地震直後、釧路一時帰省
2003年09月27〜30日(土〜火)


 今月末に土日と合わせてまとまった休みがとれることは、前々から決まっていた。そのために航空券もマイレージで取っていた。だがよもや、道東で地震が発生するとは思わなんだ。地震発生から1時間ちょっと経った午前6時頃にニュースで知ったのだが、さして焦りも心配もしなかった。釧路では震度6クラスの地震などはたまにある。私も2度体験している。親の携帯電話のE-mailを入れてみたら、もちろん後かたづけ等で起きていた(そうでなくとも、再び寝られまい)親から人・猫・モノに大した被害はない旨の返信が返ってきた。


 ちなみに私は、愛郷心のカケラもない。親に猫といった家族や釧路に残っている数少ない友人なんかは、私にとって非常に重要だ。実家の家財・経済基盤といったものも極めて重要だ。日本経済−というか私の経済基盤や今後の指針に対する影響も、非常に気に掛かる。だけれども他のことに関しては、バングラデシュの洪水やマダガスカルの干魃、中央アジアの大地震なんかと、道東の地震も私にとってはさしてかわらない。遠く海外となると大げさかもしれないが、同じ日本の行ったこともない土地が台風や地震に襲われるのと、感慨に大した違いはない。身体的経済的被害を受けた方々の実情を知れば心が痛むし、すぐには見えにくい商売上の被害に対しても気の毒になってくる。だが、「郷里だから」どうということはない。


 だから今回の帰省は、実家に深刻なダメージがあったから急遽帰ったわけではなく、郷里の災いに対して馳せ参じたわけでもない。自分の家族という限定された範囲では実害は大してなく、帰省は予定通りの休暇にすぎない。それを言いたかったわけである。
 ま、帰省するに当たっては、様々な方々からお見舞いのコトバや心配を頂いた。それは大変ありがたかったのだが、話をややこしくしないために、「地震があったから帰る」というような話の流れになったら敢えて訂正もしなかったし、自分でも「ただの休暇だ」とは言いにくくなった。だが、この点はここで訂正しておきます。




 釧路空港では管制塔の天井が落ちて、地震当日の26日の便は最終便以外すべて欠航となった。逆を言えば、最終便からは動き出したということである。27日に予約していた便は、通常通り運行された。乗客は多く、ほぼ満席。現地支社の被害調査や救援、ちょっと遅いが報道、被災した家族の見舞い、通常の業務としての出張、観光帰りなど、様々な人が乗ったことであろう。そしてこれから釧路に観光へ行くという人も見受けられた。




 釧路空港にて。手持ちでシャッターを4秒開けたため、かなりぶれてしまったが、空自の輸送機川崎C1である。出発前にニュースで観たところによると、佐藤剛男内閣府副大臣を団長とする政府調査団が自衛隊機で釧路に向かったとのこと。これは、その機ではなかろうか。


 混み合っていたため、到着時には釧路空港2階の出発ロビーなど見なかったが、出発ロビーでは数十平方メートルもの吊り天井が落下して、砕けていたらしい。もちろん26日のうちにそんなものは片づけていたが、地震が早朝ではなく昼や夕方だったら、必ずやこの天井によって死者が少なからず出ていたことであろう。他人事ではない。恐ろしい。


 空港を出てからは車で実家へと向かったが、心なし傾いた電柱はたまにあったがとくに被害らしきものは見あたらなかった。電柱も、今は気になってあれはおかしくないかと思って見るが、昔から傾いていたのかもしれない。道路状態は良好で、10万年前の釧路沖地震のようなひび割れや崩落のようなものは空港〜釧路市内の間には一切なかった。崩れた家、崩れ落ちた煙突といったものも目にしなかった。ちょっとした被害などは、昨日のうちに片づけていたのであろう。
 被害が少ないのはいいことだが、関東では家が潰れた、道路が陥没した、船が乗り上げたと騒がれていたため、ちょっと肩すかしを食らったような。


 実家では、家のメシなど食い、猫と遊び、親に付き合って外出しただけである。実家でも何かとモノが落ちて散乱したらしいが、その日のうちに片づけ終わたとのこと。商店に行っても、地震のよる被害らしきものは、特に見あたらなかった。ただ、スーパーには惣菜コーナーなどなかった。余震が続く中、火を使って弁当や惣菜を作ることは控えていたのであろう。


 今回の地震は、「平成15年十勝沖地震」と名付けられた。母から聞いたが、50年前の十勝沖地震では、かなり被害が出たらしい。まだ就学年齢ではなかった母は外に飛び出し、立ってられなくて祖母につかまってしゃがんでいた。平日なので、母の姉−私から見た伯母さん達は学校に行っていた。祖父が青い顔して、「学校が潰れた」と スコップ持って飛んでいったのをおぼろげながら覚えている、とのこと。母の姉達は全員無事だったが、学校の児童生徒で死人が出たのかどうかは母は覚えていないとのこと。ここそこで家屋が潰れ、多数の死者が出た地震。母の身近でもそうしたことが起きていても不思議ではなかった。


 それにしても今回の地震は、早朝でよかった。まだ家事もほとんどの家でしていないので火も上がらず、釧路空港・釧路町役場など大きな被害を受けた建物にも人はほとんどいなかった。昼だったら確実に死者が出ていた。それでいて、薄明るく真っ暗でもない。地震が起きる時間としては、被害が少ないタイミングで起きた。
 M8.0の割りには被害は少ないように見える。早朝というのは幸運な結果をもたらした。しかし、これは決して「大した地震ではない」などとは言えまい。阪神・淡路大震災を超える地震規模。ただ、道東という土地は人口密度がとても低く、寒冷地なため家屋は丈夫であり、古い建物が少なく、そして人々は地震に慣れている。けれども、少し発生時刻や震源地、潮の状態、気象状態などで悪条件が重なると、もっと恐るべき被害になっていたことであろうて・・・。




 さて、地震の話から一転するが、今回はホンダの新大型RV車・MDXに乗ることが出来た。全幅2メートル近くある、ダイナなどの2トントラックを超えた横幅の巨大乗用車だ。北米で生産された逆輸入車である。もちろんメインターゲットは広大な北米であり、特に日本マーケット向けではない。だが、道東というだだっ広い土地では、なかなか爽快な車だ。いくら田舎と言えども、市街地ではかなり神経を使う上に、駐車出来ない場所も少なくないが。



 チェンジは5速AT。トルクに溢れる3500ccエンジンとこのトランスミッションによって、2トンもの巨体が軽々と加速する。シフトレバーそのものは平凡だが、この運転席と助手席の間の広さといったら!3ナンバーの高級乗用車でも、日本車でこの広さはまずありえない。



 カーナビ、CDチェンジャー、MDは標準装備。
 後部座席の人間が、カーナビ画面やテレビを天井の液晶で観ることもできる。よからぬ用法がいくつも浮かんできたわい・・・。




 一応7人乗りということになっているが、まあ4〜5人程度でゆったりと乗る車であろう。天井は高く、横幅も広く、視界も良好。RVとは思えぬほど振動・騒音もなく、乗り心地は快適である。広い道を長距離移動するのには打ってつけである。車体が頑丈なので、事故の際のサバイバビリティも高い。




 車体価格485万ということは、税金や諸経費で125%と計算し、約600万円。燃費はあまりよくない上にハイオク専用車であり、保険や重量税も高かろう。生活スタイルや居住地、駐車スペースといった条件も加味すれば、この車を持てる人間というのはかなり限られてくる。
 しかし私は、この数日ですっかりMDXが欲しくなってきた。いや、今の私にこのような車所有することなど決して能わぬことなのだがね。いつかは、こうした贅沢な車で長距離旅行にでも行きたいものである。 



 そして休暇を終えて、私は関東へと戻った。
 釧路空港の吊り天井はすべてなくなっていた。天井のどれだけの部分が落ち、どれほどの破壊力を持ったのかは想像するしかないが、いやはや、年に数回は必ず利用する空港。こればっかりは他人事では済まされないわい。
 かくして私は、何事もなく釧路を発ったのであった。


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