5.伊丹−羽田
2005年03月06日(日)



 地下鉄で新大阪駅に戻り、ここから伊丹空港行きのバスに乗る。だが、空港行きのバスに乗る列に並んでいたら、浅黒く日焼けして骨張った男が列に近づいてきて、「このバスは遅い」「何時の飛行機になる」「こっちの方が早い」というようなことを言っていた。関西弁を正確に記憶して文字に打ち直すことは私には不可能だが、意味としてはそうなようなことだ。で、話をよく聞いていたらタクシー運転手らしい。切符も買って並んでいる列から客を引っ張っていこうとはいい度胸である。バスに乗って席についてからは、バス会社職員とおぼしき男の怒鳴り声が聞こえてきた。口論にでもなっているのか、ただ単に話しているだけなのかはわからないが。


 街角を歩いていただけで、尋常ならざる声が聞こえることはしばしばあった。もしかするとフツーに話しているだけなのかもしれないが、街角で聞こえる声はしばしば罵声や口論に聞こえた。また、クラクションはかなりの頻度で鳴り響いていた。渋滞しているわけでも、何かが交通を妨げているわけでもないのに、クラクションをヒステリックなまでに鳴り響かせる車のなんと多いことか。大阪は私には住みにくい街かもしれん。やれやれ。まあこんな程度で怯んでいては、モスクワなんかはとても歩けないのだが。




 そして伊丹空港。到着ロビーを見回すと狭い感じがしたが、出発ロビーは思ったより狭くないかもしれない。けれども、羽田や新千歳と比べると手狭なのは間違いない。すでに大阪中心部に近いコミューター空港に特化しつつあるので、伊丹は存在価値の高い空港である。それを考えると、やっぱり手狭かも。
 



 手荷物検査場へ続く長蛇の列を見て、やはり利用客や便数に比してターミナルビルが狭いと確信。拡張工事が難しいので、まあこんなものか。




 ただ、一度検査ゲートをくぐると、通路は長かった。
 ここを歩いていたら、大学時代の後輩・美津濃氏(仮名)からCメールが。今日帰京するのならば、うちで凱旋パーティーでもどうですか、とのこと。日常に変化をつける意味で大阪までやってきたが、やはり1人では物足りないものはある。お誘いとあらば、行くしかない。ありがたいことだ。もう少しで電源を切るところだったので、危ういところだった。




 夜の大阪を無目的に闊歩するのも疲れると判断し、それほど遅い便にはしなかった。
 だが、日は沈みかけている。




 出発は1730時。あと数分しかないが、メシを食っておくことに。よく考えたら、新大阪で力うどんを食って以来、水しか口にしていない。




 もちろんメシ屋なんかには入らず、コンビニめいた店にてサンドウィッチを買って食った。




 帰りの便はB773ことB777-300。機体のサイズの割には双発とエンジンが少ない為、エンジンはデカい。釧路発着便にはこんな新鋭機は回さないので、777シリーズに乗るのは久しぶりだ。




 機内サービスが私の所まで回ってきたと思ったら、機長の指示により客室乗務員も着席することに。つまり揺れるということだ。急いでコーヒーを飲まねば。




 日は沈んできた。
 見ても気流の状態なんぞわかるわけはないが、帰りは結構揺れた。




 羽田に近くなり、機外カメラが外の様子を写し始める。
 スクリーンに妙に白いものしか見えないが、これは機のライトである。
 夜間では自機のライトしか見えない。




 ライトは翼の付け根についているのか、エンジンが明るく照らされていた。


 着陸までにはかなり時間がかかったような気がする。羽田は混み合っているのか順番待ちをしていたのであろう。窓の外を凝視すると、乗っている飛行機と同じ軌跡で旋回している機が何機も見えた。


 羽田に到着してからは、やはり手荷物だけで空港を後にし、美津濃氏宅へと向かった。預け荷物がないのは身軽でいい。ただし、復路に於いては、私のカバンには自分の分と伊佐坂の分の2人前の同人誌が詰まっているので、若干重かった。


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