院試第1戦線
2005年09月18〜20日(日〜水)




 さて、宿営地に到着致しました。
 都心部にあるビジネスホテルを格安プランで取った為、もちろん素泊まりである。
 寝られて、着替えられて、風呂入れて、荷物を置けて、面接用の背広を吊せればいい。


 もちろん川崎から都心までは、多くの勤め人がそうしているように、早朝電車に乗ってやって来ることは可能だ。だが、人身事故や天候不順、機器故障によって列車が遅れること、運転停止することはしばしばある。そうしたときに、大学が救済措置をとってくれるだろうか。そのような措置に期待するよりも、最初から近くにいた方がよい。それに院試では、そのような事情は考慮されないような気もする。
 また、朝から殺気だった連中と共にすし詰めにされ、蹴った蹴られた押した触ったとくだらんことでいがみ合いになることも、電車ではめずらしいことではない。試験のような人生の分岐を左右するときに、長い道中で身体的精神的に疲れることは避けたいし、くだらぬトラブルを生じさせるリスクも最小にしたい。だからこそ、宿をとった。私は必要と思ったことには、可能ならばカネを惜しまない。安いビジネスホテルだが大学近くにいられることのメリットは計り知れない。




 都心部の高額なメシ屋でカネを払うほど余力がないので、食糧は全てコンビニにて調達したパンとおにぎりである。人付き合いのときには少し洒落たメシ屋ぐらい入るし、出先でメシを食うときにはラーメンや定食に高い料金を払うことを躊躇しない。シチュエーションを選ばず四六時中カネを惜しむ人間は、行動にするに当たって結局時間や労力で余計なコストをかけ、他人にさえそうしたコストを支払うことを強要することになる。だけれども、ホテルに自室を得た今、敢えてメシにカネをかける必要もない。だから1食220〜230円程度でよい。




 そしてコップ、湯飲み、電気湯沸かし器、灰皿などの余計な物品をすべてどかして、机に勉強スペースを確保。最初の晩はロシア語と専門科目を一通り軽く復習し、次の晩は研究計画書を見直して、中核となる資料を軽く読み直した。まあ少なくとも、ホテルに於いてはやることはやった。
 ホテルに於いてはあまり寝られなかった。翌日に備えて比較的早い時間に寝ると、最初はやはり気疲れしているので眠れるが、2時間寝ては起き、それから目が冴えてまったく眠くならず、夜明け頃になってから寝たと思ってもやはり2時間程度の睡眠。結局睡眠時間は、4時間平均である。しかしアパートにいてもこの睡眠時間はあまり変わらなかっただろう。なにせ月明かりが気になるほどだ。


 周知の通り、この第1戦線の結果は敗退であった。筆記試験がまったく基準に満たなかったのか、それともボーダーだったのか。希望指導教官に気に入られなかったのか、実は当該研究室では学生を採る予定が元々なかったのか。それはまったくわからない。私の努力能力が足りなかったのか、それとも私に出来る人事とは関係のない力学の為に落ちたのか。まあなんにせよ、落ちたのには違いない。その為、私の院試は第2戦線へと移行する。


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