早朝、電車に乗らず
2005年12月XX日(X)


 いくら東京人を気取ってみたところで、私は北海道釧路市という田舎で生まれ育った人間だ。小中学校は徒歩で密度の低い住宅地を通学し、高校は自転車。買い物に行くときも自転車で飛ばしたか、あるいは親の車に乗せて貰った。その為、電車やバスに乗る習慣は、幼少期にはまったくなかった。さらに言えば、東京で暮らし始めた予備校時代は早朝に寮を出た上、乗車率の高くない都営地下鉄と下り方面のJRを乗り継いだ為、ラッシュに出会すことはほとんどなかった。大学に至っては、登校時間が昼頃だった上に、郊外の鉄道を下り方向に数駅だけだったので、ラッシュどころか座れないことさえあまりなかった。だから私が毎朝ラッシュの電車に乗る経験をしたのは、川崎に越してからである。


 通勤電車を忌避していてはどこへも行けない。そんなことはわかっている。だが、違う移動手段があるのならば多少のコストを払ってでも、ラッシュの電車を回避したくはなる。その方法とは、徒歩。私の居住地から通っている某所までは、徒歩で移動することはあまり考えられない距離である。だが、不可能というほどの距離でもない。


 まず私は、時間と疲労加減を測る為に、帰り道を歩いてみた。行きは遅刻にならないように到着時間を考えなければならないが、帰りならば多少遅くなっても大した問題はない。途中で足の裏に水泡が出来てきたので、残り数駅のところで電車に乗ってしまったが、それでも3時間は歩いたか。重い辞書の入ったカバンの為に、足への負担が大きかったようだ。しかしこの分だと、電車に乗らずに全行程歩いても、4時間ちょいといったところか。災害などで電車が全面運休しても、帰ることは出来そう。足は最近歩いていなかったから、ナマっているだけであろうて。




 しかし問題は、橋が最短距離にかかっていないことである。ドムロットの田舎では舟漕いで川を渡っているというが、そうはいかん。橋を渡るために、1時間は余計に掛かりましたよ。遠くに見える橋の灯を見つめつつ、一歩一歩足を進め、手には携帯電話。外灯ひとつない河川敷では、自転車に衝突される恐れがある。その為、携帯電話の液晶のライトで存在を示していたのだ。本当は河川敷の散歩用に発光ダイオードの点滅灯が売られているので、それを付けた方が安全の為にはよいのだろうけど。そこまで準備があるわけもなく。


 さて、帰り道を歩いてみてだいたいの距離は分かった。数駅電車に乗ったが、この区間は以前出入りしていた場所があるところなので、そこから自宅までは数十回も歩いた。このへんの道はよく知っている。これで朝、電車に乗らずに家を出発するだいたいの時刻の見当が付いた。午前4時半から5時前に出れば間に合う。かくして私は毎朝とは言わないまでも、しばしば早朝家を出て4時間も歩く生活が続いた。そのせいか、ここ1〜2年間毎朝やっている腹筋の効能か、ウェスト79のズボンがハマるようになったものである。ちなみにこんなサイズのズボンは、十数年間ぶりか。


 以下は、早朝歩きながら撮った写真である。
 撮影日は複数日に跨っている。




 夜明け前。わかりやすいようにコントラストを調整したが、本当は肉眼で見ても地平線付近に見える朝焼けの光はもっと暗かった。地平線近辺のやけに明るい白い線は、始発電車の窓から漏れる明かり。シャッタースピードが遅いので、つながって見える。




 写真を撮っているうちに、少しずつ明るくなってきた。




 住宅地を流れる川岸の散歩道。
 まだジョギングをする人さえ見あたらない。




 太陽はまだ見えぬが、大分明るくなってきた。




 東京と言えども、ベンチにも地面にも霜が。




 早く来すぎて、シャッターが開いておらず。この日は、24時間営業のメシ屋で朝食(というのには、起きてから時間が経ちすぎているが)をとり、ゆっくりして、さらに周囲を散歩してから開くのを待った。




 橋に到達する前はまだ深夜同然。




 橋に着いた頃に、地平線に朝焼けが。








 橋の上を渡っているうちに、目に見えて空が白くなる。シャバでまともな生活をしている人の多くは、なかなかこんな光景を平日にみることはないだろう。子供の頃は、漫画のあとがきに「この仕事をやっていると、時間の自由が利くので深夜・早朝の街を散歩できる」とあったのに、とても憧れたものであった。子供らしい自己特別意識からか、珍しい職業への好奇心からか、「常人には出来ないこと」に憧憬を覚えたわけで。しかし28才にして、早朝必要もないのに何時間も闊歩するという尋常ではないことをやっていられる立場にあるとは、確かに子供時代の目標が叶ったのかも知れぬ。まあ、この時間でも働いている人はいくらでもいるので、大したことではないと言えば大したことでもない。だが、前の会社に勤めている頃は、こんなことは想像も付かぬことであった。
 何はともあれ、12月はこの早朝行軍を楽しんだのであった。


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