栃木メイド訪問
2004年12月19日(日)


 今日は、栃木県初のメイド喫茶として名高い「i-maid」を訪問した。同行したのは大学時代の後輩・美津濃氏(仮名)。各々最寄りのJR駅でホリデーパスを購入して、上野駅に集合して出発する手はずだ。ホリデーパスは土日祝日に限り、関東の限定された範囲で、普通列車の乗り降り自由がという代物。その北限がちょうど「i-maid」のある小山なのだ。この店の経営者は東京からの利便性を鑑みて、立地を選んでいたのかもしれない。


 ところが当日、私は寝過ごして集合時間に1時間遅れてしまった。普段は神経質なほど早く集合地点に集まる私が、こんな大遅刻をしたのは、数年ぶりだ。なんたる失敗。上野駅で時間をムダにさえてしまった美津濃氏には、メシぐらいおごらねばなるまい。




 さて、上野駅でやっと美津濃氏と合流。彼から勧められたのは、「麻辣千人」なるスナック菓子。「ハバネロ」の大ヒットで気をよくした東ハトが発売した、激辛菓子の第2弾らしい。
 私は「ハバネロ」を好きこのんで一気に口に流し込むような男。激辛カレー専門店で出される凶悪カレーに比べれば、「ハバネロ」など大したことはない。その凶悪カレーとて、乾燥唐辛子をそのまま食ってみたときの舌・口腔・胃の激痛に比べれば、児戯のようなものだ。もっとも、乾燥唐辛子並の辛さの菓子など出したら、傷害罪でメーカーが訴えられるのは必定だが。だからこの「麻辣千人」も大して辛くはなかったし、朝メシを食わずに最寄駅まで走ってきた私には、いいおやつになった。
 だけれどもこの「麻辣千人」は、舌には「ハバネロ」ほども辛くはないけど、ノドが痛くなる。乾燥する季節でノドが傷んでいるだけなのかもしれないが。これはあまり食い過ぎると、胃腸だけでなくてノドにも悪いかもしれん。




 大宮で快速に乗り換え。池袋近辺で事故があったとかで、到着が遅れていたそうな。各駅で行くことも覚悟していた我々には、ちょうどよかった。




 そして、少し遠くに行くときには定番のボックスシート。こうでないと、旅行気分が出てこない。




 そして小山。時間を計ってはいないが、結構早くついた。




 小山駅から外を見ると、白鴎大学の校舎がほぼ出来上がっていた。






 去年来たときには、影も形もなかったのだが。去年、ここへの受験も考えていた友人は、別の法科大学院へ進学した。去年からは決行時間が経ったわい。




 「i-maid」があるのは、白鴎大学の法科大学院がない方向である。何口から降りるのか確認していなかったが、あらかじめ用意した地図によると白鴎大学とは逆なのは間違いない。






 目印の「バナナヤ」もちゃんとある。間違いない。




 「i-maid」へは、ここの美容室から細い路地へと曲がる。
 事前に知らなければ、こままま直進してしまいそうだ。




 だけれども、路地の先にはすでに目立つ「i-maid」の建物が。




 近隣住民の不審そうな視線を浴びながらも、記念に1枚撮ってみる。




 さて、いざ入ってみるか。


 まず店内に入ってみると、メイドがやってきて「お帰りなさいませ、ご主人様」とのセリフを。ご主人様:メイドという設定に基づきそうしたセリフを終始続ける店は、秋葉原の「Lamm」で体験済だ。だけれども、面と向かって言われると気恥ずかしいものがある。私もまだまだ甘い。だけれども、ここ「i-maid」に於いては、メイドの方にもそうした言葉遣いに抵抗があるように感じられた。もしこういう店だと知らずにただの茶店だと思って入ってきた一般人だったらどうしよう・・・という抵抗だったのかもしれない。


 何はともあれ席に案内されて、メニューとおしぼりを渡される。この2つの渡し方も、なんというか、恣意的だ。ひとつひとつの言葉遣いから、メニューを聞くときの視線、首の傾げ方まで、訓練された媚を感じ取れる。だけれども、まあメイドというか給仕個々人に依るのだろうけど、私たちのテーブルに来た子は、どうもそうした動作や口調がぎこちなかった。その方が、強制徴用されてきた若年メイドっぽくていい、と思う人もいるのだろうし、これはこれで新鮮な体験ではあった。が、私にはちょっとこそばゆい感じがしたものだった。
 ついでに店内はなかなかカネをかけて、洒落た雰囲気を出していた。後発のメイド喫茶の中には、ただのオフィスか小売り店舗だった室内に、軽く装飾しただけのようなところもあるが、ここの経営者はかなり力を入れている。さらにはメイドを呼ぶための鈴までテーブルに置かれていて、テーブルごとに音が違うとは。もっともメイドの方は聞き分けられているようには見えなかったけど。


 で、注文したのは私がエビフライカレーとコーヒー。美津濃氏が特製カレーと「メイドの気まぐれ紅茶」、それに杏仁豆腐である。この杏仁豆腐がこの店で何と呼ばれているのかは、親兄弟にも親戚にもロシア語関係者にもバレているこのサイトではとても書けない。いったいいかなる様相の代物かと、好奇心を持つとともに、戦々恐々としていましたよ。
 まずはカレーが出てきた。メイド喫茶の中には、ろくな厨房もなく、おそらくは水道のある一角に冷蔵庫と電子レンジと電気ポットを置いただけではないかというような食い物を出すところもある。まあ、食い物が目的ではないのでまあいいんだけれども。けれども、ここ「i-maid」に於いてはちゃんとした厨房があるらしく、カレーもエビフライもそれなりにうまかった。ただの一時の流行り商売で終わらせないためには、飲食店としたの基本を踏まえる必要があるわけだが、ちゃんと心得ている。


 そしてコーヒー。コーヒーは、どこぞのメイド喫茶で出された最廉価のインスタントコーヒーとは違って、ちゃんと淹れたものであろう。例えインスタントコーヒーだったとしても、私は1瓶1500円の輸入品を飲んでいるので、安物ではないことはすぐにわかる。
 「メイドの気まぐれ紅茶」とは、つまりランダムの紅茶だ。メイドがポットを持ってきてその場でティーカップで淹れてくれた。こういう瞬間って、小説や漫画やゲームで瀟洒な洋館の金持ちぐらしに憧れている人には、たまらないのかもしれん。美津濃氏から茶の感想を聞くのを忘れたが、口に合わないものを「まずい」と連呼するのに憚らない彼が店を出てからも何も言わなかったということは、わるくはなかったということだ。
 さて・・・そして杏仁豆腐。これは平皿に盛られてきたのだが、あるものを型どり、それっぽく模様もつけられた杏仁豆腐であった。これを作るための型の製作には、かなりの労力がかかったことであろう。美津濃氏は早速スプーンを入れる。非常に猟奇的な喰い方であった。


 メシを食い、茶を飲み、デザートを食ってすこし歓談した後、出ることにした。ここでの会計は私が持つと決めて、宣言してある。レジに行って呼び鈴を鳴らす。テーブルについていたのとは別のメイドがやってきて、勘定をする。彼女は我々のテーブルについていた子とは違って、非常に堂々としていた。けれども、彼女が打つレジの表示を見て、息を呑んだよ。
「デザート:5500円」
 そのぐらいのカネ持ってきてはいるが、これは打ち間違いだろう。けれどもあの杏仁はメニューに載っていなかった、つまり金額を明示されていなかったから、本当にこの値段かもしれん。いや、我々が最初に想像したような形式で給仕されていたら5500円でも構わんが、実際の杏仁があれで5500円は高すぎる。
 もちろん打ち間違えに決まっている。私が口を開く前に、レジをリセットして打ち直しはじめるが、今度は2品目を1桁多く打って、1万円を超えた。これもリセットして結局4度目に正確な金額が表示された。




 これが正確な金額である。2850円。日常に於いてメシに払うのには高いが、非日常に於いては大した額ではない。ちなみにこの画像のレジ担当の名前と番号は消しておいた。それにしても巷では流行の「粗忽者の娘」を実際にやられても、私にとっては嬉しくはない。レジでやられると心臓によくない。まあ、演出でなくて本当にまだ不慣れで間違ったのだろうけど。そして「いってらっしゃいませ」との見送りを受けて、「i-maid」を後にした。


 かくして「i-maid」訪問を終えたわけだが、思ったことはやはりちゃんとカネをかけているということだ。内装から小道具、衣服まで、かなり神経を遣って整備したのだろう。メイド喫茶としては、かなり上質な部類に入るのではなかろうか。
 ただ、女性にとっては入りにくく居づらい店かもしれない。「メイリッシュ」のような、ただメイド服を着た給仕が居て、かわいらしい内装をした店には、女性客もたまに居る。けれども、アニメ的なメイドたろうというサービスの旺盛な「i-maid」では、女性はかなり居づらいような気がする。実は今回は女性にも声をかけたのだが、都合がつかないとのことで同行しなかった。これでよかったのかもしれない。




 ここまで来たのだからと、小山市内を散歩してみる。
 人が少ない。パチンコ屋も3軒ほど目にしたが、打っている客はどこも数人。今日は日曜のはずだが、経営が成り立つのだろうか。どこか大きな店に客を取られているのか、自動車社会だからもっと郊外に行っているのか。
 特に見るべきものも見付からず、敢えて探そうともせず、小山を立ち去った。ホリデーパスは1日有効だ。どこへ行ったものか。




 とりあえず大宮で降りてみた。
 二次元的店舗の一軒二軒ぐらいはあるだろう。




 駅前の「まんがの森」へ入ってみる。美津濃氏曰く、こうした店に入るのは数ヶ月ぶりとのこと。そこまで二次元趣味から遠ざかっていたか。いや、遠ざかっていたというよりも、店に通う時間と、新しいものを仕入れる時間が乏しくなって、その結果、テレビ放送(彼の家にはCATVも入る)されるアニメの消化と、その筋のゲームの消化に専念するようになったということ。
 他にもアニメイトなんかがあるはずだし、電話帳によるとこの近所らしい。だが、少し歩き回ったが見付からず、また次へ行くことに。




 今度降りたのは秋葉原。ここではPCゲーム屋で新作の状況をチェックして回る。私はゲームはほとんどまったくやらないし、情報も知らない。PCゲーム屋に関しては、私も方が数ヶ月ぶりで訪れた。やはり自分が特に関心ない店は、連んで歩き回るときでないと入らない。まあ人と入ると、アホなことを話すネタになるので、そまに入るのもわるくはない。




 秋葉原もテキトーに彷徨い、今度は池袋へ。その電車の車内で、美津濃氏の携帯電話のストラップがぶっ壊れた。これは「シスタープリンセス」の「2」あたりに付いてきた代物だろうか。オマケにしては随分と保った方かも。
 携帯電話の画像は、何なのだろうか。私にはわからない。




 そして池袋。風邪で寝込んでいるП氏(仮名)が注文していた背広を受け取り、それから彼の家に届ける算段だ。だが、П氏から連絡があり、症状が極めて重くなったので、今日はこれから眠るとのこと。
 となると、ここで解散ですな。だが、とりあえずは池袋で夕飯とした。夕飯は豚丼。牛丼屋が代替品として出している、牛丼の製法で作った豚メシのことではない。帯広で培われた伝統の製法だ。これこそが豚丼。あの牛丼風豚メシを「豚丼」と信じて疑わない美津濃氏に、豚丼とは何なのかを知らしめるいい機会となった。たまに食いたくなるのですよ、こうした煮込み肉でなくて照り焼きの豚丼を。


 かくして今日の行程を終えて帰宅したのであった。




 ひとつ断っておくが、私はいわゆる「メイド萌え」という属性を持ち合わせてはいない。仮想現実としてのメイドに会うためにメイド喫茶へ行くというよりは、コスプレ喫茶に行っているという感覚だ。オタクたる行動をとろうとしてメイド喫茶に行っているという面もある。


 なぜ「メイド萌え」ではないのか。なぜならば「メイド」とは、階級格差における上位者に対して奉仕する「下層階級」だからだ。階級が違うというのは、階級社会では恐ろしいほどの差異である。貴婦人が着替えをしているところを使用人の男がいても気にしない(同階層の男が来たら大騒ぎだ)、階級とは他階級をそこまで同じ人間扱いしない恐ろしい制度だ(とはいっても、良家令息は使用人の娘を手を出して物事を覚えたりと、二重規範ではあるが、それはそれで恐ろしい)。それを鑑みると、アニメだろうとゲームだろうと、私は階級差の産物であるメイドに何一つ感じない。「メイドである」という時点で、私は関心を失っている。


 しかしメイド喫茶に行けば、給仕してくれる子が可愛いとかは思う。それはあくまで、「若い娘がコスプレしている」としか私の目には映らないからだ。日本のような階級分化が不完全で、幻想的な水平意識が蔓延っている社会だと、「下層階級としてのメイド」など存在しえない。
 一方、開発独裁の下、貧富の格差が極大化し教育や福祉の格差が大きい社会だと、「メイド」とは対等に付き合うべき存在ではない。少なくとも私にはそう感じられる。同じ言語を母語としているのにコトバが満足に通じず、社会や人文への知識や認識が稚拙極まりなく、はした金で雇用関係を継続してはいるが、いつ世話を任せた子供を虐待するか、親類や友人を手引きして賊に変わるかもわからない。それが上から見下ろした視点に於ける、メイドだ。


 労働市場が全世界的になり、専門性を持つ人間と持た(て)ない人間との格差が極大化するこれからの社会では、日本でも本当にメイドが普及するかもしれない。現在の日本で、底なしの金持ちが雇っているプロフェッショナルとしての使用人とは別の種類の職業が現れる、あるいは復活するということだ。
 金融工学や情報機器について勉強する機会もなく、専門性が要らない分野の仕事とて、待遇のよいものは外国人を含む教育を受けた人間に奪われてしまう。こうした中で、単純な家事労働力以外に提供する商品を持たない女性が必ずや数多く現れるはずだ。そうした女性を、ちょっと成功した小金持ちがはした金で雇うということは十分ありうる。階級社会になるとはこういうことだ。
 階級が違う人間同士は、受けた教育も違えば、人生観も付き合う人間も徹底的に違う。同じ日本語をしゃべる日本人のはずなのに、まるで分かり合えない。こうなると妄想的な均質意識は消滅し、メイドに対しても「下層階級」との認識が根付くかもしれない。


 そうした階級社会が到来すると、「メイド喫茶」はどうなるのだろうか。「現実の下層階級」とはまったく違う、「アニメやゲームに出てくる、ファンタジーとしてのメイド」と出会う場所として、今まで通りに続いていきそうな気もする。もし階級社会が完成しても、家事を助ける女性使用人は、多分「メイド」とは呼ばれないでまったく新しい職業として命名される気がするし、まして「洋館で仕えるメイドの制服」のごときフィクションが具現化するともとても思えないからだ。
 もっとも、成功者がオタク趣味の持ち主で、雇った女性使用人に「アニメ的なメイド服」の着用や言葉遣いを強要するようなことは、階級社会到来後には確実に起こりそうな気がしないでもないが。20年30年後の社会がどうなっているのか、とても興味深いね。


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