発熱を抱えてロシア語の試験を
2006年02月20日(月)
今日のロシア語の試験を終えれば、しばし出入りしていた語学学校のカリキュラムが完了する。だが、昨夜から体調には異変が生じていた。
昨夜はろくに対策めいたこともせず、取りあえず早めに寝ていたわけなのだが、やけに寒い。包囲下のレニングラードの市民達が、燃料不足の中で味わった寒さはこんなものではない。何のこれしきと思っていた。しかし、ふと自分の頭か首に手が触れたとき、やけに熱かった。これはまさか・・・水銀体温計によると37度だったが、文字通り分刻みに1分ずつ上がる始末。
ただ、このときはまだ熱は37度台。それほど重大視してはいなかった。そんなことよりも突然、激しい腹痛がはじまった。胃の入り口が、胃の下部が、十二指腸が、ヘソの回りが痛い。魚と一緒にアニサキスでも食ったか!それとも、知らぬうちにガラス片でも喰らったか!去年の潰瘍性腸炎以来、2ヶ月ぶりに腹を抱えてうめいた。背と手足を丸めて寝るのはペトルーシュカだけで十分だ!
この痛みは猛烈で、頭の中から翌日の試験のことなど吹っ飛んでしまった。どれぐらいの程度ならば救急車を呼ぶべきか、どうすれば楽になるのか、このまま死ぬのか、死ぬにしてもとっとと楽に死なせてくれ、いややっぱりまだ死にたくないような・・・とか延々と考えていたような。
結局、普段は電気代をケチって摂氏23度までしか上げないエアコンを30度に設定し、非常用のミネラルウォーターを枕もとに置いて水分を補給しつつ、あるだけの布団をかぶって寝ることに。しかし痛みは如何ともしがたいし、寒さもまた解消できなかった。緊急用リュックから小型毛布を引っ張り出して首に巻きつける有様。
そして今朝は酷い下痢に苛まされたが、熱は37.1度に下がっていた。腹痛もときどき起こるが、昨夜呻いたほどではない。下痢で悪いものを出して少しは楽になったか。さて、今日はロシア語の試験である。これさえ終わればあとは大学院への「入院」までヒマである。もしかしたら人生最後の長期休暇かもしれん。タイミングがいいのやらわるいのやら。試験は伸ばしてもよいが、後になると体調はより悪くなるかもしれん。その為、行くことに決めた。
熱で妙な浮遊感を覚えつつも駅までたどり着き、「ホット梅ドリンク」なる風邪によさそうで腹の負担にならない飲み物で、冷風で冷えた身体を温めつつ水分補給。試験が遅い時間(1115時)なので、電車が空いていることは救いだ。しかしそれでも、列車の席に座るとまた猛烈な腹痛に襲われ、1駅で降りてどこか駅前の医者に駆け込もうか、それとも家に帰ろうかとの考えが頭をよぎる。だが、そのまま目的地まで降りなかった。試験もあるし、預かっているものもある。今日のうちに済ませねばならない用もある。
かくして、取り敢えず語学学校へたどり着き、試験を受けてきた。
試験では、思考能力が失われているわりには、まあ書けたと思われる。"словно"をド忘れしたのは熱のせいか。この単語を使った自由作文では「彼らはあたかも友人であるかのように話していた」のつもり文を書いた。"словно"はこの「まるで〜のように」の意味で合っている。まあ山掛けというよりどこかで覚えていたのであろう。
他にも
「私は学校を卒業したら、祖国の為に兵士になります」
「人生において最も重要なことは、敵と戦い祖国を防衛することである」
「私には自己批判が必要である」
などの文を書く。
搾取というコトバも動詞か被動形動詞過去短語尾で使いたかったが、スペルにлかрか自信のない個所があったので止めておいたが。思い返せば露検2級の吹き込みでも、「我が祖国の競技団の活躍は国家的成功である」とアジ演説をぶったが、ロシア語をやるとこういう文ばかり覚えるのか、私の頭がおかしいのか。両方だろう。
そして試験を終えて、その他の所用も済ませたのは1500時過ぎだったか。私が占有していたロッカーを空にして、鍵を返却などしておく。辞書などの重いものはあらかじめ少しずつ持って帰っていたが、それでもいくらかのものは持って帰らなければならなかった。重い。
そして、帰りに目に入った病院に飛び込んで検温したら、熱は38.1度に達していた。看護士は「座っていられるか」と声をかけ、医者はすぐさまインフルエンザの検査を行った。が、陰性だった。あくまで消化器の感染症で発熱しているという。やっぱり胃腸炎か!子供の頃から腹ばかり壊したけど、やっぱり胃腸は鬼門ですな。インフルエンザではないにしても高熱で、下痢の続く症状は体力を消耗する。医者は入院を仄めかしたが、私は「それほどつらくはない」として自力で歩いて帰ることを選んだ。カバンが重かった。腹は痛かったが、まだ体力は消耗していなかったわけだ。ちなみに費用は、初診料・診察料・検査料・薬代すべて込みで2000円ちょいだった。ジェネリック薬を積極的に使う個人病院だったわけだが、なかなか安い。
医者に行くまでインフルエンザを疑ってはいなかった。そして結果としてインフルエンザではなかった。けれども、「どうしてもやらねば、行かねば」と電車に乗って菌をバラ撒くのは、はた迷惑な行為。結果としてただの腸の感染症で、これは他人に空気感染しないが・・・反革命的な行為であった。銃殺されても文句は言えぬ。しかし大事を取って自宅休養していたら、サボタージュの罪で銃殺されたのであろう。いやはや。
家に帰って熱を測ったら38度を超えていた。頓服を飲んでも38度を切らなかった。だが、抗生物質の早期の投与が構想し、熱はやがて下がり、下痢は収まり、腹痛は軽くなっていった。だが、消耗して立ち歩くだけでも動悸・息切れ・目眩がするようになり、1週間は回復しなかったのである。試験を受けて帰ってきた20日が一番元気だったかも。それを思うと、試験は延期しなくてよかったわけだ。