友人の結婚式へ初参加
2005年05月15日(日)


 今日は同郷の友人の結婚式だった。私は今まで親戚・友人を問わず、あらゆる結婚式にただの一度も出たことがなかった。今回が初の結婚式である。新郎と共通の友人とご祝儀の相場を聞いて合わせ、わざわざ実家から春物のスーツとネクタイを取り寄せ、筆ペンでご祝儀袋に名前を書くのにしくじって買い直すなど、参加前から自分の結婚式でもないのに随分と焦ることが多かった。マナーの本を熟読しなどもしたものであった。おかげで、次の機会からはそう焦らずに参加できることであろう。


 前述の通り、今回は別の友人と2人で参加してきたわけだが、彼がいてくれた助かった。事前準備の協議もさることながら、披露宴でも彼しか顔見知りはいないので。「新郎友人」として呼ばれたのは同郷である私とこの友人の他、あと3人いた。この3人は、大学時代の友人である。彼等とはそれなりに新郎の昔話や世間話などしたが、どうしても彼等自身が久々に合った友人同士であるので、同じ大学の友人同士が話すことが多かった。必然的に、私も同郷の友人と話す時間が多かった。それはそれで滅多に会えない友人と話す機会を持ててよかったが、会場で1人じゃなくてよかった。大規模な式なので、披露宴では新郎新婦とは一言も口を利く機会がなかったしね。ちなみに新婦も私とは面識がある。


 私には式の規模が一般的にどんなものかは知らないけれども、100人はいた。新郎新婦の友人はそれぞれ5人ほどで、家族・親戚も両家合わせて20人程度。残り70人は全員新郎の職場の人間である。この、「新郎の勤め先の人々」がまた凄まじい面々であった。失礼だが、広域暴力団の結婚式だと言っても誰も疑わないだろう。同僚の全員が男性で、さらにそのほとんどが坊主か角刈り。しかも目つきの悪いカミソリみたいな奴かゴリラみたいな巨漢ばかりである。さらには真っ黒いカッターシャツに白いネクタイとか、ファッションセンスは極道そのもの。吸うタバコはセブンスターやハイライト。喫煙率も極めて高い。こうした人々が、新郎に対して「オラ、笑え!」「飲め!」とヤジ(私にはそう思えた)を飛ばす。しかし極道ではない。となったら答えは決まっている。彼らは警察官である。


 集まっていたのは署長、署の課長クラス数人、同一部署の係長クラス数人と同僚大勢、警察学校時代の同期大勢、さらには警察学校時代の担当教官数人。まずは署長が挨拶し、所属部署の課長が挨拶し、さらには警察学校時代の教官が挨拶し、そして警察学校時代の同期が替え歌で「それ行け無敵の**県警!」などと歌い出す。新婦側は友人が歌を歌ったのみである。まさにこれは警察官の結婚式であった。新婦の親御さんは、娘が警官の嫁になったという思いを強くしたことであろう。
 私は初めての結婚式だから他の職業の人々の結婚式との相違点はわからないが、これは多分特殊な経験であって、結婚式はこういうものだと一般化してはいけないのだろう。結婚式に、職場の人間が動員されることも、偉い人が引っ張り出されてスピーチするのもよくあることとは思う。けれども、別々の部署や地域に配属された研修所時代の同期が集められるなんてことは、あり得ない。ましてや教官までもが呼ばれるなんて!警察はゲマインシャフトを志向する組織だ。全構成員が親兄弟のように絆を持って団結し、社会の範となることを旨としている。こうした大動員も、そのための組織的な措置なのであろうね。もしかすると、警察官は2人だけで異国の教会で式を挙げたり、親友と家族だけで小さく式を挙げることは許されないのかもしれないね。


 それはそれとして、式自体はなかなか良いものでありました。新婦のウェディングドレスは新婦のお母さんの手作りで、ブーケは新郎のお母さんの手作り。泣ける話だ。そして新郎は金モールの飾緒をつけた礼服に身を包み、重厚な礼帽を被り、新婦と共に入場すると入口で立ち止まって、直立不動で敬礼を数分間続けていた。これは格好良かった。強大な組織への帰属とその名誉を示すシンボルに私は弱い。警官か自衛官になって、礼服で結婚式というのもいいかも、と思ってしまったのである。私はそういう道を選ばなかったのだが。


 そして新郎のお父さんは紋付き袴で、署長から順に、1人1人酒を注いで回って挨拶をしていた。もちろんお父さんは我々新郎友人の席へもやってきた。単に「この度はおめでとうございます」だけに終始していれば、私が同郷の友人なのか大学の友人なのかもわからなかっただろう。実際、私以外の4人は簡単な挨拶文句しか言わなかった。だが私は自己紹介も添えておいた。「湖陵高校でご一緒させて頂いた、**です」と。お父さんは驚いておられた。まさか釧路の人間が関東の結婚式にいると思わなかったのか、それとも私の名前に意表を突かれたのか。お父さんは私の名前を知っていた。新郎たる友人が私のことを話していたというよりも、お父さんは私の一族の名を知っていた。「あの**の!」という反応からもそれは明らかである。
 披露宴からの帰りがけには、お父さんからは親しげに話しかけられた。まるで、久々に会った恩師や伯父さんが話すように。お父さんは関東に出てきてはいるが、元は釧路の人。同郷の人間、それも知っている人間の息子(ないし甥)とくれば、大勢の警察官よりは親近感が湧いたのかもしれない。私も親しく話しかけられて好感を持ちましたよ。元々名家で知的エリートでもあるこの友人一家には、前々から親近感を抱いてはいたけども。
 まあ結婚式というものは、婚姻の祝いの席であると同時に、人々が知り合う機会でもあるということだ。別に、友人のお父さんと今後の人生でまた会うことはまずないと思うけれども、こうしたちょっと記憶の隅に留まっている程度のweak tieが、人生においてどんな風に影響を持つかは計り知れない。




 式の間、外は雷雨で、雷鳴が響き渡っていたらしい。しかし豪華な高層ホテルではまったく聞こえなかった。そして二次会の展望レストランからは、雨が上がり虹が橋を架けているのが見えた。偶然とは言え、なかなか気の利いた演出だ。そして二次会では若い署員と新郎新婦の友人だけが集まり、飲んで話した。私も二次会では新郎新婦と随分話をすることが出来た。やはり二次会が若者、特に友人の時間なわけだ。二次会は二次会で、よい時間を過ごせました。




 ちなみに、新郎の大学時代の後輩がポラロイドカメラ・チェキで撮ってくれた写真を貰った。
 本当は新郎新婦、そして共有の友人の4人で写っている写真なのだが、ちょっと私だけトリミングしたみた。
 2年ぶりに背広に袖を通したけれども、我ながらオッサンになったものである。

 


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