しんめい氏とおたく展へ
2005年03月12日(土)


 東海にその人在りとその名を知らしめているしんめい氏が、ご友人の婚礼祝賀会の為東京を来訪された。氏は東京到着から祝賀会までの間、しばし時間があるので「グローバルメディア2005 おたく:人格=空間=都市」展を見物されるとのことで、私も同行させて頂くことにした。この「おたく展」、前々からニュース等で取り上げられてはいたが、なかなか訪れるキッカケがなかった。しんめい氏と共に乗りこむのならば百人力である。




 会場たる東京都写真美術館がある恵比寿駅にて降り立ち、洒落た建造物が建ち並ぶ一角へと足を運ぶ。他大学へ通っていた旧友や目黒在住の友人と会うときには、ちょうど便がよいので恵比寿ではしばしば待ち合わせた。だが、この瀟洒な現代建築物群へ足を踏み入れることはほとんどなかった。東京へ出張へ来た親父に、メシを食わせて貰ったときぐらいか。




 私のような服装は小汚く、エレガントな趣味もない人間には似つかわしくない場所のような気がしてならない土地ではあるが、写真美術館にも一点だけ似つかわしくない掲示がされていた。




 いや、このポスターは見たことがあるけど、恵比寿ガーデンプレイスで見ると非常に違和感がある。国際展示場に、いかにもな二次元絵が。さらによく見たら、この写真美術館の周囲にも私同様、普段ガーデンプレイスへ足を踏み入れないであろう人々が闊歩していた。


 さて、待ち合わせ場所とした美術館内のミュージアムショップにてしんめい氏と落ち合い、早速内部を見物してみる。
 最初は大して二次元臭のしない、前衛芸術や先端機器の展示場のように思われた。SONYの犬っころや、台所のシンクとマウスを繋げたオブジェなどが展示されていた為だ。しんめい氏は展示品を四角く照らすライトに興味を持たれたようだが、言われてみれば確かに不思議だ。遥か頭上のライトは、四角く区切ったカバーをされているようには見えない。おそらくは、偏光フィルターで四角い形を出しているのであろう。さすがは東京都の施設。設備がよい。そこで「おたく展」をやるとはさすがは東京都。


 このように展示品よりも設備に気を取られていたのだが、奥へと歩を進めると様相は一変した。どこのアニメショップか。天井からはゲームやアニメなど二次元もののポスターが大量にぶら下がり、足下にもポスターが貼り付けられている。内容は去年のものから数年前のものまで。概ね新しい作品が取り上げられていた。だが、入り口に「すきしょ」と「学園ヘヴン」を貼るとは迂闊にも怯みましたよ。ちなみにBGMはポスターよりは数年古く、「エヴァ」のものが流されていた。そして展示ケースには食玩が並べられ、壁には「侘寂萌」「ぷに」など外国語訳が極めて困難な文字が筆で描かれ、日本語・英語・それとおそらくはイタリア語と思われるラテン系言語の3カ国語で解説が為されていた。
 それだけならばまだしも、壁には宮崎勤死刑囚の部屋の写真(それも雑誌あたりの掲載写真を引き伸ばしたような感じ)と、オウム真理教のサティアンの写真までもが壁一面を占拠する。こ、これを東京都の施設で掲示したことも凄まじいが、ヴェネチアでこの写真を貼りだしたことを考えると、なんというか。日本をどう解釈されるのであろうか。
 そして「おたくの部屋」と称する場所にはその筋の抱き枕やバスタオルらしきものが鎮座し、写真と模型で何十人分もの「おたくの部屋」が再現されていた。しんめい氏と話したが、確かに「この部屋でどうやって生活しているのか」「ここには人を呼べまい」という部屋もあったが、この部屋の多くは「狭いから機能的に本を並べている」「このぐらいの部屋はごくありきたりではないか」というものも多々あった。氏と私の感覚が、いわゆる「一般人」とどれだけ乖離しているかはかなり疑問だが、アニメ等二次元に興味のない人がみても、ただ「学生の部屋」程度の認識しか示さないであろう部屋も多かったということだ。それだけ、日本にマンガやライトノベルが浸透しているということかもしれないが。恐らく欧米では、マンガを読む若者はあまり一般的な学生像ではない。


 さらに足を進めると、秋葉原でよくある、箱を借りてその中で物品を売るケースが再現され、カタログのイラストを切り貼りして特定時期の国際展示場が再現され、航空写真によって秋葉原が二次元街へと変遷する様が再現されていた。しんめい氏はコミケの類へは行ったことがない方なので、僭越ながら私めが解説などをしながら見物して回る。この展示は1人で行くよりも、複数人数で回った方が面白いのかも知れない。何故かというと、外国人にとってはそもそも異国の様子を再現した展示は物珍しく、それほど「おたく」ではない人にとっては異様な空間なのかもしれないが、私にとっては自分の日常に類するものを切り取っただけでしかないからだ。やはり、これはどうだ、いういう人は身近にいる、自分もこれにはハマったなどと話ながら回った方が、ずっと楽しい。やはりしんめい氏には、声をかけて貰って感謝です。


 それからはガーデンプレイスのスターバックスで、茶などやりながら民族派団体や神社の話などをする。しんめい氏は、日本海大海戦より100年の節目の年に当たる今年の5月に、また何か行動を起こそうとの意欲を見せておられた。私もロシア語に携わる者としては、5月27日には某かのことはしたいものではある。
 それからまだ若干時間があるのでどうしたものか。しんめい氏は民族派の書籍を取り扱い、何度もガサ入れを喰らったという曰く付きの本屋の話をしてくだすったが、あいにく場所は覚えていないとのこと。かと言って、私も東京にはそう詳しくはないし、マニアスポットのネタをほとんど持ち合わせていない。結局、しんめい氏が行ったことのないという新宿の紀伊国屋書店へと案内することとした。




 新宿駅新南口方面から高島屋方面に行き、




少し歩くと、本屋としては巨大な紀伊国屋のビルが現れる。本屋という場所も、複数人数で訪れてもそれなりに時間を過ごせる場所である。但し、相手がインテリゲンツィアの場合に限るが。その点、しんめい氏は申し分がない。
 まずは大学時代にお互い従事していた武道のコーナーを回る。平時に於いて武道の優劣や効能は、どうしても神学論争になってしまう。だからこそ、武道書というのは実用とはまったく別の意味に於いて、楽しめる面があるのだ。しんめい氏が紹介してくださった本では、身体のフォーマットごとに人間が何パターンに分けられていた。そこまではいいとして、その具体例として歴史上の人物が取り上げられていて、一気に胡散臭さが激増。稽古したことも会ったこともない人間を身体のフォーマットで分類するのは、よほど古文書や遺物を精査せねばなるまい。だが、そんな堅実な研究に基づくような論拠はまったく示されておらず、それどころか武人でさえない人間までもが取り上げられる始末。これだからキワモノとしての武道書は面白い。
 それからは軍事コーナーへ。しんめい氏はレシプロ時代の軍用機、就中日本海軍航空隊に造詣が深いご様子。戦史・軍記を相当読んでおられるのであろう。具体的な人名や作戦に関しては、私にはまるで手が出ない。私は、ハードについての図説は読んでも、将兵の回想記や作戦解説のようなソフト的な文献はほとんど読んだことがないのだ。人は私を軍事マニアと呼ぶが、苦手分野について詳しい方と話をすると、私などまだまだ愛好者さえ名乗れないと痛感しますよ。
 そして次は政治思想コーナー。しんめい氏が通われていた大学にはなかなかラディカルな教官がいらしたそうで、「男尊女卑」「外国人排斥」の極論を講義で述べて物議を醸した人物がいたそうな。その人物の著書を手に取ってみたが、本人はスタンフォード卒で外国に学んでいたとは。学説と本人の人となりとは必ずしも一致しないということか。また、民族派についての紹介本・極左論など、一般書店でもなかなかお目に掛けることのない本がここそこにあり、なかなか興味深かった。


 かくして紀伊国屋を回っているうちにしんめい氏の残り時間は乏しくなり、外に出てベンチに腰掛けて一服しつつ、サイトの話や私の語学の話、それに日露戦争の話などをした。日露戦争については、乃木希典は機関銃に対する作戦がない時代に於いて、時間制限の中よくやったのではなかろうかということで、氏と私との見解は一致した。それから第一次大戦に於ける機関銃への銃剣突撃の繰り返しについても話が及ぶ。しんめい氏曰く、最も戦いたくない戦場は第一次大戦に於ける塹壕戦だそうだ。世間では「無謀な戦闘」というと日本軍の精神論ばかり取り上げられがちだが、欧州に於いても敢闘精神によって機関銃を打倒しようとした悲惨な歴史がある。「機関銃の社会史」を愛読書とする私にとっても、第一次大戦の塹壕戦はかなり興味を引かれる戦場ではある。
 氏がパーラメントを一本吸い終わるとベンチを立ち、ゆっくりと新宿駅へと向かい始めた。私は帰路につき、しんめい氏は東京を訪れた本来の目的である祝賀会へ行くのだ。新宿駅前にて記念撮影などし、またの再会を誓って各々別々の改札をくぐった。
 私は暇人ではあるが、その日常に変化は乏しい。しんめい氏との久々の再会は、なかなか刺激的な一日となった。そもそも他者と会話をすることさえ少なくなってきているが、大学を出てからは「決まり切った価値判断に基づいてものを話さない」「受けた高等教育に恥じない見識を持つ」の2点、いやいずれか1点でさえ達成する人物と接することは稀になってきている。その意味に於いて、今日はなかなか脳が活性化させられる日でありました。


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