美津濃氏来襲し、手抜きマンガを観る
2003年07月17日(木)


 所用で数日家を空けていたが、今日の昼過ぎの便で羽田空港に戻った。それからリムジンバスで川崎のバスターミナルに向かった。その間、大学時代の後輩・美津濃氏(仮名)とCメールで内容に乏しいやりとりをしていたら、「久しぶりに会おう」という話になった。そして久々に美津濃氏が私の家を訪ねるとのこと。
 まず私が自宅に戻って荷物の整理や喚起などをし、しばらくしてから美津濃氏がやってきた。が、我がアパートへの道がわからぬとのことで、私が駅に迎えることとなった。




 普段は私が美津濃氏宅に出向く。彼が私の家を訪れるのは、川崎に於いてはこれで二回目。大学時代に於いてもあまりなかった。美津濃氏宅の方が広く利便性が高く、来客によってカスタマイズされまくっているパソコンやヤマト積み上げられた薄い本など、遊べるものも多いしね。
 敷居を跨いだ美津濃氏は、腰を落ち着けるや否や、カバンからやおらマンガ本を3冊取りだした。彼が最近ハマり出して全巻揃えた「魔探偵ロキ」の4・5巻と新シリーズ「RAGNAROK」の1巻。なぜ3冊かというと、彼がご執心のスクルドが登場するのがこの3冊だという。まあどことなく「まんがサイエンス」のあやめちゃんのようで、彼が好きそうなキャラである。正に脇役でほとんど出てこないキャラのために、全巻揃えるとは・・・。


 そしてちょっと読んでみたが、これがまたなんとも言えないマンガで。作者の漫画家としての資質を否定するつもりはないし、作品そのものを侮辱するつもりもなく、キャラクターを貶める気もないのだが、「手抜き」というコトバは言わざるを得ない。キャラクターの見分けは困難で、例えばヒロインのまゆらと脇役のスクルドなんかは、少し目が慣れないと見分けが付かない。これはちょっと慣れるとわかるようになるが、黒髪のキャラ(名前は忘れた)は3人ほどほとんど区別がつかないし。それに、コマ割りがよろしくなくてシーンが飛ぶ上に、話がいきなりねじ曲がり、収束したとも言えないまま終わってしまったりも。一読で話の筋を把握するのは困難を極める。というか、ほとんど不可能であろう。


 解釈に骨が折れるマンガというのは、それはそれで読み応えがあると言えなくもないし、キャラクターの見分けが付かないのも珍しいことではない。それはまだ看過できるとして、肝心のシーンを描かないというのはどうあがいてもマイナス評価にしかならない。アクションで敵を倒したり、技をぶちまけたりするシーンは、何も描かれない。擬声語擬態語が目一杯かかれたり、コマ一面黒塗りや斜線で潰してごまかしたり。もちろん、肝心のシーンを描かないというのも、表現技巧としては珍しいことではない。だがこの作家は描かないのではなくて描けない。巻を経るごとにキャラクターや服飾、背景はうまくなっているが、戦闘やアクションは描かないからうまくならない。これは作家としてはいかがなものかと。
 多分この作品はキャラクターそのものの魅力と、キャラクターたちが醸す雰囲気を表現するセンスが売りであろうて。読み手は精緻な戦闘シーンや大迫力のアクションなんかは期待していない。主人公がスマートに悪漢を倒す、という「事実」を提示されれば読者は脳内補正してしまう。苦手なものを描かなくても読み手はよしとするし、締め切りは迫る。だから、このまま手を抜くところを固定化させてしまったのだろう。いくらこのやり方で売れていると言えども、こんな姿勢ではいつまでたっても作家としての発展などない。


 一方でもちろんアニメ版は肝心なシーンを描かないなどという手法を使うわけはなく、原作よりもしっかりと作り込まれているそうだ。近年のアニメとマンガの関係として、「さして大したことがないが、キャラクターがかわいらしかったり、気が利いていた設定だったり、という一点や二点のためにそこそこ人気のマンガ」が、アニメ化されるに当たってはじめて真っ当な作品として補完されるというパターンがある。これもまた、そうしたマンガでしたか。
 美津濃氏はこういう未完成なマンガをお好みのようだが、私としては作家の力量不足ないし手抜きを看過するようなマンガは好きにはなれないものであります。


 夜も更けてきた。夕飯を食っていないため、我々はコンビニ弁当を買いに行った。我が家の近所では結構歩いたところにある一軒のコンビニ以外に、夜間メシを買える場所はない。ここでコンビニ弁当を買うなんてことは来客時以外はあり得ない。普段は自炊だ。




 部屋にもどって、さあ食おうかというとき。美津濃氏が奇声を上げた。何事かと見てみると、フタを開ける際に、危うく弁当をひっくり返しかけたようだった。「危なかった。弁当ひっくり返すところだった」と美津濃氏。ひっくり返さなくてよかったと私が思う間もなく、美津濃氏は言う。「弁当食いっぱぐれるところだった」と。
 なるほど。私の部屋に油脂とマヨネーズ満載の土方弁当をぶちまけることよりも、自分が一食食えなくなる方が大事ですかい。絨毯にそんなものひっくり返されたら、原状回復できないかもしれない。絨毯を丸洗いするにせよ、買い換えるにせよ、重い家具の下になった絨毯をひっ剥がすのは一苦労だ。二度と動かさないつもりで家具は設置してある。私にとっては絨毯を派手にやられるというのはけっこう恐怖なことだ。油脂まみれになると虫はよってくるし、うかつに本や書類を置くと汚れるし。


 まあ、何はともあれ、弁当はひっくり返さなくてよかった。無事にメシを食い終えて、我々はまだ食い足りないのかスナック菓子なんぞを喰らいつつ談笑なぞする。そこで彼は、スナック菓子を触って汚れた手を絨毯の上でほろう。彼の手に付着した菓子の油カスはもちろん絨毯の上だ。断言できる。私は人の家でこんなことしたことないよ。必ずちり紙で拭っているから。せめてカッコウだけでもゴミ箱の上でやってほしかったよ。つまり、うちの絨毯は油カスをまきちらしてもいい、と?上等だ!!


 これは報復か?私が美津濃氏宅に散々入り浸り、灰皿で蛾を焼き殺し、ロウソクを立てて儀式を行い、タバコを無断で吸い、飲料水や食料を浪費し、あまつさえパソコンをダメ人間仕様に改造したことに対する報復なのか?なわけはないか。いやはや。
 けど、冗談はともかく、こんな些細なことでも他者への無神経ぶりを示し続けていたら、自分が知らぬうちに敵を増やす。些細なことから人間関係は悪化するし、くだらないことでも積もり積もれば相手を見る目が替わってくる。断っておくが、私は「オレの前だからいいけど、他の人の前でこんなことしたら大変なことになるぞ」などと、第三者を持ち出して冷静さをアピールし、注意勧告をしてやっているという優越性をもアピールする、などというまどろっこしい言い方をしているつもりはありません。私の神経に少々障った、ということです。要するに。
 ま、お互い、気になったことは即座に指摘していきましょう。でなければ、短期的な忍耐や誤解が、長期的な殺し合いに発達しうるからね。


 メシを食った後も「ロキ」や「ガンスリンガーガール」のことなど話し、「ドッコイダー」の録画を観て圧倒されなどした。そして結局、雨が降ってきそうとのことで美津濃氏は我が家を後にした。結局、今日はマンガを読んでテレビを観て終わったような・・・。


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