大山参り再び
2004年11月21日(日)
今日は神奈川県の丹沢大山へ登る日である。単独ではない。大学時代の先輩・同期・後輩合わせて5人での行事と相成った。大学を出て以来、どうもこの面々と会う機会が「大学時代の部の行事か、有明の祭典だけ」という有様になってしまっていたので、たまには健康的な会合をしようとのことに相成ったわけである。もちろん、私が先日行った「自主WR」に味をしめて呼びかけたのは言うまでもない。
で、連絡の結果集まることとなったのは、ツボシマ氏、魔人氏、F氏、美津濃氏(いずれも仮名)、そして私である。この仮名はハンドルネームでもなんでもなく、大学時代のあだ名や私が識別するために勝手につけた名前なのだが、列挙すると恥ずかしいものがある。まあいいや。だが変更するとわからなくなるのでこのままに。
まずは各々が小田急方面へと侵攻し、乗り換えの小田急駅にはフリーパスを購入。もちろんケーブルカーなどという軟弱な代物は(少なくとも登りでは)使用しない。そのためケーブルカー料金が入っていないB切符にした。
目的地は小田急線伊勢原駅。今回は首都圏各地からの集合であるため、現地集合とした。急行に乗ればそれほど遠い場所でもないけれども、普段は小田急に乗ってもここまでは来ない。あるいは箱根方面まで素通りしてしまう場所である。
そして伊勢原駅。予想通り、紅葉シーズンの天気のよい日曜。家族連れから老人グループまでもが集結し、混雑していた。これでは大山山頂で私の計画は実行できるかどうか・・・。来た以上はやるに決まっているが。
集合時間は1000時。私やツボシマ氏など神奈川県民にとっては随分遅い時間だが、それ以外は埼玉県近くから集まってくるので、まあ時間はこんなものか。集合した順番は、私、ツボシマ氏、美津濃氏、F氏、魔神氏の順であった。
先日我が家に美津濃氏が忘れていった「ファーストkiss物語」歯ミガキセットを彼に返却。美津濃氏からは私に数日遅れの誕生日プレゼントとして、万歩計をくれおった。燃焼した脂肪と消費カロリーがわかるという代物だ。どこまでアテになることやら。
とりあえずベルトに装着。私のベルトは、携帯電話ポーチやデジカメのXtホルダーがついているため、空きスペースを探すのが大変だった。
美津濃氏は、方位磁針なんぞを取り出す。「地形図を持ってくるのを忘れた」とも。地図と磁石なんか持って歩いていたら、スパイ容疑をかけられてその場で銃殺されますよ。大学院では文系出身のフィールドワーク要員としてこき使われているため、彼はこうしたものを持ち歩いているそうな。しかも服装は作業服であった。
改札前から駅前のスーパーまで言って、アミノ酸飲料を一本買って戻ってきたら、16kcal消費したことになったそうな。こういう計算をしたことがないので、この機械がどれだけ正確なのか不正確なのかは見当もつかないが。
ツボシマ氏はコンロを2基用意していた。頂上を温かい湯でカップ麺を喰うだけである。彼はコンロを背負って富士山まで登った男。用意がよい。5人でコンロをパーツにバラしてて分担する。さらに飲用と調理用とで水を1人あたり2リットル。これは結構な質量だ。リュックが肩に食い込む。
大山行きのバス停前には、行列が出来ていた。さすがは行楽シーズン。フリーパスを持っているためバスで行くのが一番の得。だがあんまり待つようならばタクシーで・・・と思ったが5人か。難しい計算だ。ツボシマ氏は終電で伊勢原駅まで来て、徒歩で大山まで至ってそのまま登り、山頂で朝日を見た人物。歩いていこうという話もあったが、バスは増発されており、数分待つだけで乗ることが出来た。
大山は標高1252m。普段ほとんど山に登らない人間にとっては、高いような気がする。しかしバスである程度登ってしまう。その道は細く、しばしば片側交互通行状態になる。そのために道ばたには警官や交通整理員がここそこに立っている。休日は特に混雑するので、人員を割いているのであろう。
その狭い道に路駐が多く、バスは急な坂道で一時停車することを余儀なくされた。載せられる限り乗客を詰め込んだバスが、である。もしやと思ったが、プロである運転手も一度クラッチを繋げるのに失敗し、エンストしてしまった。二度目には成功して走り出したが、ただてさえ重い車体に乗客が何トン分も乗り込んでいるのだ。MTで歩くのもツラい坂道から発進するのは並大抵のことではない。
そうやって大山バスターミナルにたどり着いたのだが、バス停近くの草むらに猫が横になっているではないか。どこが具合でもわるいのかと心配したが、ただ寝ているだけらしい。手を出したら指をなめられた。随分人なつこい。猫の毛並みに舌。久しぶりの感触だ。山に捨てられたのか、近所の飼い猫か。
荷物を下ろして登頂用装備を整えていると、猫がリュックの谷間に入り込んできた。
そして私が梅干しの袋をまさぐっていると、喜び勇んでやってきた。セロハンの袋は食い物の袋とわかっている。やはり相当人に餌付けられているか、飼い猫か。もっとも梅干しを食わせるわけにはいかないが。
美津濃氏が弁当を開けて鶏の唐揚げを取り出そうとすると、匂いをかぎつけ、鳴きながら彼のリュックによじ登ってきた。
そして鶏を食らうと、何事もなかったかのように、我々に背を向けてどこかに立ち去ってしまった。さすがは猫である。態度はうちの猫そっくりだ。この猫が観光地によくいる野良猫なのか、近所の民家や商店で飼われている野良猫なのかはわからない。だが、強かに生き延びている猫であった。ちなみに毛並みも肉付きもわるくはなかった。栄養状態は良好である。
さて、これからが本番である。アホな話などしながら、登りはじめる。それにしても、11月下旬だというのに久々に暑くなりそうだ。今回は長丁場なので朝や夜の冷え込みに備える必要があったし、汗を冷やさないためにも着替えと防寒着を厳重に用意した。さらには登り終えたら風呂には行く予定である。そのためさらに着替えとタオルが増えた。バス停で厚着の服はほとんどリュックに詰め込んだが、これもまた大荷物になった。
大山ケーブルカー駅には長蛇の列が出来ていた。我々には全く無縁の行列だ。これは子供連れや老人専用の列だ。きっと列の先にはドイツ国有鉄道の貨車が・・・などとシャレにならないことを口走りながら、ここを突破。
ここで唯一防寒着を着たままだった美津濃氏が暑さと発汗に堪えかね、やはり防寒着を脱いで畳み始めた。けれども朝出がけにはジャンバーにセーターでも寒かったのですよ。
ツボシマ氏は防寒着をリュックに括り付けていたのだが、彼が渋滞で立ち止まるたびに、私は顔面をこの丸めたコートに埋めるハメになった。追突時の緩衝剤にはなっているが、そもそもコートがなければ追突しなかったような。足下の階段と前の人間の靴だけ見ているので、車幅ならぬ人幅感覚にコートの分が入っていないのである。
そしてようやく人混みを抜けて、挑戦者の道へとたどり着いた。最初から階段である。それも崩れかけの。
普段自宅〜最寄り駅や、最寄り駅〜職場、学校、商店程度しか歩いていないと、リュックの重みを抱えての階段行軍は応えた。汗は噴き出したが、心肺の負担よりも足が上がらなくなる。しかしF氏は身軽にもどこまでもハイペースで登っていく。彼は昨日・・・というか今日の午前2時まで飲んでいて、今朝の電車では吐きそうだったと称していたのに。これは基礎体力の差なのか、体重の差なのか。彼の家は最寄り駅から徒歩1時間半の立地にあり、バスもすぐなくなるのでよく山道を歩いているという。日常的にトレッキングをしているF氏にはかなわない。
美津濃氏が「心の支え」として持参した金平糖。
何故金平糖かと言えば、もちろんしーぽん効果を狙ってのことであろう。
長い階段を登ってようやく到達した下社。私を含めた4人は疲れて腰を下ろしていたが、F氏だけが境内を歩き回っていた。聞けば、「巫女さんを捜していた」とのこと。巫女というコトバに動揺した美津濃氏も、腰のホルスターから双眼鏡を取り出して辺りにファインダーを向ける。そんなことしても見付かりませんって。神社社内の廊下を歩いているのが一瞬見えたが。
それにしても、下社近辺にあったこの器具はなんなのか。病人搬送用?そんなキケンな。ちょうど担架が乗れる大きさではあるが。近隣商店の商品・廃棄物運搬用か?それとも、神社の神官が使う設備なのか?わからん。
今日は天気はいいのだがガスが立ちこめ、海は望めなかった。
霧とレタッチは関係ないと思ったが、ちょっと補正してみると、なんとなく見えるような気にはなった。
下社を越えてからは、登り降りともに他の客が多くなった。ケーブルカーが終わったからだ。子供連れも老人も少なくない。それにしても疑問に思ったのだが、なぜ子供連れの家族が連れているのは決まって女の子なのか。今日一日大山で見た子供の男女比は1:9で女の子の方が多い。男児の方が面倒くさがるのか。
少し開けたところで数分休憩していると、ツボシマ氏が「まだ1万円札の新札に邂逅していない」とのことなので、私が財布から1枚出して見せる。
「崖から投げ捨てたり、紙飛行機にして飛ばしたりしないでくださいよ」と念を押したが・・・やりかねない。
階段は終わったが、大雑把な石ころの上を歩くのもそれはそれで脚に大きな負担となった。これで石の表面が凍結していたり、霜が溶けてぬかるんでいたりしたものならば、石表面の摩擦力が期待できなくなり非常に神経を遣うことになったであろう。その点今日はまだ良好な環境にあった。
途中の休憩所。マンパワーで運び込まれた飲料を、じいさんが売っておられる。非常に高額だが、高尾山と違って人力で運び込まれているため当然のことである。美津濃氏がここでジュースを一本購入したが、じいさんには「お父さん、ご苦労様」と言われた。ガキ連れの家族の親父と思われたのか、単純に作業服でおっさんに見えたのか。彼はこの中で最年少なのだが。
石の道は、ますます荒削りになっていく。大股で乗り越えていくので、脚腰への負担も、重いリュックを背負った背筋への負担も小さくはない。こんな中でも、随分とバカな話をしていたが。漫画「ラブやん」の主人公と私やF氏が同じ年で、特に私はカズフサに近いとか。そういった人々を有効に社会に役立たせる為にはオフショアリングしかないとして、ワンルームマンションにカズフサ的人間を集めて相互不干渉でそれぞれにPC仕事を割り振り、出来高に応じてポイントを与え、そりポイントでグッツや特殊画像と交換できることにしよう、とか。よく考えたら、いやよく考えなくても、それはペリカでは。
富士見台からは富士山は見えなかった。以前、大学時代にここを訪れたときは見えたのだが。もっと冷え込まないとダメか。
そして登頂。案の定頂上の広場は混み合っていたが、どうにかシートを敷ける場所を確保して荷物を下ろす。
そしてコンロを組み立てて湯を沸かしはじめる。今までは登っていて扱ったが、立ち止まって休むと寒くなる。こういうときには温かい食品や茶が最高だ。
皆、カップ麺や弁当などを持参したいたが、私のメシはジョグメイトとカロリーメイトだけ。あと塩分補給のために、梅干しも持っていた。山に登るのにはこれだけで十分。
だが、ツボシマ氏の憐憫を買って、インスタントの豚汁をひとつ分けていただいた。これが温かくて塩の利いたものにありつける。ありがたやありがたや。ちなみに茶を飲むためカップは用意していたが、今回ハシもスプーンもフォークも用意していなかった。これは盲点だった。豚汁のカップをゆすって湯をかき混ぜ、具はすべて流し込んで結局すべて無駄なく食したのではあるが。
これが私の持ち込んだカップ。大学1年次に、誰ぞやがゲームセンターで獲得したのをもらったものだ。引っ越し続きでネルフマグカップをはじめ、こうした二次元グッツの多くを処分してしまった。だが、これだけが残っていた。ネルフカップは金属製なので、携帯には便利だったのだが。茶はプリンスオブウェールズを用意。本当はセイロンオレンジペコかアールグレイを持参したかったのだが、ティーパックはこれしか手持ちがなかった。
ちなみに前日、アニメイトへ行って「苺ましゅまろ」のマグカップを調達したのだが、家に帰ってカバンを畳に置いたその瞬間に、木っ端微塵に砕け散ってしまった。その程度で砕けるのならば、今回持ってこなくて正解だったかもしれないが。
それにしてもお湯が沸くのはありがたい。疲れた身体、汗をかいて冷えつつある身体には浸みる。
1200mも登ると、カップ麺やカップスープのシールが膨らむもんだ。きっとポテトチップスの袋なんかも膨らんでいたことであろう。しかし沸点は1200m程度ではそんなには下がるまい。計算したことはないけれども。少なくともカップ麺は作れる。
温かい食事を山の上でとる。この瞬間のために、我々はペットボトルとガス一式を背負ってここまで来たとも言える。私には別の目的もあったのだが。
ちなみに伊勢原駅から大山山頂までの歩数は10235歩で、360kcal消費したそうな。歩数はバスの振動でも加算されたことだろう。しかしそれはともかく、たった360kcal!そんなバカなことがあってたまるか!所詮歩数しか計算できない代物か。同じ1歩でも平地を歩いていたわけではない。まあこの機械に登り降りを計測する能力なんかはあるわけもなし。
そして山の上で、食後の紅茶を一杯。
大山山頂で1枚。まともに。
もう1枚ここである試みをしようとしたのだが・・・別に誰も次の順番待ちをしているわけでもないのだが、多くの人々がこちらを眺めていた。別に知っている奴はいない。いたところでどうということはない。失笑を買ったところで何も失わない。そんなことはわかっているが、ここであれを広げることはできなかった。私も年とともに羞恥心が発生してきたようだ。
結局、物陰で撮影。なぜか6人写っている。
このバスタオルは随分と活躍してくれるわい。
で、単独。ミニタペストリーと。
このときは日の当たる場所で取ったため、通行人が途切れることがなかった。
さて、目的も果たしたことだし、あとは降るだけである。荷物を片付け、早速来た道を引き返しはじめた。分かり切っていることだが、降りの方が心肺にはほとんど負担にならないが、足腰を痛めやすい。調子に乗って駆け下りると膝や足を痛める。もっとも大山の足場では、急ぐとすべって転んで頭でも打ちそうだが。
ちなみに私の降りの装備はこんな感じ。リュックの携帯ポーチにミニタペストリーをかける。この時間ななるとこれから登ってくる人間もほとんどおらず、例えすれ違った人間がいたところで疲れ果てた登りの人間には降りの人間に注意を払うことはない。そう思いこむことが、この装備を可能にした。高校時代は「レイアース」のピンバッチをつけて街を闊歩し、大学時代は二次元キャラのシャツを着てカバンにルリルリ・キーホルダーをつけて闊歩していたのだが・・・。まあ甘くなったものである。
しかしどこで道を間違ったのか、あきらかに登ったときとは違う道に迷い込んだ。こんなに草だらけで、倒木だらけの道は明らかに通っていない。だが、下っている以上はどこか麓に出ることは間違いない。「原住民が襲撃してきたときのために」と、ツボシマ氏はスローイングナイフを装備していたし大丈夫だ。
写真ではわかりにくいが、ほとんど飛び降りるような道がしばしばあった。これは登りで出くわしていたら、「これは行き止まりだ」と解釈して戻っていたことであろう。フィールドワークで山に慣れ、寺の門を叩いてメシを喰わせてもらった経験の持ち主たる美津濃氏にしてみたら、この程度の道は大したこともないらしい。
倒木があたかも貴様らもこうなるのだと暗示しているかのようだ。白骨街道。
美津濃氏は方位磁針で進行方向を探る。だが道が曲がりくねってよくわからない。静岡方面にはまさか出ないだろうけど。
落ち葉の積もって、踏み固められていない上を歩く。
文明だ!下社が見えてきた。見えただけであって、道が繋がっているとは限らないが。
などと言っているうちに下社にたどり着いた。ネタを明かせば私とツボシマ氏はこの道を知っている。私は3年前に単独で、神奈川県民たるツボシマ氏も歩いた記憶があるという。だがそれは黙っていた。多少緊張感があった方が面白い。
円卓会議の結果、ここからはケーブルカーで降ることとした。降り方が膝に応えるのだ。私は徒歩案を提唱したが、実際問題として左足で踏ん張るたびに膝に鋭痛が走った。降りで痛めたわけではなく、登りで関節が摩耗していたのであろう。ま、ケーブルカーでいいや。
ちなみにケーブルカー駅到達時に、万歩計は16000歩を記録。消費カロリーは680kcalであった。この行程で中大食堂の甘酢醤油定食分のkcalも消費していないわけもなし。
バスで伊勢原駅まで戻り、今度は鶴巻温泉である。1000円で温泉に入られる。
疲れた身体の汗を流し、足腰を暖めてほぐす。山登ったあとの最高の贅沢だ。
私はもちろん美凪タオルを使用したのは言うまでもない。
そして休憩場で一服。
温泉で一休みしたあとは、さらに新しい服に着替えて防寒着を着込んで、本厚木へ移動した。ここでメシを喰うのだ。長時間居座れる店として焼肉屋に入る。汗を流してから、その消費カロリーを台無しにする行為だ。それがまたたまらない。
七輪にて焼く店らしい。しかも感心なことに、内地では珍しくサガリもあった。もちろん注文。
今回は私の誕生祝いも兼ねるとのことで、ある程度注文の裁量権を得たが、調子に乗って鶏皮を大量に注文したら、鶏の脂で七輪が火を吹いた。中身に火が通る前に、表面だけ黒こげにされるのが難点。やはり油のキツイ代物と七輪の相性はよくない。けれども、この店は安い上に、肉もそんなに当たりはずれはなかった。ツボシマ氏は贔屓にしたいとのことである。
そして家に帰り、歴戦を共にした美凪は洗濯機へ。
今回初参加の刹那は部屋のご神体としたのであった。
それにしても、山をトレッキングするのはよい。
そして共に登れる人々がいる関東はもっとよい。
私の特殊な趣味や会話内容や年齢、社会的立場を鑑みれば、今さら友人を新しく作るのは難しい。それを考えれば、関東からはあまり離れたくないかもしれん。人生の帰路を目前にしている私としては、そういうこともまた、どうしても天秤にかけてしまうのだが、おそらく違う土地へ行ったらこういったイベントは起こせなくなる公算が鷹来るのは確かだろう。