同志オクノフ来日
2006年03月04〜05日(土〜日)

 

 本日、偉大なるソ連邦の首都モスクワより、同志オクノフが来日した。
 いやまあロシア語の先輩なのですが。
 早速成田空港まで、上記の歓迎の紙切れを印刷して持参し、迎撃へ出向きました。




 川崎から成田空港までは決して近くはない。前日ほとんど寝られなかったこともあって、乗り換えなしで座っていけるバスで行くことにした。だが、成田行きのバスは、成田空港に入る前に警備によってパスポート・チェックをされるのか。私もアメリカへ行ったときにバスを使ったはずなのだけれども、これは忘れていた。覚えていたところで、今回は寝るためにバスに乗ったと思うけども。そして成田行きのバスでパスポートを持っていないということで、不審がられた。人を迎えに行く旨伝えると、身分証明書の提示を求められた上に、結構詳細に聞かれたものです。まあ無事通れたけど。




 撮影しても逮捕されない国際空港。日本はすばらしい。そして、今回の企画を立てたカノッサさんらと電話連絡して合流したが、すでに奥野さんは皆と合流しておられた。バスの時間はやや心配だったが、一歩遅かったか。しかしまあ、私が用意した紙切れは、空港での記念撮影のときに活用いたしました。


 それからは、電車にてまずは奥野さんが逗留される馬頭邸へと移動。
 成田からの電車の中で、奥野さんが一言。
「山だ」
 ロシアには、ウラルやカフカースを除けば山がないのである。千葉のちょいとした小山でもめずらしく見えるという。だから、ロシアではアルペンをやるのは外国で遊べる金持ちだけであり、その為冬季オリンピックでロシアはアルペンでは勝てない。もちろんクロスカントリーは盛んであり、生活と結びついていることもあるのだけれども。
 ちなみに、アルペンやジャンプのような山がなければ出来ないようなものはともかく、バレエからアイスホッケーまで、ロシアの子供は田舎に於いても、スポーツ・芸術に関して一流の指導を受ける機会に恵まれている。だから競技選手や芸術家の層は厚い。一方日本でバレエをやっている、バイオリンをやっているという子供は稀で、しかもちょっと変わった境遇の子供だとか、親が見栄でやらせているブルジョワ趣味だ、のような悪意と好奇の目にもさらされる。だから、スポーツ・芸術の層は薄い。例外は野球で、多くの子供が野球をやるから層はとても厚く、それゆえにアメリカに進出する選手も出てきたわけだ(もちろんアメリカの子供の野球離れという事情もあるが)。という話をしていた。


 そして馬頭邸。馬頭氏の蔵書の多さには感服いたしました。天井に届くほどの巨大なメタルラックに処狭しと並べられる書籍の数々。私なんぞは、カラーボックス数個程度ですよ。このときの影響で、私は本の置き場としてメタルラックを注文したほどである。


 それからは秋葉原を訪れ、奥野さんに秋葉原の変遷を視察して頂くことに。私も、最近秋葉原はあまり来なくなった。PCの自作はあまりしなくなった上、ちょいとした電子製品・メディアならば近場の量販店で買った方が、交通費を考えればよほどの買い物をしない限りは安い。その上、人が多く、物見遊山の人々も増えているという。私は人混みが苦手である(人混みが好きだ、という人はそういないだろうけど)。
 さて、秋葉原へ降り立った奥野さんの声は、「(秋葉原UDXビルは)ブレジネフ時代の官庁ビルのようだ」とのこと・・・。ITセンターとしても期待されるガラス張りの最新ビルは、ソ連時代中期のセンスとそう変わらないようだ。すこし薄汚れればそっくりだという。これは、老朽化が楽しみです。


 それからは秋葉原の飲み屋で宴会である。
 前回奥野さんが帰国、もとい訪日されたとき同様、歴史に造詣が深い方々が集まった。その知識の豊富さには感心致しました。そして・・・昨夜ほとんど寝ていない為、飲み屋で眠ってしまったことも付記しておきます。飲み屋で居眠りをするなどという醜態、何年ぶりだろうか・・・。失礼をいたしました。マガダン行きはご勘弁を。
 飲み屋から解散して、4日の部は幕を閉じた。


 さて、5日の部では、まず渋谷に集合した。私が渋谷に到着したときは、幹事役のカノッサさんしかおられなかった。だが、大鴉さんが現れ、馬頭邸から奥野さんと馬頭とんが現れ、少しずつ人数が集まった。そして今回は、奥野さんの札幌時代のご学友である奇怪犬氏が渋谷が来られ、昼食をご一緒する機会に恵まれた。さらには奇怪犬氏とは入れ違いに、やはりご学友のカネキウス氏も途中から合流することになっている。まさに三帝会戦。

 まずは奇怪犬氏を交えてインド料理店で会食である。札幌への飛行機の関係上、私は奇怪犬氏とはあまり会談することはできなかったが、奥野さんによとっては旧知の学友との貴重な機会になったことと存じます。そして奇怪犬氏を見送った数十分後には、ほとんど入れ違いにカネキウス氏と渋谷で合流である。




 写真はカナダ大使館。カネキウス氏と合流したところで我々は、まずカナダ大使館にて行われているジョン・ハウ展へ行ったのだ。これはこの4〜5日は参加できなかった速水螺旋人先生からの情報によって知り得たイベントである。ジョン・ハウは「指輪物語」のイラストで有名な画家である。私は絵についての造詣はあまりないが、これはすごい。絵を描く技術もさることながら、物語からあのイメージを紡ぎ出して形にしたことが凄い。これはよいものを見ました。


 そしてカナダ大使館横の高橋是清記念公園。元の是清邸。置いてある石細工は、どう見ても日本のものには見えない。この公園にあった石碑を大陸に返還したことについて、婉曲的な説明書きも発見した。なぜその石碑が日本にあったのか、ということに関する辺りが明らかにボカしてある。いやはや。
 そして大使館前の通りには電線が見あたらない。地中に埋めて景観をよくしているのであろうけれども、奥野さん曰く「電化されていないのでは」とのこと。電化。ソ連時代には高らかに成果として歌い上げられたコトバですよ。まあロシアでは未だに電化されていないド田舎もあったりするのだけれども。


 それからは浅草である。浅草寺の提灯には、松下電器の文字が。すると背後の外国人が英語でパナソニックについて話出す。それを聞いて、カネキウスさんとほくそ笑んだものです。




 浅草寺ではお神籤を引きましたが、生まれて初めて「凶」でした。
 「凶」は実在するのですな・・・。


 それからは、浅草寺を抜けて江戸下町伝統工芸館へ。途中で見た蔦だらけの銭湯に、「極度に不潔な方の入浴お断り」との看板が。ホームレスを駆逐する為の文言なのであろうけど、「不潔だから風呂に入るのでは」と笑ったものであった。いや、浴場にとっては大変な問題なのだけれども。まあホームレスでも、風呂にもコンビニにも入れないほどに汚れてしまったら、もう戻ることが出来ないわけなのですな。ホームレスにも稼ぐ能力や衣類・身体の衛生状況に応じて、段階があるわけだ。
 フンドシ刺青カレンダーを冷やかし、「スリ、ひったくり、娼婦に注意」の最後の文言に驚きつつも江戸下町伝統工芸館へ。ここは銀製のお猪口から人毛を使ったハケまで、さまざまな工芸品が展示されていた。ちょっと使ってみたいものもあったが、間違いなく高価で、取扱・手入れが大変なのでしょうね。なかなかめずらしい品を見ました。


 そしてエロ映画が上演される映画館、路上で泥酔して寝る人々などの、そこそこ退廃的な街並みを楽しみつつ、今夜の宴会場である「どぜう屋」へ。ここで、何人かとまた合流。モスクワより一足早く帰省されていた、やはりロシア語の先輩の高田さんもいらっしゃいました。
 ここではドジョウを食したのだが、どぜう鍋は煮るというよりも焼くのに近い料理でありました。平皿にも似た浅い鍋にタレを引き、その上でどぜうを熱するのである。食感はうなぎに似ているが、うなぎほど油がキツくなく、あっさりしておりました。うなぎのいかにも熱量が高そうな風味と後味も好きだけれども、このいかにも高蛋白というどぜうの食感もまたすばらしいものがありました。


 どうでもよいが、店から出るとまだ時間も早いのに吐瀉物の対人地雷がありました。
 ごカンベンを。


 それから2次会として、上野駅にてもう1軒飲み屋へ。ここでは、カネキウスさんのアメリカにおける階級問題や北海道に於ける経済問題についてのお話と、奥野さんのロシアサイドからの見解は非常に興味深いものがありました。そして終電近くに帰路についたのでありました。


 さて、この4・5日の奥野さんへの歓迎式典において、私はすばらしいお土産を数多くいただきました。






 大学院試験合格祝いに頂いた、プレミアム・ウォッカ。






 厚かましくも、「ロシアの火器の本が欲しい」と要望を出した私に、わざわざ「ロシアの射撃兵器」とロケットランチャーについての書籍を頂きました。これは武器の操作方法から分解方法までかなり詳細に載っており、ロシア語で各部品の名称を書きだしただけで相当なロシア語での銃器用語に通じるようになることでしょう。すばらしい。




 そしてこれは、新聞「イズヴェスチヤ」。
 奥野さんが読んでいたものだが、頂いてしまいました。
 読む勉強に使わせて頂きます。




 これはロシアの雑誌。2005年の重要事項についてまとめた号。
 これを読めば、活躍した人物や社会現象についてロシア語で読むことが出来る。
 ロシア事情についてのちょっとした手引きとして役立ちます。




 これはロシア末期の内戦についてのイラストが豊富な解説書。ロシアの歴史に関するシリーズものの一冊である。これがまた、ナガン・リボルバーに装填するチェキストの邪悪な笑い顔から、リンチを受けた海兵のアザまで、これでもかと描かれていて面白い。一応子供向け教材のようなシリーズなのだが、容赦がないです。




 これはウォッカは1日にリュームカ1杯までという警句なのだが、その1杯を巨大に描いているジョーク商品である。これは耳が痛い。

 


 このように、お出迎えで使用した紙とともに、壁(正確には戸だが)に貼らせて頂きました。

 奥野さんには、前回の帰省時に引き続き、またしても大量にお土産を戴いてしまいました。上に挙げた品々を持ってくるだけでも、相当な重さになったことでしょう。本当に、ありがたいことです。モスクワには足向けできません。私がモスクワを訪問するときには、手みやげに黒テンり毛皮ぐらいは用意せねば、釣り合いがとれません・・・。




 そしてこれは、馬頭さんから頂いた歴史同人誌である。
 ロシア・東欧に関しては、もうちょいと知らねばなりません。
 ありがたい拝読させて頂きます。


 本当に、いろいろ戴きました。
 ホント、頂戴してばかり。
 物品にせよ土産話にせよ、いずれ私から提供できるようになりたいものであります。



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