今年も高校時代の連中と
2004年01月03日(土)
今日は、高校時代の悪友連中と集まった。私は去年の夏は、かなり妙な時期に帰省したため、旧友とは誰とも会えなかった。だけれども、だいたいの人間が休みで、親戚回りを済ませればヒマになる正月は、会合する絶好の機会だ。しかしこれがまた、漠然と「会おう」というようなやりとりをしても、積極的に具体的な連絡をとる奴というのはなかなかいない。だから今回も、私が中核となって年末のうちに日程・場所の調整を行った。
予定では、釧路有数のアミューズメント・スポットたるポスフールに集合し、それから釧路在住者・けんしろ氏(仮名)の車でメシ屋ないし飲み屋まで移動(けんしろ氏は飲めないし飲みたがらないので、運転手には適役である)。飲み食いして一次会は終了。しかる後に、けんしろ宅に集まって夜を越す、というプランだ。釧路から実家が100km以上遠くにあり、翌4日には釧路空港から居住地へ戻ってしまう伊佐坂(仮名)は、釧路に来ても今更実家に戻るわけにもいかず、釧路に泊まる以外に選択肢はなかった。だから、同じく翌日に遠出をするけんしろ宅に泊めてもらうこととしたわけだ。
さて。本来の集合時間よりも1時間早く、私と伊佐坂とはポスフールに集まった。これは二人の間での取り決めで、「変態話は今のうちに済ませてしまおう」という意図による。ポスフールの喫茶店に男二人で入り浸り、なんとも言えぬ話などしていたわけだ。
私の注文はいちごシェイク。
「東京ミュウミュウ」なんかはそんなに観ていたわけではない、というか観てなかったのだが、どうもこういうネタに走りたくなる。
伊佐坂の鹵獲品。
この他、伊佐坂直筆イラストの受領なんかも行った。
さて。思う存分二次元話をしてから、いざ本来の待ち合わせ時間に。
ナイワン氏、くさ氏、けんしろ氏(いずれも仮名)と合流。早速けんしろ氏の車でメシ屋に向かう。高校時代連んでいた仲間は9人なのだが、帰省時期に同時に集まれるのはせいぜい5人。3人ほどは音信不通だし、1人は仕事の関係であまり人と同じ時期に休暇をとれない。しかし実際問題として、同時に1台の車で移動できるのは5人が限度である。
それにしてもさすがは正月三が日。大衆的メシ屋はどこもここも満員だ。結局飲み屋に入ってメシを食うことになった。居酒屋でメシを食うのは不経済だが、まあ正月早々ケチなことを言うつもりはない。けんしろ氏は最初からウーロン茶だし、他の面々も私も酒はあんまり飲まなかった。
さて。飲み終えてから一端解散という予定だったが、せっかくだからとりあえず時間が許すまでけんしろ宅に全員行くこととなった。その前に、玩具屋でウノとジェンガを調達。
そう。みんなわかっているのだ。長い間居住地も生活空間も、付き合っている人間の種類も異なるようになって8年。気兼ねなく話せるつもりではいても、なかなか共通して盛り上がれる話題には事欠くということを。ナイワンが「会社と寮とを往復する毎日で、自分のコミュニケーション能力が鈍ってしまった」と嘆いていたがそうではない。話すネタに苦慮しているのはみんな同じだ。
高校時代のどこの誰がどうした、という話は最高のネタだが、それとてなかなか情報が入らなくなってきた。あとは近況報告だが、仕事の話はセンシティブな面を持つ。飲み屋では、今回のメンバーの1人が数ヶ月後に最初の既婚者となる、という強力な話題があったが、これからの一晩ずっとそればっか話しているわけにもいくまい。間を持たせ、話すネタそのものをも造り出す武器として、ゲームを介在させることとしたのだ。
しかしゲームを介在させて接することは、決して悪いことではない。これがなかなか盛り上がる。特にジェンガは積み木を積んで、一本ずつその積み木を抜いて崩さないようにするゲームだが、これは白熱する。立っているものを崩したくないというのは、もう本能に近いかもしれない。私はかなり白熱した。崩した奴は、全員にドリンクをおごるという罰なんかよりも、マジで崩したくなかった。
いや、でも私が負けたんだけれどもね。ジェンガで一勝負終えた後、返らなければならないナイワンを実家まで全員で送った。その途中のコンビニで、私は全員にドリンクをおごった。そのとき私は、秘密兵器「暴君ハバネロ」もカゴにしのばせていた。
そしてナイワンを送ったあと、今度は4人でウノ勝負に。今回は負けた人間がハバネロを喰らうということにした。ハバネロなんて、話題性があるようで既に陳腐化している。しかしこのメンバーでハバネロは、聞いたことがあるという程度でそれほど一般的ではない、と私は見たのだ。案の定けんしろ氏なんかは、少しつまんで、本気で食いたくないと叫んだほどであった。よしよし。
しかし。ウノ勝負でも、私はことごとく負けた。8割は負けただろうか。4人勝負で、私1人が80%の敗北というのは、そうとう私はカー座の采配が悪いんだろう。そしてハバネロのほとんどは私の胃の中に入った。・・・いや、私はハバネロを一袋そのまま口に流し込んで、咀嚼して一気に食っても平気なんだがね。しばしばそういうことをやっている人間としては、私は別に苦しくもなんともないし、ハバネロを買った本来の狙いを外した。しかし「罰ゲームを用意した本人が、徹底的にそれを喰らった」というのは、なかなか盛り上がるネタにはなった。まずまずの成功と言えよう。
そろそろ寝るかという午前2時過ぎに、くさ氏はタクシーで帰途についた。あとは寝るだけである。と思ったら、けんしろ氏は溜め込んだ年賀状の返事をこれから書くとのことで、100枚以上ありそうな年賀状の束と格闘していた。私と伊佐坂は、伊佐坂が買い込んだ大量のシスプリ同人誌になんぞを読んでおった。眠ったのがいつだったのかは覚えていない。しかし起きたのは6時過ぎだ。つまりほとんど寝ていない。
3人でけんしろ氏の車で釧路駅に向かい、けんしろ氏は駅の駐車場に車をとめて、駅で解散することとなった。けんしろ氏はJRの改札をくぐった。さて、あとは伊佐坂が釧路空港へ向けて発つまで駅でどうしたものか。というか、私が駅まで来る必要性はまったくなかったのだ。ただ、伊佐坂が時間を潰すのに付き合っただけの話で。
一応付き合わされ料として、釧路駅のミスタードーナッツで朝飯とコーヒーはおごってもらった。そして客もほとんど入っていない早朝のミスタードーナッツで、シスプリ妄想話なんぞしつつ、かなりの時間を過ごしたのであった。
さて。こうして旧友との会合は終えたのだが、今年は我々の中からはじめて既婚者が出ることとなった。全員1977年度生まれで、順当にいった人間は勤続4年を数える。何も不思議なことではない。なにはともあれ、大変めでたいことである。
私は相手もいなければ探す意思もなく、さらにはカネも社会的立場もこれからどうなるかわからない。当分は婚姻などというものに自分自身は縁がないことであろう。それ自体はどうでもいいのだが、問題は友人仲間が身を固めていくと、既婚者は独身のアホ連中と遊び歩くことをあまり出来なくなるのではないか、ということだ。それは年を取るにつれて、もっと気になっていく問題になろう。まあそれはともかく、高校時代の仲間の中で、もっとも順当に人生を歩んでいる男が、さらに真っ当に身を固めるということを、私は掛け値なしに祝福したい。