシーなカメラ持ってますね」と言われたものであった。私が「シャア専用だ」と応えると「それはジョニーライデンですよ」と全員に返された。この色を見ると、誰もがそう思うものなのであろうか。
1次会の飲み会で失礼して終電で帰るつもりだったが、例によって終電は終わった。時間に神経質な私は、本気で帰るつもりだったら少なくともこの場は席を立ち、改札前まで歩くぐらいのことはしている。例え先日のように間に合わなくとも。席さえ立たなかったというのは、どうでもよかったのである。そして、私が帰られないということは、もっと遠くに住んでいるГ氏も帰られないということである。
結局というか当然のように、二次会のカラオケにも参加することに。
確か1次会参加人数は78人と聞いた。空前絶後の数であり、納会としては史上最高人数らしい。私の大学1年次は10人ちょっとしかいなかったものだ。Г氏曰く、「オレの3年のときは10分の1だった」とのこと。1997年からはじまった上昇基調の人数増加はここまできたか。幹事諸氏と主将閣下のとりまとめの苦労が忍ばれる。
1割ぐらいは1次会で帰ったが、相当数がカラオケにも参加した。しかしカラオケ店が用意した部屋はVIPルーム2部屋。つまり、(その気になれば)20〜30人は入る大部屋である。他の部屋が空き次第、分散して使っていくとのこと。最初はソファからも人が溢れかえっていたが、やがて部屋は広くなった。夜が更け、朝が近くなるにつれて死人が増えていったが、人々が寝るのにはちょうど良い。
私はOBがあまりマイクを握りしめるものではないとして、ごくたまにしか曲を入れなかったが、人数が減り、残った人々も寝るにつれて曲の予約がほとんど入らなくなってきた。ならば歌うしかない。二次元的人間ばかりが集まったのか、やたらとロボットものばかりが歌われるようになり、私も「D4」や「CCS」なんぞを歌ったものであった。かような曲を歌えるとは、今の部にもまだまだダメ人間の遺伝子が生きているということなのであろう。いや安心である。
そしてカラオケが終了したのは5時。それから始発をまって各々帰途についたが、まだまだカラオケだろうと他のことだろうと出来そうな気がしていた。まあおとなしく帰ったが。最近徹夜やアホな所業が増えてきたから身体が慣れてきたのか、それとも疲れていることにも気づかないのか・・・。
今度古巣の敷居を跨ぐのは、学祭のときになろうて。