3人で、釧路郊外を徘徊
2006年01月03日(火)


 高校時代は9人でよく連んだものだが、今や3人は音信不通。残る5人とも機会を作らなければなかなか会う機会はない。その機会を作るのに最適な時期が正月なのだが、仕事で帰省できぬ者、仕事は休みでも帰省せぬ者もおり、今回は4人で集まることとなった。が、うち1人は急病で寝込んだ為、3人になったわけである。


 釧路在住で車を持っており、地元の道路事情や冬道に慣れているけんしろ氏(仮名)がいないことは、彼自身と再会できないことも残念だが、計画そのものに影響を及ぼす事態でもあった。彼が各自の自宅を車で回って人員を拾い上げて、そして車でここそこへ行くのがいつもの常だったからだ(もちろん面倒とガス代をかけているので、車代は払っていた)。が、それがないとなると、どう集まり、どう移動したものか。そもそも釧路で遊ぶ場所もよくわからん。


 というわけで、取りあえず無難に田舎の人民御用達のジャスコに集まることに。まずはジャスコの回転寿司で昼食を採り、ジャスコのゲーセンで遊ぶなどした。ゲーセンと行っても、ごく少数のマニア層が1コインで長時間粘ることの多いビデオゲームなど1台もない。スーパーのゲームコーナーではプライズが主流だ。私も思わず、「プリキュア」のキーホルダーを取ろうとしたが、こういうゲームは不得手だ(別に得手なゲームがあるわけでもないが)。私が何回か失敗した後、高校時代からゲームが上手かった、くさ氏(仮名)が一発で取ってくれたものであった。




 ちなみにこれが、件のキーホルダー。私はこの日、終日カバンにこれをぶら下げて闊歩した。学部時代はルリルリ・キーホルダーを下げていたものだが、さすがに大学卒業以降は、せいぜいチャックの「Kanon」の舞を人知れずぶら下げているだけなのだが。




 ジャスコでは、阿寒在住のくさ氏が普段買えない本や生活用品を買いだめし、その後、タクシーにてやはり郊外型大型店のポスフールへと向かった。3人で割ればタクシー代は550円程度。向かった先はポスフールではなく、その隣にあるカメレオンクラブである。




 カメレオンクラブは、昔はファミコン専門店だったような気がする。子供人口の減少と若年人口の釧路からの流出、大型総合小売店の進出等によって、中小のファミコン専門店の多くは潰れた。が、カメレオンクラブは郊外に大型店舗を構えて生き残っていたようだ。しかもくさ氏によれば、二次元人専用店に脱皮したとのこと。
 確かに中は、見覚えのある物品が並んでいた。玄関先にはコインを入れる簡易自販機(内容は「苺ましまろ」など子供向けではない)。中には、最新のゲーム機とそのソフト、昔懐かしいファミコン、メガドライブ、ネオジオなどの本体とそのソフト。そして中古・新品のPCゲーム。その大半は18禁。さらには同人誌も1コーナーを占めていた。各種専門書や専門誌の古本も、ここそこに並ぶ。東京在住のナイワン(仮名)と話したが、東京の相場よりもどれも割高であった。だが、その筋の物品の大型供給店は貴重だ。これまで零細な古書店や中規模の新古書店にごく少数ずつ集められ、あるいは価値がわからず引き取られさえしなかったマニアックな物品が、こうして一箇所に集められたことの意義は大きい。




 ただしゲームソフトは高かったが、古本は安かった。「Gun誌」の別冊が350円で叩き売られているとは恐るべき暴挙。半額でさえない。すでに持ってはいるが、ついつい予備が欲しかった私は確保してしまった。さらには引っ越しを繰り返しているうちに手放してしまった「TO HEART」のアンソロジー本も買い直す。速水螺旋人先生の「BACK in the USSR」を再び読みたかったのでちょうどよい。さらには、帰省しなかった仲間である伊佐坂(仮名)に同人誌をお年玉に送りつけようと、共謀して同人誌を2冊ほど調達。膨大な伊佐坂コレクションにすでに所蔵されていそうな気もするが。




 そして次に向かったのは、ゲームセンターのスガイである。スガイと言えば、かつては釧路のメインストリートたる北大通に君臨するアミューズメントの中心地であった。だが、駅前のデパートが次々と潰れ、あるいは撤退し、中小の店舗はシャッターを下ろす中、小売りの中心地はジャスコやポスフールのある郊外へと移った。スガイがポスフールの近隣に移転したことも必然か。ちなみにこの建物、そんなに古くはないのだが、かつては古本屋兼PCパーツショップが入っていた。だが、PCパーツショップは釧路ではそう需要がない上に規模が小さすぎ、古本屋も漫画の立ち読み客ばかりでそう流行らなかったらしく、潰れたようだ。ゲーセンの方がよほど流行る。


 このスガイは、釧路で唯一、ビデオゲームに活気があるゲームセンターである。つまり釧路のマニアックなゲーマー層はここに一極集中すると言ってもよい。くさ氏が「北斗の拳」の格闘ゲームでユダを使っていると、その筋のフジョシな方々がユダの面妖なポーズに動きを長時間観戦していたものであった。
 ちなみに私は、ルナマリアのオイルライターを入手しようと奮戦していたが、まったくもって歯が立たなかった。くさ氏によると、ハンドの調整が弱すぎて、まず取れないとのこと。しかしそれはわかっていても、ルナマリアのライターは欲しかったかも。取っていたら、早速タバコを再開したであろうから取らなくて良かったのかもしれんが。




 それからは、ゲーセンのハシゴである。ポスフールからはやや歩くが、競馬のWINS近くにセガワールドがある。途中にあるカメラ屋・本屋・ゲーム屋が入った店を経由して、ついでに実家で保管してある物品用の防カビ剤の換えを購入し、そしてセガワールドへ至った。ここでは、運転教習のシミュレーターをやったが、なかなか難しい。実際の運転教習よりもシビアだ。車庫入れは10センチズレただけで減点。そんなアホな。さらには昔ハマった「バーチャコップ」の「3」があった。これは大分前からあったような気がしたが、ナイワンと2人でやってみたところ、1コインでクリア寸前までいってしまった。設定が簡単にされているのであろうか。その間、くさ氏にはヒマな思いをさせてしまったが。さらには「スーパーマリオ」なんぞも発見してやってみたが、スティックに慣れず、最初のクリボーに玉砕する醜態をさらして失笑を買ったりもした。いやはや。


 それからは、セガワールドの隣にある肉屋で夕食。サーロインステーキを注文。1890円はちとカネがかかった。しかし酒を飲まなかったので、飲みに行ったと思えば安いものか。その間、「キン肉マンII世」に出てくるバリアフリーマンの話ばかりしていたような気がする。




 それからは、メシ屋の道路向かいにある電気店100萬ボルトへ。道路向かいと言えども、釧路では数少ない片側2車線の直線道路。とても渡れません。夏場は100km/hを出す車も珍しくなく、冬場も冬道としてはそこそこスピードが出ている。しかも中央分離帯には雪が積もり、路面は凍結している。渡るにはあまりにも危険すぎる。というわけで、来た道を戻って歩道橋を渡って、再び歩いて100萬ボルトへ至った。日が落ちて、シャーベット状だった歩道は歪な形で凍結し始めていた。歩きにくい。ここでは私は実家のプリンターのインクを、ナイワンはDVD-Rメディアを、くさ氏は仕事用のテンキーやマウス、それにエロゲーを購入した。




 そして100萬ボルトからポスフールまでさらに歩いてコーヒー屋で一服。これがくさ氏の購入した代物である。どこかで観た絵のような気がするが、わからない。こんなときに伊佐坂がいれば一発でわかるのに。さらにはポスフールの映画館で「プリキュア」の映画を男3人で観ようと寝言を話していたが、こんな時間に上映されているはずもなく。おとなしく帰路に就いた。

 




 我が家まではタクシーを使えば、そこそこカネがかかる。バスはもうない。というわけで、途中まで方向が同じナイワンとそれぞれの実家まで歩いて帰ることに。別にカネをケチったというよりも、名残惜しんで昔話でもしながらほっつき歩きたかったわけなのだが。




 途中のスーパーの駐車場では、古いクラウンが雪に埋まっていた。これは雪が積もったばかりではなく、スーパーの除雪した雪の壁に囲まれて、身動きとれなくなっていた。長期間の違法駐車なのか、あるいはナンバーはついているが不法投棄車なのか。何なのでしょうかね。


 12月には早朝数時間歩くことを何日も続けてきた私にとって、帰路はそれほど問題ではなかった。途中でナイワンと別れて1人歩いたが、正直に言って関東の朝の方が寒いと感じられたほどだ。錯覚なのはわかっているが。防寒装備の差か、湿度の差か。まさか八甲田山のように、死にかけて体温が低下してきた為、外気温を「暑い」と感じるようになりかけていたわけではなかろうて。何はともあれ、釧路に於ける旧友との再会はこうしてささやかに、昔のようなカネのかからない徘徊で終わったのであった。メシだけはカネがかかったけれども。




 ちなみに、くさ氏のご実家の猫・マリリンはまだ壮健であるそうな。
 もう相当な高齢のはずなのに、元気だという。
 長生きする猫である。
 ちなみに写真は2001年8月撮影。


戻る