再び、卒業式
2004年03月25日(木)
関東北部のYasutaka氏(仮名)宅からそのまま美津濃氏(仮名)宅に転がり込み、遅く寝て早く起きた。そして今日は美津濃氏ら、2000年度入学生の卒業式である。次なる生活のために、都内に引っ越した美津濃氏宅から都下の中大までは遠い。乗り換えが多い。しかも混雑する時間。
下りの京王線からは大分電車も空いてきた。そして高幡不動で多摩都市モノレールに乗り換え。ここで電車を待っていると、現在4年生のPGO氏や案山子氏(いずれも仮名)らがやってきた。PGO氏など、就職活動で使っていた背広をすべて親御さんがクリーニングしており、やむなく1970年代のイタリアマフィアのごとき背広での登場であった。そして案山子氏は4年生だが、4月からは5年生になるという。まあ私も5年間大学にいたものだ。
大学では、所属部の後輩連中が待ちかまえており、卒業生(部を、ではなく大学を卒業する人の意)に対して花束なんぞ用意しておった。
卒業生連中がなにやら持っていると思ったら・・・生協会費の返還とともに、中大生協からのありがたい訓辞を頂いたとのこと。額に入っておった。毎年やっているのか今年だけかは知らない。なにせ私、大学生協に会費を払っていたかどうかもあやしいんで。
大学では、生協にて袴の類に着替える人々が。
私はただの背広だったが、まあこういうのは風物詩か。
法学部・文学部卒業式の直前、知人の**が来ないなどと話していた。モノレールで来るとしたらかならずここを通って会場の第一体育館へ行くはずだ。
しかしもしや、地上、誰も通らない地上を通ったのか!?
などと話していたが、いやはや**はどうしたことやら。
つつがなく卒業式も終わり、私はП氏・美津濃氏の2人の後輩と合流した。
さてどうしたものか。