Yasutaka氏宅にて、おでんの宴を
2003年10月03日(金)
今日の夜は、大学時代の同期・Yasutaka氏宅に御邪魔して、おでん鍋などを馳走になる約束の日である。これは先月から予定していた会合。彼とオフラインで会うのは大学5年次の秋以来、実に2年ぶりとなる。
休日に誰1人として会う知人友人がいなかった札幌時代に比べれば今年舞い戻った関東など天国だが、それでも大学時代の知人友人とはあまり会うことはなくなってきた。だが、ネットやメールという些細な通信でも、継続していればこうして会う機会を設定することもできる。
私は先日取り寄せたロシアビール「バルチカ」の「3」「6」「8」を持参し、Yasutaka氏宅に乗り込んだ。
Yasutaka氏宅近所のスーパーでおでんだねを仕入れて、鍋で煮る。随分と景気よく大量に仕入れてしまったため、食いきる自信は正直言ってなかった。上の写真の鍋は、もちろんそこまで具が詰まっている。しかもこれは仕入れたおでんだねの半分に過ぎない。ちなみにおでんだねは半額で300円であった。そして餃子も、さらに積み上げて出される。2人で食うにはかなり膨大な量だ。
なんとか鍋一杯(つまり用意したおでんだねの半分)を食いきった我々は、ノドを湿らせたくなってきた。一気に塩の利いた食い物を、絶え間なく話し続けながら食っていたのだ。ここでビールの一杯でもやれば最高である。私はまずは無難な「バルチカ・ノーメル3」を取り出す。
さて、Yasutaka氏には栓抜きはあるのだろうか。缶詰の多くはプルタブ式になり、飲み物はペットボトルのプラスティック蓋をねじ切るだけの、この便利な世の中。一人暮らしの若者の部屋に、缶切りや栓抜きの類がないということもよくある話だ。少し不安になったが、Yasutaka氏にはヴィクトリノックスのツールナイフがあった。私も数本持っているが、ヴィクトリノックスにはもちろん栓抜きも付いている。さて、「バルチカ」を流し込みますか!
と思ったが、ブレードが開かない。Yasutaka氏は缶切りのブレードだけ出して、そのままコンロの近くに置いていたとのことで、他のブレードは油脂が入り込んで固まり、とても引き出せそうにない。Yasutaka氏が硬貨を駆使して少しずつ栓抜きブレードを持ち上げるが、思うようにいかない。そこで、もっと簡単に引き出せそうな+ドライバーをコインで引っかけて持ち上げ、ドライバーが収まっていたスペースにコインを突っ込んで、テコの原理で栓抜きブレードを持ち上げる。
・・・もしかすると、ロシア式−つまりテーブルや固いもののカドに栓を押し当てて、力ずくで引っこ抜く−の出番かとも思ったが、なんとか栓抜きは使えるようになった。包み紙ごと「バルチカ」の栓を引っこ抜く。そして乾杯。やはり「バルチカ」はよい。「3」は口当たりが特によい。
続いて「8」を開ける。これは日本のビールにはないホップの効き方をした品で、Yasutaka氏がどんな反応をのるかと思ったが、彼はこれを気に入ったとのこと。これは豊潤なホップの本格的なビールであるとのこと。黒ビールの「6」も開けたが、やはり「8」が一番いいそうだ。そこいらのスーパーで売っていたら、好んで買うとまで言ってくれた。Yasutaka氏はなかなか通かもしれぬね。
メシを食い、ビールを傾けながら、積もる話などしていたら、用意した食品はすべてなくなった。もちろん最初の鍋一杯と餃子山盛りとで、もうとても食えないと思った。かつてハンバーガーを300個注文したときに体験したが、人間にとってもっとも日常的な事象で、もっとも苦しいのは食い過ぎだ。そこまで無理するつもりはなかったが、何時間とかけて話ながら食べていると、気が付いたらすべてなくなっていた。しかもYasutaka氏が炊いてくれた玄米ご飯まで平らげる有様。人間の腹、恐るべし。
時間は23時を過ぎ、0時近くになった。私は終電の時間を確認していたが、Yasutaka氏は「今から帰るのは大変だろうから」と泊まるよう勧めてくれた。ありがたく、宿をかりることとした。メシを食った腹ごなしにYasutaka氏がトレーニングで走る河川敷など行って歩いた後、就寝した。そして翌朝には、メシまで用意した頂いた。何から何まで世話になりました。
運動や武道の話など、私が近年ほとんどすることがなかった話も数多くでき、ちょっとした指針のようなことについても話し合えた。会わなくなったと言っても大学時代の人々とはたまに会うし、頻繁に会う人間も多少はいる。けれども、今日のYasutaka氏と時間は日頃話さないようなことを話した。そして彼の意見は、しばしば私にとって新しい切り口のものであった。いやはや、世話になったばかりではなく、なかなか刺激となる1日でもあった。