「レッド・ドラゴン」(英題Red Dragon)
Brett Ratner監督、アメリカ映画、2002年
注意
このページでは、一切のネタバレに関知しません。
この映画を未見で、先の展開を楽んで鑑賞したい方は、読まないことを勧めます。
「羊たちの沈黙」は中学高校時代、最も好きな映画の一つだった。ビデオを入手して、何度も繰り返し観たものだ。映画なるものは1度だけ観る代物であり、2度以上観るということなど考えられない、という人もこの世には少なからず存在するが、私は気に入った映画は何度も繰り返し繰り返して観る。100度目でも、ふと違った見方をしてみたり、それまで気がつかなかったことに気づいたりもするものだ。
もっとも「羊たちの沈黙」は、高校を出て以来1度も観ていない。予備校では寮の自室にテレビなどなかったし、大学に進学してからは運動部の活動に専心したため、映画を観ることが少なくなった。テープも東京まで持ってきていなかった。だが、続編「ハンニバル」や「レッドドラゴン」の制作・上映には、関心は引かれた。映画館に足を運ぶこともなく、ビデオがレンタルされてからもしばらく借りなかったが、今回は、休日に思い立ってこの2本を借りてみた。
制作順で言えば本来は「ハンニバル」から観るべきなのだが、たまたま手に取った「レッド・ドラゴン」から私は観始めた。物語の時間軸はこちらが先だから、まあ差し支えはあるまい。で、感想なのだが・・・思いの外、大した映画ではないという結論に到った。いや、もちろん面白かったし、次にどうなる、今にも殺されるんじゃないかと、手に汗握りながら観ていた。構成から小道具まで、きちんと作り込まれている。エンターティメントとしては及第点どころか、優れている。けれども、二度観たいとは思わない。私は借りたビデオをその日のうちに2度観ることなどザラにあるが、2度目の上映はわずか数分で消してしまった。はて。これはいったいどういうことか。私はレクター・シリーズということで、何を期待していたのか。「羊たちの沈黙」とは何が違うのだろうか。
まず考えなければならないのは、私は「羊たちの沈黙」の何がそんなに好きだったかということ。もう何年も観ていないが、おそらくは精神医学的な用語をちりばめた、レクターのセリフ回しをcoolだと思っていたのであろう。ちょっと知的で気に聞いた言い回しは、私が中公新書の数冊読んで調子扱いていた中学高校のガキ時分だからシビれただけなのか。これは「羊」を観て、本作との差異を検証しなければわからない。
次に、この「レッド・ドラゴン」がもたらす興奮は、単に次はどうなる、どんな恐ろしいシーンが現出するか、というスリルにしかなかったのではないか。レクターのセリフ回しもそんなにcoolだとは思わなかったし、主人公の元捜査官も個人的にはあまり魅力的と思わない。犯人のMr.Dにも、さして興味を覚えなかった。私が昔感じた感動を拡大して覚えているだけかもしれないが、精神医学的なバックグラウンドは今回の方が浅く、ただ主人公のカンによって話が進められた。犯人が何故こうしたか、という説明がいまひとつ弱い気がする。「幼少期虐待された」「だから、おかしくなった」、だからどうしたと言いたくなる。すべてを説明しきる必要などないし、劇中ですべてが語り尽くされる映画などつまらないが、どうも今ひとつMr.Dの描写にはパンチが欠ける。ただ、次が気になる、どうなるんだろうという一度きりの興奮を得るための映画だったのだろうか。
観る気にならなかったので、借りたDVDはすぐに返してしまったが、「羊たちの沈黙」を再視聴し、それから「レッド・ドラゴン」も再び見直せば、もっと違った感慨を抱くかもしれない。
ただ、細かいことだが、この映画で感心したことが1つある。それは主人公が、サイドアームを重視する発想を貫いていることだ。
冒頭で、レクターに襲われ刺されてオートマティックを落としながらも、主人公はサイドアームのスナッブノーズで反撃を加え、レクターに料理されずに済んだ。終盤、Mr.Dから息子を奪い返してもつれ合うシーンでも、息子を人質にとられて包丁を捨てたが、実はもう1本をシャツの影に隠し持っていた。台所で2本包丁を抜いていたのだ。包丁を抜き取るとき、1本目しか画面には映さず、しかし2本目を抜いた音だけは控えめに入れている。見事な演出だ。そして、Mr.Dとの最後の撃ち合いでも、主人公はリボルバーの弾丸が切れるまで撃ち合ったが、実はこのとき、グロックもリボルバーと一緒にクローゼットから取り出していた。彼の妻がグロックを拾って、Mr.Dにトドメを刺している。
こういう芸の細かさは、武器を捨てて、あるいは失って、主人公はどうするんだ!やられるんではないか!という緊張をもたらすと共に、サイドアームを抜いての反撃は視聴者には思いがけぬが納得がいく。いかにアメリカの「法の強制執行者」と言えども、そんなに頻繁に撃ち合いをしているわけではない。しかしそれでも万一のときに必勝を期すため、二丁以上の銃を持つ者は珍しくない。レクターへの反撃の際はそういう前提があるからこそ、突然銃を出しても、恣意的な演出で不自然な反撃に出たという感じはしない。ナイフやクローゼットの銃にしても、よく考えたらちゃんと2丁取り出している。いういったところは感心した。
そういった点は、2度目の視聴では「やっぱり、銃を2丁取り出したな」と気づいたりもするが、全体としてみたらこの映画は2度以上観たくなるものではないような気がする。ま、一度楽しめたからそれはそれでわるい映画ではないのだが。