「ロシア・ソ連人の日本観 なぜ北の隣人はわれわれの文化に敬愛の情を抱き続けるのか」
木村明生著、PHP研究所、1984年
日本人がロシアに対して抱く感情は、かなりよろしくない。ソ連時代は、仮想敵国として北方脅威論がしきりに叫ばれ、そこに住む市民は極度の管理社会に於いてモノも言えないところだ、と侮蔑や憐憫やしばしば憤怒を込めて語られた。共産主義のモデルとして、ソ連があらゆる公害や差別や貧困から自由な理想社会である、と観ていた人々も日本に存在していたが、その実態が明らかになるにつれてそんなことを思う人はいなくなった。ソ連が崩壊した後のロシア連邦に対するイメージも相変わらずよろしくない。ロシアは経済の破綻した貧しい国であり、マフィアがはびり兵器が横流しされる危険な国でもあり、そこに住む人々は悲惨極まりない生活をしている。そんなイメージが支配的である。
一方のロシアは日本をどう見ているのか。そのことについて関心を持っている日本人はあまり見たことがない。私は多少なりともロシアに関心があるので、その点は気になっていた。だけれども、なんとなく西欧の白人が東洋人を蔑視するように冷たい見下した目を想像していた。ヨーロッパともアジアとも言い難い地理と歴史を持つロシアでは、自分達が「ヨーロッパ人」であるということを証明するために東洋人を強烈に侮蔑しているのではないか。19世紀のアメリカで、後発移民のアイルランド人がアングロサクソンから迫害されて、自己の尊厳の拠り所としたのは「白人性」を確認すること。そのためにアイルランド系移民は黒人を強烈に迫害したという歴史がある。抑圧された者同士が連帯するなどというのは幻想である。だからこそ、ヨーロッパ、特に西欧からは辺境の野蛮人扱いされてきたロシアの人々は、東洋人に対して侮蔑的感情を強烈に持っているのでは。と私は考えたわけだ。
勝手に考えていてもよろしくない。たまたま行った図書館でロシア人の日本人観を扱った図書を見つけたので早速借りてきた。それが本書である。本書では、次のようなロシア人が日本をどう捉えていたかを引用してロシア人の日本像を描こうとしている。箱館に監禁されたゴロヴニン、東京外国語学校の教師として来日したメーチニコフ、日露戦争講和交渉に当たったウィッテ、欧米に於いて「日本学の父」とされたエリセーエフ、ソ連に於ける日本学の権威コンラド、日本の民俗研究に没頭したネフスキー、戦後初の文化使節として来日したエレンブルグ、「プラウダ」特派員オフチンニコフ。ほぼ170年間の幅があるが、いずれも日本に精通したロシアのインテリである。
彼らの残した著作に共通することは、日本の文化に対する敬意である。日本人の生活の中に人間中心観や民主的下地を見出し、美的感覚や自然との調和を讃え、鎖国の中でも生き続けた学問への情念に驚き、例えば「模倣」「封建制」「臆病」など欧米人が日本の欠陥として掲げ、日本人自身もそれを認めているようなことに対しても、まったく違った視点からステレオタイプを砕くような鋭い考察を加える。もちろん手放しで褒め称えているわけでもなく、家の中では清潔だが街頭ではゴミを撒く二面性など、不快に感じたところは容赦なく批判している。しかし彼らは一様に、日本の精神風土に対して好感を抱いているようであった。
捕虜になった海軍士官や講和会議に引っ張り出された引退政治家を別にすれば、あとの人間の大半は東洋が好きで日本語や日本について学びだした人々だ。それに誰もが富裕層のインテリであり、彼らの言だけで「ロシア人が日本に対して好感を抱いている」などと断ずることなどできない。しかしそれでも、ロシアに於いて真っ先に「日本学」なる学問が興隆し、ロシア人学者がアメリカやフランスで日本研究の第一人者となったこと。そして、ロシアに於いて日本に関心を持てば、すぐに日本研究をしている大学が見つかることは、無視できまい。ロシアで日本研究が始まった契機は、漂着日本民だったりゴロヴニンの体験記だったで、単に地理的に近く軍事や通商の面で研究する必要があったから始められたことなのかもしれない。しかし、日本を研究しているうちに学者が日本に惚れ込み、しかも捕虜になった海軍士官や敗戦の講和を交渉した代表までもが、日本に対して暖かい目を持つに至ったということは、彼らの目に日本人が好ましく映る共通した原因があったのかもしれない。そして、こうした日本と触れ日本を研究した人々の著作が読まれるということは、ロシアに於いて日本への関心は小さくないということなのか。
とにかく、本書はちょっとした読み物に過ぎず、しかもやや古いために、簡単にものを言えるようにはならない。なんにせよ、例え一部のインテリ層に限定されることであろうとなかろうと、ロシアに於いて日本がかくも関心を持たれ、そして研究が盛んに行われているということは意外であった。日本からは大した関心も持たれず、かくも悪感情が持たれているのに対し、ロシアからはそれほど冷たい目が注がれていないのかも。今後もロシア人の日本観については調べていくつもりだが、その導入としては手頃なものあった。