美津濃氏宅単独逗留、及び有明、そして帰省
2004年12月29〜30日(水〜木)


 もしも有明に出向いて売買をし、薄い本を買いそろえることに並々ならぬ執念を滾らせることが二次元愛好家たるものであるとしたら、私はかなり軽度の愛好家ということになる。有明へは今まで物見遊山でなんとなく出向いていたが、特に欲しいものがあったわけではない。ただ、コミケで同人誌やグッツを買うことに執念を燃やす友人連中や怖いもの見たさの友人らとともに、連んで行ってくることそのものに意義があった。だが、今回は1人の同行者もいないのにも関わらず、私はどうしても有明の地を訪れたかった。
 だが、30日は帰省日。ちと挨拶したい人が出来たのだが、その人の参加は30日。まあ飛行機は遅い便なので、かなりの強行軍をこなせば不可能ではない。まずは朝っぱらに羽田空港へと出向いて、コインロッカーへ重くてかさばる帰省荷物を預ける。それから身軽になって有明へ向かう。国際展示場で用を済ませたら、また羽田空港へ戻って飛行機に乗る。こういう手はずだ。さすがらノートPCから露和辞典まで含めた大荷物は、有明らは持ち込めない。
 かなりの強行軍が予想されたが、東京都内在住の美津濃氏(仮名)が、部屋への逗留を提案した。彼自身は29日に家にはいないが、合い鍵を貸すから好きに使っていいとのこと。これはありがたい。川崎から羽田まで早朝出向くのより、都内から出た方が楽だ。ご厚意に甘えさせて頂くことにした。




 そして美津濃氏宅。
 家主が留守の部屋に入るのははじめてではないが、なんか妙な気分だ。




 とりあえず荷物を置く。写真では小さく見えるかもしれないが、この荷物を抱えて川崎からこのマンションへと至るだけでもかなり疲れた。大質量による足腰への負担もさることながら、容積のある物体を抱えて電車に乗るのは神経を遣うことだ。今回は夕方出発したが、もし朝の川崎を出たら、いかに年末とはいえラッシュに巻き込まれたかもしれない。それを回避できただけでもありがたい。




 一晩滞在する以上、飲食物は不可欠だ。家主が長期不在の中、勝手に食器をつかうわけにはいかない。洗えばいいような気もするが、それは面倒な上、勝手が過ぎるような気もした。だからすべて捨てられるものを用意。ついでにゴミも30日が回収日だ。




 とりあえずはPCをセッティング。AirH"があるのでネットにはとりあえず不自由はしない。もちろんこの部屋にもネットはあるし、かなりの高速回線を引いているので快適だ。だが、とりあえずは自分のPCを使うこととした。部屋で撮った写真をその場で加工し、ブログを更新しておく。




  だけれども美津濃氏宅のこの敷物。
 いい柄なのだが光学マウスを使うのには適していない。
 まあ、紙でも敷けば良好になるのだが。


 さてどうしたものか。弁当も食ったし、ネットもとりあえず最低限の用は済んだ。
 しかし朝を迎えるまではまだまだ時間がある。
 ここはCATVも入るのだが、キッズステーションもアニマックスも、今はたいして興味のある番組はやっていなかった。




 PS2とゲームソフトがテレビの前にあった。「サンパギータ」は関心あったが結局やることもなく忘れ去ってしまった代物。それに「GTA3」は酔いが激しいという欠点があるが、朝まででもハマれる。結構時間が潰せそうだ。
 と思ったが、コンセントはどこだ。テレビ界隈のすべてのコンセントが埋まっていた。家主がゲームをやるときにはどれかを外すのだろうけれども、どのプラグを外していいものやら。もし何かの設定が狂うとか、ビデオの留守録が消えるとかしたらマズい。遠くから延長コードを引っ張ればどうにでもなったが、そこまでする気にもならず、PS2は諦めることに。




 ところで。家主はよほど急いで出掛けたのか、いつもこんな感じなのか(多分後者であろう)、クローゼットが空きっぱなしであった。クローゼット上部に横たわっている白いぶったいはまさか・・・。いや、考えるまでもない。




 コレだ(写真は2003年08月24日撮影)。


 これを引っ張り出していかれた写真でも撮ろうと思ったが、さすがに他人のクローゼットをまさぐるのはよくない。引っ張り出したところで、潰せる時間はわずかだ。なので、この抱き枕には触らなかった。
 ここを立ち去ってから思うと、帰宅した家主がドアを開けた瞬間に目にはいるようにセッティングしておいてもよかったような気もするが、もし誰かと一緒だったら、あるいは近所の人に見られたら、社会的に死ぬような気がするので、やらなくてよかっただろう。




 結局、時間を有効に使おうと思い立ち、美津濃氏の蔵書で読書をすることに。




 インスタントコーヒーを飲みながら、「スクールランブル」を読む。これはなかなか面白いな。構成がよく作り込まれている。労作だ。これはハマる。美津濃氏宅にある6巻すべてを読破してしまった。正確な時間は忘れたが、読破した頃にはかなり夜が更けていた。




 あまり寝るつもりはなかった。コーヒーを飲みつつ、テレビをつける。するとBSでスターリングラード攻防戦についての特集が再放送していた。これは第1回しか観たことがないので観たかったのだよ。美津濃氏のビデオデッキが空だったら、コンビニでビデオテープを買って録画したのだが。惜しい。




 さて、空も白みはじめたころ、今度は「七つの海のティコ」の総集編がやっていた。これ、観たことはないのだけれども、なかなかよいな。一瞬DVD全巻揃えようという気になってしまったよ。




 さて、そろそろ2〜3時間寝ておくか。
 というわけで寝る前に帰り支度をすませておく。ゴミはまとめ、電気製品のスイッチを切り、火の元を確認し、自分の荷物をまとめ、そしてプリンターから用紙を一枚抜いて置き手紙を書く。ついでに、持参した年賀状も添えて机の上に置いておく。


 さて寝るか。



 ここからは強行軍である。




 羽田空港まで行って、搭乗手続きをして、大荷物を預け荷物に預けて、機内持ち込み荷物をコインロッカーへ。年末の繁茂期でコミケ時期でもあるため、コインロッカーがないのではとも肝を冷やしていたが、さすがに満杯ということはなかった。




 そしてモノレールから臨海線へ天王洲アイル駅で乗り換え。




 そして有明である。


 さて、今回私が有明へ出征した目的は、我らが親ソ傀儡政権の首班たる、товарищ速水螺旋人閣下にご挨拶をするためであった。ロシア語学習者かつソ連フリークとしては、どうしてもお会いしてみたかった。
 どうにか「ボストーク通信社」を訪れることが出来たが、こうした場で初対面の方に(しかも、掲示板で数度やりとりしただけで、ほとんど一方的にこちらから知っているだけの方に)挨拶をするのには慣れていないもので、意味不明なことを口走ってしまったような気がしないでもない。偉大なるソ連邦の尖兵たるには、Всегда готов!(常に準備は出来ている!)でなければならんのだが。




 同志速水にまがりなりにも挨拶をして新刊を購入した後は、急いでタクシーに乗り込む。
 混雑する臨海線駅の列に割り込んで改札をくぐれば間に合ったが、割り込むことさえ出来ないぐらい混雑していたら、あるいは整然としていたら、搭乗手続きを済ませてあるとはいえ飛行機に間に合わない恐れがある。素直にタクシーを使う。
 家族が集まる機会はなかなかないし、親は年々老いていく。今回の正月は家族で温泉旅行へ行くのだが、こんな些細な旅行でさえいつまで親の健康が許すか、本当にわからない。それにこの旅行と子供達の帰省を、両親は心待ちにしている。電車の遅れや割り込みによるトラブルのようなくだらない理由で、飛行機に乗り遅れるわけにはいかなかった。この便を逃すと、温泉旅行に間に合うように帰省することが、事実上不可能になる。




 結構高くついたが、道路はそう混雑しておらず、快適であった。




 無事に待合いロビーまでたどり着き、AirH"でブログの更新なんかをする余裕も。
 この同人誌は、戦利品の「KITTEHATTE右往左往」。






 そして釧路。
 以前の釧路空港へ通じる道は、急カーブ、長くて狭い坂道とで、寒冷地には危険な道だった。毎年必ず路肩から転落した車を目撃したものであった。釧路近辺にはよく叫ばれるようにムダな道路や、理解に苦しむ非合理的道路がここそこにあるが、この新道路だけは地域にとって必要不可欠のものである。 
 かくして、実家へと向かったのであった。


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