自主WR、及び映像講習
2004年12月25日(土)


 先月大山に登った際、「年末にもう1度何かしよう」とお互いに誓って別れた。この手の約束事は、なかなか実現しないものである。だからいつも私が企画立案から連絡まで行って実現させてきた。今回は高尾山に登って、それから私のアパートで飲むというもの。だが、今回の開催は非常に危うかった。年末という多忙期のために、前回の参加者全員と連絡がついたのは、予定日の前日。しかも美津濃氏(仮名)はバイトと院の研究で忙しく、Tem氏(仮名)が高熱を出して倒れた為に、魔人氏、F氏(いずれも仮名)、私の3人で集まることとなった。


 それはともかく、今回の企画のポイントは、中央大学ウォーキングラリー(以下WR)のコースを踏襲することにある。すでに中大のWRは実施されておらず、それに代わって開催されているハイクでは多摩キャンパスから高尾山口という、平地のみのコースになってしまっている。だが、我々にとっては、相模湖から出発し、相模湖側から高尾山を登って降りて、本来入り口の高尾山口から多摩キャンパスへと行軍するものに他ならない。この相模湖から高尾山口のコースが現存していることは、私自身が先月歩いて確認した。
 F氏はおそらく3年ぶり、魔人氏に至っては7年ぶりのこのコースを歩くことになるのではなかろうか。



2004年12月25日、10:48:16

 中央本線でJR相模湖駅へ。窓の外が暗いのはトンネルのため。
 今回はやはり連絡の不徹底があり、集合には少々混乱を来した。



2004年12月25日、11:01:12

 JR相模湖駅に集まってから、いざ出発したわけだが、相模湖公園付近のコンビニはすでに潰れている。
 そのため、駅前のコンビニ風商店で昼飯を調達。



2004年12月25日、11:10:10

 相模湖公園。普段は近くてカネもかからない手軽な行楽地として、ガキ連れがよくいるのだが、さすがにもう寒いからか、ガキは家でクリスマスプレゼントのゲームでもやっているからか、誰もいなかった。
 ちなみにここまで来て、いつもの二次元グッツ(等身大バスタオルとか)を忘れたのに気づいた。



2004年12月25日、11:22:06

 相模湖から少し歩くと、私がぜひ見せたかった古代遺跡が。
 「ケンカ上等」の文字がほとんど消えかかっているが、かろうじて痕跡は読みとれる。



1998年05月31日公式WRにて

 11月の日記にも載せたが再掲載。
 かくも鮮やかに頭の悪い文言が書き記されていたのだ。



2004年12月25日、11:22:32

 だが、F氏は「ケンカ上等」だけでなく、ここにも関心を示した。



2004年12月25日、11:22:32

 消えかかっているが、「めぐみ」とある。
 F氏はこれをネタに林原ファンの某氏をよくからかっていたという。
 私もこれについてはWR本番に耳目にしていたはずなのだが、後の自主WRではまったく目に入っていなかった。そんな出来事があったとさえ覚えていなかった。これが複数人数で懐古的な行軍を行う醍醐味である。



2004年12月25日、11:33:08

 弁天橋方面へと降りていくが、人が歩いた痕跡に乏しい道だ。



2004年12月25日、11:46:54

 弁天橋を越え、高尾山麓の住宅地へと至ったわけだが、ここの便所の前でよく伸びきった隊列を立て直したものであった。今回は3人なので休む必要もなかったが。



2004年12月25日、11:46:54

 しかしここは神社だったのか。F氏に指摘されるまで気が付かなかった。
 もしかしたら、以前にも似たような記述をしていたような気がしないでもないが・・・。



2004年12月25日、12:01:06

 高尾山への足を踏み入れる。他のハイカーはほとんどおらず、落ち葉の積もった道を歩いていたが・・・。私は驚いたよ。何に驚いたかというと・・・。



2004年12月25日、12:01:06

 脚じゃないか。ここの草むらにジジイが仰向けに倒れていたのだが、ま、まさか殺人か!?
 さっきすれ違ったハイカーが殺ったのか?
 それとも心臓発作で倒れてそのまま?
 いや、多分日向で日持ちよくなってうたた寝しているだけだろうけど。
 ちなみに12月下旬と言えども、厚着していると随分と暑く感じられた。



2004年12月25日、12:20:30

 頂上近くから撮った写真。
 F氏曰く、「うちの近所よりも発展している」とのこと。
 彼の家には1度しか行ったことがないが、そこまで凄絶な環境であったか。



2004年12月25日、12:44:40

 城山山頂到着。
 ここで握り飯などを食らって一休み。
 F氏は関西出身のTem氏用に納豆巻きを用意してきたのだが、Tem氏は不参加。残念である。
 魔人氏はチョコレートを分けてくださった。疲れた身体にチョコは浸みる。ありがたい。



2004年12月25日、12:50:30

 ジャンバーもセーターもリュックにぶち込んで山を登ってきたが、いざ立ち止まると寒くなってきた。というわけでなめこ汁を頼む。250円也。高いと言えば高いが、1時間半かけて登ってきた山で飲む一杯には、それだけの価値はある。



2004年12月25日、13:01:22

 私は気が付きもしなかったが、この城山の休憩所はちょうと県境らしい。ふと見ると神奈川県たる相模湖町の看板。



2004年12月25日、13:03:20

 数歩歩くと、東京都八王子市の標識。
 ここの休憩所は私有地らしいが、どのように登記しているのであろうか。



2004年12月25日、13:06:02

 ちなみにここの休憩所へは、車で入ってこられるらしい。今日はじめて気が付いたのか、過去に気が付いたということそのものを忘れているのか。まあ、車で登ることが出来なければ、さすがにプロパンガスから飲料水タンクまで持ち込むのは困難だわな。



2004年12月25日、13:20:38

 東京都に入ってからは、新しいトイレが目立つようになってきた。
 さすがは明治の森高尾国定公園だ。カネがよく回ってくるらしい。



2004年12月25日、13:43:56

 そして高尾山山頂。ほとんどノンストップで来たので、随分早かったような気がする。あちこち懐かしがって、寄り道してきたので時間そのものはかかっているのかもしれないが。それにしても、このテントはなんぞや。祭りか?



2004年12月25日、13:44:50

 高尾山山頂は、さすがに12月下旬ともなると土曜と言えども人は少なかった。もう紅葉シーズンも終わったしな。だけれどもその少ない人間は、明らかに今まですれ違った人々とは違った種類だとはF氏の弁。確かに、相模湖へ降りる人々と、ここまでケーブルカーでやってくる人間とは種類が違うはずですよ。



2004年12月25日、14:09:26

 高尾山の神社だが・・・こんなに色彩豊かであったろうか。



2004年12月25日、14:10:44

 今までは「通路」としてしか認識していなかった境内を、くまなく探索してみる。
 すこし脇にはいると、まったく知らなかった場所があったりもする。



2004年12月25日、14:10:48

 ここなんかも何回も横を通ったはずだが、まったく気づかなかった。



2004年12月25日、14:11:32

 神社に納めた金銭が刻まれているが、周囲の碑文から判断するに昭和3年頃の話だろう。それで600円とは相当な大金であったに違いない。



2004年12月25日、14:24:14

 オフシーズンだからか、初詣前に手入れしてしまいたいからか、境内ではここそこで手入れや工事をしていた。ちなみにリフトも点検中。



2004年12月25日、15:03:54

 高尾山口へ降りる。確か1997年のWRではここいらの店で昼飯を食ったはず、とのこと。私はまったく覚えていなかったが、そんなこともあったような。



2004年12月25日、15:08:00

 そして電車へ。Tem氏と電話連絡がとれて、体調が回復したTem氏は我が家の部から参加するとのこと。




 そして我が家。
 Tem氏が持ち込んだPSPとボールの説明書。
 さすがはTem氏。持ち物が違う。




 まずは、スーパーで買い込んだ肉を前に、乾杯。




 豆汁で豆を食う。




 Tem氏が持参した横浜シューマイ。
 これはホタテの香りがついていて、なかなかうまかった。




 今まで「ガンダムSEED DESTINY」の1時間スペシャルをリアルタイムで流していたのだが、Tem氏が持ち込んだDVDも上映。




 もちろん確認したのは、オンエア時とは改変されていたこのシーンだ。




 さらにはこれも上映。
 まさかTem氏、購入されていたとは・・・。
 観た感想は・・・これが毎週テレビでやっていても、観ないだろう、観たところで「げんしけん」諸氏ほど熱中はすまいというものであった。けれども、貴重な映像を見せてもらいましたよ。



 そして「げんしけん」そのものの上映。
 TVKが入る地域に住むTem氏と私以外は、これを観たことはなかった。
 どこからどう見ても中大で、しかも我々の学部時代に酷似した生活。
 これがネタにならぬわけがない。




 これは必ず何か武器を帯びているTem氏が持ち込んだ、.44マグ。
 アンブレラのマーク入り。
 ものはタナカ製らしい。




 シリンダーが独立したユニットとなった、面白い趣向の商品だ。
 これは一丁欲しいかも。アンブレラでなくて、もっと一般的な刻印のが。




 もちろんこの日のために購入したと言っても過言ではない、清酒「朝霧の巫女」も投入。
 早速携帯電話で撮影された。
 かくして夜は更けていった・・・。


 ちなみに彼らは、頭上に貼り付けられていたソ連・ロシア指導者の肖像には、私が言うまで気が付かなかった。スターリンに対してTem氏がえらく関心を示していた以外は、それほど大した反応はなかったような。それよりも、別の壁の天井近くに日章旗とともに貼られていた、皇族のご真影にこそ反応が大であった。日本臣民として当然のことですよ。


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