人体展、焼き肉、上映、暴力ゲーム
2003年10月11〜13日(土〜月)


 11日土曜日。この日は本物の屍が展示されている「人体展」へと出撃し、その余韻もさめやらぬうちに焼き肉など喰らい、しかる後に暴力番組上映会・暴力ゲーム公開プレイをしようとのことになった。参加者は大学時代の後輩・П氏、PGO氏、美津濃氏の3人と、同じく大学での同期F氏(いずれも仮名)。まったくもって物好きな連中である。といっても、此度の集いは私とPGO氏が呼びかけ、他の面々を巻き込んだわけなのだが。


 私が「人体展」なるものの存在を知ったのは、1997年。大学一年次である。当時所属していた部の主将だったГ氏(仮名)は、名古屋まで歩いて行く、九州を徒歩で一周する、カップラーメンを食う為にガスコンロと大量の水を背負って富士山に登頂する、帯刀して鎌倉の大仏を参拝する、車を気で走らせる(ギアチェンジなどの際、スーパーロボットの必殺技を叫ぶ。特にV-MAX)、就職活動時の履歴書の趣味欄に「不味いジュース集め」と書く、しかもそれで内定をいくつも取る、寄生虫博物館帰りにラザニアや刺身を食うなど、様々な所業を繰り返す豪傑であらせられた。しかしこの先輩をもってしても、「二度と行きたくない」と言わしめたのが「人体展」であった。
「人間メカニックガンダムの勇姿は二度と思い出したくない迫力だ」
「屍が本物であることを考えてしまうと、どうにも冷静になれません」
 などと繰り返し私やF氏など、当時の後輩は聞かされてきた。しかし人体展は、時期限定の展示。先輩が行かれたのがいつかは知らないが、先輩と同じ大学に在籍していた1997年度に東京では開催されていなかったため、そのまま「人体展」のことは忘れていた。
 だが、そのГ氏からメールが来たのだ。あの人体展が再び東京で開かれる。絶対に行くな。とのこと。これはつまり、行くしかないでしょう。


「怖い物見たさで人体模型を見に行くのはリスクが高すぎます。その日の食事が
全て不味くなる呪い付きです。せめて誰かを地獄へ道連れにしないと割りに合いません。私はまだ記憶が鮮明なので行けません。いや本当に」
「そろそろ人体展が始まっていると思いますが、ホルモン焼き屋に寄るのは止めた方が良いです。通常の感性の持ち主ならば肉類はおいしく食べられないと思われます」
「くれぐれもホルモンとユッケは避ける様に。本当に止めておけ」


 こうも言われたら、焼き肉屋でобед(この場合は、正餐の意)をとるしかありませんな。
 それもホルモンのフルコースで。




 さて、やってきました。有楽町国際フォーラム。ここを訪れたのは昔Г氏やF氏らと共に、部の創部20周年記念式典を催して以来だ(通り抜けたことは何度かあるが)。今までささやかなことから、社会的に死にそうなことまで、バカなことはそれなりにやってきた。だけれども、かつては生きて、名前を持ち、国家から権利を保証され、メシを喰らい、労働し、家族と共に暮らしたであろう人間の屍をダシにしようというのは、我々の所業としては最高レベルに不謹慎かつ悪趣味なことになるかもしれない。興味本位の物見遊山というだけではなく、その記憶と食材とがリンクしそな焼肉へ敢えて行くのである。いやはやいやはや。


 体展会場に行ってみると、天井には怪しげな骸骨が吊られているではないか。しかもアグラやスポーツなど、ポーズまで決められている。もしやこれも、本物の人骨であろうか。それはわからないが。とにかく、会場に入ってみた。内部は撮影禁止とのことなので、画像はない。


 まず入って真っ先に思ったことは、やたらと混み合っているということである。ガラスケースの何に、誰ぞの腕や顔面スライスや消化器なんそが入っているが、すべての展示物の周囲には人が密集していた。1つ1つの展示を観るのも一苦労。有名美術館で実施されているように、列になって、流れながら観るという仕組みにはなっていない。なんとなく列はここそこに出来ているが、前の人間がいつまでも肺の血管に見とれていたりして、まったく進まない。実は列になる必要なんかはないのだ。列になれば行儀良くあり、そして順番がいつかはまわってくる・・・という秩序はここには存在しない。私や他の面々は、隙間に潜り込んでは離脱する奇襲戦法を実施した。これは、主催者側が推奨する鑑賞法である。


 次に思ったことは、大したことはないということ。もちろん本物の屍がこれだけ(153人前だそうな)合法的に集まっているということ自体が、凄絶なことだ。しかも樹脂技術によって保存されている標本など、そうそう目にすることはない。けれども、一生モノのトラウマになるほどの衝撃どころか、大した感慨は受けなかった。標本がそれほどグロテスクではなく、生き生きとしていない以上、想像力が働かねば戦慄は覚えないのかもしれない。けれどもまあ、真皮組織まで完全に皮を剥がれた屍を見て、「ビーフジャーキー食いてえなあ」、全身の神経を剥き出しにして垂れ下がらせた屍を見て、「さきイカみたいだ」、などと大声だ話し合っていたのは不謹慎だったかもしれぬ。しかしPGO氏によれば、「あの会場に行くという時点で、嗜好性に何らかの共通点があるのでしょう」とのことだが。


 あと、意外だったのは、男女連れと子供連れが多かったということ。寄生虫博物館がもはやデートコースとして有名になっているように、男女連れで多少珍しくもグロテスクなものを見に行くというのは、そう珍しいことではないかもしれぬ。それは想定外ではなかったのだが・・・幼い子供を連れた家族が非常に多かった、というか一番多い客であったであろうことが意外だった。ガキがこんなもの見たら、夜ションベン行けなくなるんじゃないかとも思うが、私の見た限り、怖がる様子も不気味がる様子も見受けられなかった。


 ところで私が唯一戦慄を覚えたのは、時期ごとの胎児の標本である。遠くからショーケースの中身を見ただけでこれはダメだと思って、近くで観察はしなかった。髪が生えた胎児の頭が見えた段階で、胃にきた。この展覧会で唯一頭髪の生えた屍がこの胎児だったから、急に人の屍としてのリアリティを覚えてたのか。それとも「本人の生前の意思による献体」とされている(提供地の中国からは懐疑と抗議の声が挙がっているらしいが)一方で、胎児だけは意思もへったくれもなく、そもそも病死や流産かどうかもあやしいからか。しかし30代そこそこぐらいの父親が、ほんの4〜5年前までは胎児だったような自分の娘に、「ほれ、赤ちゃんだ」などと喜んで見せていたのは、なんか妙な気分になったものであった(いいとかわるいとか言っているわけではない)。
 そして脳の重さを体験しようというコーナーでは、樹脂でコーティングされた本物の脳を手の平に載せることが出来た。ここには長蛇の列が出来ていた。並んでいたのは、無理矢理巻き込まれたはずの、美津濃氏とП氏の二人だけだったが。そしてここでも、小学生の子供達が、いかにも嬉しそうに脳を手にとってはしゃいでいたものである。その図は、ぜひ写真にとって載せたかったのだが。


 それにしてもPGO氏に、「晴天さん。腹を割かれたガキですよ!」などと、消化器が見えるよう解体された子供を喜んで示されたのだが・・・キミは私を何だと思っているのかね。もっともその屍には、たいした感慨も覚えなかったのだが。
 そして「ご自由にお触り下さい」との標本には、大勢の人間が集って筋肉やら内臓やらを触っていた。ここでは、我々は皆触ってみたのだが。美津濃氏はなかなか熱心であちこちなで回していたものであった。そして最後には、かの物体をなでる。思わず引っぱたいて強制連行したのであるが。本人は「研究者としての興味からだ」と言っていたが、「まあ、もう少し人が少なければもっといろいろ出来たんですけど」とも称していたようである。何をしたかったんだね、キミは。


 かくして我々は、人体展を後にした。




 さて、日も暮れてきたし、そろそろメシの時間だ。もちろん焼肉。もちろんホルモン。
 ホルモンの単品を全品+ホルモン盛り合わせを注文。ホルモンづくしだ。
 Г氏からアドバイス頂いたからね。
 それにしても、メニューの写真で見た肉の盛りつけ、人体展の人間スライスと同じ色しているね!








 これは胃だ、4つある胃袋のうち上部のあるやつだ、このヒダの具合がいい感じだ、などと騒ぎながら、次々とホルモンを火であぶって喰らった。ほぼ全員風邪気味だったのだが、薬を服用していたPGO氏以外の全員が酒も飲む。運良く、隔離された一画のそれまた隅のテーブルをあてがわれたので、まあ多少うかつなことを言って騒いでもつまみ出されるようなことはなかった。



 それにしても美津濃氏、焼酎の梅干し入りお湯割りとはオッサンくさいものを・・・。
 焼酎のお湯割りを飲んでいる私の言うことではないが。


 そて、ここまでが一次会である。二次会は上映会・公開プレイ。於美津濃氏宅。
 美津濃氏宅に上がり込んでまず、私とП氏から今月誕生日だったPGO氏へのプレゼントを渡す。
 益体のない品や保管や持ち帰りに困る品を贈り合うので定例であったが、今回は有益かつ喜ばれる品だった。



 私からは、「サイバーコップ」のジュピターが履く下駄のプラモ。
 もちろん単品ではまったく意味がない。
 そもそもこれ、本編で出てきたっけ?




 そしてП氏は、郷里岩手から取り寄せた、牛乳キャップ型クッション。
 夏の東北旅行では、小岩井農場でPGO氏が散々買おうかどうか迷った品である。


 そして、上映会である。美津濃氏宅の、1人ぐらいには過大なテレビは、こういうとき威力を発揮する。
 彼は大学院進学のためここを今年度一杯で引き払うのだが、こうした家財はどうするんだろうか・・・。




 まずは、本日朝に録画された実写版「セーラームーン」第2話から。
 私はキャラクターの設定年齢と、役者の年齢との間に大幅なズレがあるとして、この番組は観なかったのだが・・・各方面からの反響大きく、やはり観ようと思っていたところだった。皆が言うように、マーキュリーはわるくない。そしてなによりも、学校や登下校のシーンでさえ制服がコスプレっぽく、敵は変態にしか見えず、特撮技術は「サイバーコップ」並、ルナに到ってはただのぬいぐるみで、役者はぬいぐるみを抱いてぬいぐるみに向かって話すという凄惨さ。これはDVD-RAMの毎週録画に加えるしかありませんな。




 次は私が持参したスプラッターCGアニメ「ポピーざパフォーマー」DVDを全話上映。
 腕が飛び、足が飛び、目が飛び出し、爆弾や銃砲、刀剣、鈍器が目白押しというこの作品。
 なんど観てもすばらしい。「人体展」後に観るのもまた、格別。
 ここで今夜のうちに帰宅せねばならないF氏が帰投。
 残った面々で、今度は「クレクレタコラ」DVD-BOXでもかけようと思ったのだが・・・。
 F氏と一緒に近くのコンビニまで買い出しに出かけ、一服してからちょっとゲームをしてみることとした。


 それこそは、PGO氏が先日購入したばかりのPS2ソフト「G.T.A.III」である。「G.T.A.」なるバイオレンスゲームの存在自体は私からPGO氏に勧めたのだが、勧めたちょうど翌日に「III」の発売日があった。もちろんPGO氏は購入して、「晴天さんが勧めるだけのことはある」と感心したそうな。それがどういう意味かは知らないが、この「III」もまた、私好みのcoolなゲームであった。いや、それはcoolとは違いますよ、と美津濃氏あたりには幾度となく言われたが。
 私の用法は、
「これは、いつどこでも人を殺せるというcoolなゲームだ」
「車の調達方法は決まっている。車道に飛び出して運転手を引きずり降ろして乗り込むんだ。coolだろう」
「横転して吹っ飛びおった!おおお、火を噴いた!これはcoolじゃ!」
などなど・・・。


 結局、車をかっぱらって暴走し、通行人を引きまくり、歩道に向けてサブマシンガンを乱射し、街娼を車に乗せ、コトの後にアサルトライフルで射殺し、出動したSWATバンをかっぱらい、ポリスヘリをも撃墜するなど、悪行三昧をしているうちに、翌日の朝になってしまった。こんなゲーム、よくPS2で出せたな・・・。その悪行の模様のMPEG4v2(834KB)


 12日日曜日の昼、我々は相変わらず「G.T.A.III」をやったり、PCで然るべきゲームをしたり、寝たり、我らが母校を舞台にし、我々の大学生活そのものとも言えるマンガ「げんしけん」を読むなどして過ごしていた。そしてピザなど注文し、私が持ち込んだロシアビール「バルチカNo.6」やタヒチビール「ヒナノ」を昼間っからかっくらいなどした。タヒチビールを酌み交わしているときに、「飴をやろう」などと称してカゼのため購入したのど飴を差し出す様なども見られたが・・・。



 П氏が昼過ぎに帰投し、私、PGO氏、美津濃氏の3人が残った。結局、私とPGO氏は夜までここそこで眠り、美津濃氏はPCでなにやら怪しげなことをしていた。そして夜は、三人で鍋など煮て喰った。もちろん肉は必須。今回は鶏肉だったが。あと、安くて量がある揚げボールと称する物体も、大量にぶち込んだ。それから、夏の東北旅行の際に、戦争博物館で買った日露戦争記念ビールも一杯。これは、旅行途中立ち寄ったП氏実家に忘れてしまい、今回彼が美津濃氏宅まで届けた品である。本人がいないときに飲むという・・・。日露戦争ビール(中身は銀河高原ビール)は「バルチカNo.8」と同じく、日本で一般的なビールとは違った、フルーティーな味わいであった。







 12日の終電近くにPGO氏は帰宅し、私はそのままなし崩し的に美津濃氏宅にもう一泊した。
 そしてさすがに13日月曜日(体育の日)の昼ぐらいには帰ったのだが、その直前の写真を・・・。
 「サモンナイト3」とやらをプレイする美津濃氏。手の動きが速すぎて写っていない。
 「ハイパーオリンピック」のごとし。 


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