学部生の中での入学式
2006年04月03日(月)


 今日は入学式である。大学院生として大学と名の付くところへ舞い戻ろうとは。学部在学中には院を志すも諸事情によって方針転換することになり、学部卒業後は就職し、しかしすぐさま見切りをつけて離職し、外語を学びなどしつつ院試を再び志すようになり、そして大学院に合格を得た。学部時代に院を断念してから5カ年計画でやっとたどり着いた院生への道。まさかここまでたどり着けようとは。


 だが、大学の入学式なんぞは入学式は学部生と一緒。と言うよりも、学部生と院生の人口比率などロシア連邦内のロシア人とアゼルバイジャン人みたいなものなので、「我ら学部生の母なる大学から院生を追放せよ!」と頭を丸めた連中に襲撃されなければよいが。




 そのような不安はさておき、地下鉄・九段下駅を降り立った。入学式の会場は日本武道館であるが、九段とくれば靖国神社ですよ。あるいは九段の母。この満開の桜も入学式にふさわしいというよりも、「明日は俺の番だ。死ぬ時が別々になってしまったが靖国神社で逢える。その時はきっと桜の花も満開だろう」という鶴田浩二の朗読が頭に浮かぶ。もう少しで歌い出すところであった。周囲の最大10歳年下の学部新入生やその父母の晴れの日に、あんまり脅威を与えるわけにはいかんけど。




 それにしても皆さんお若い。私が28歳で今年29歳になるということは、3年生高校を順当に卒業して現役合格した学部新入生は、18歳。例え院生だったところで(飛び級以外のルートを)最短で修士になった学生は22歳。6つ下ですか。私はオッサンですよ、オッサン。
 オッサンが若者の中で一番やってはならぬことは、上から下にものを見ること。中には奇抜な背広の着こなし(流行りの着方ではなくて単純に間違えていると思える着方)も目に入ったし、大学生活に向けての抱負や期待に関して何とも言えぬ怠惰や悪徳を語る会話も耳に入ったが、それについて評価するのはアンフェアだ。私が10年前にはネクタイの結び方もマジで知らなかったし、この大学の学部に入学する能力もなかった(事実、現役時には落ちた)。そう考えると、立派な若者たちですよ。




 そして武道館。この大学の学部がいくつあるのかはまったく知らない。現役・浪人を通しての第一志望だったので、ここの大学については多少は知っていた。が、学部・学科の新設などが進んで、今はよくわからない。今調べたところ、学部学生数は中大をやや上回るらしい。それが一同に会するとはスケールが大きい。中大では、構内の第一体育館で式を行ったが2部構成だったような気もする。少なくとも卒業式は学部2郡に分けて、午前ないし午後に行う2部構成だった。体育館はそれなりに広いが、全学部が集まれるほど広くはない。それを考えると、千代田区の武道館で行う入学式なる、東京の大学らしい儀式にはじめて参加できたことになる。これは貴重な体験であった。


 そして、司会を行った学生はテレビ局に内定が決まっていた。「**テレビにアナウンサーとして内定を戴いております」と述べられると、新入生らはどよめき、大きな拍手が鳴り響いた。さらには祝辞を述べたOBも、卒業後大商社に入社した人物だった。
 もちろん有名な大企業に勤めることが、必ずしも個々人にとってそれが幸福というわけではないし、18、19、20歳の若者の多くが認識する企業観はそう広くはない。だが、それなりに名前の通った名門企業に入社した、あるいは内定した人物を登場させることは、それなりに奮起させる効果を生むことであろう。式の演出としては、わるくない。
 むしろ、20代半ば〜後半ぐらいの、就職活動の成果が芳しくなく現在の生活にも納得のいかない若年サラリーマンが、後輩相手に「厳しい世の中の真実を伝えて指導してやる」と称してほざく、「貴様らは何にもなれない」「大望や意欲なぞ抱くだけムダ」「この大学なんかは何の足しにもならない」という主旨の寝言の方が、遥かに有害である。こういう抑圧移譲のみを喜びとする愚か者にだけはなるまいと思って生きてきた私は、今さら就職にも大企業にも関心がないが、今回の式の演出には感心した。


 ただ、基本的にこの式において、大学院生は存在そのものを忘れられていたことも付記しておく。何度も、「院生席は別にあるのではないか」「実は違う会場や時間ではないのか」と式次第を読み返したが、場所にも時間にも間違いなかった。しかし式辞の内容も配布物も、院生を対象としてものはひとつもなかった。ま、武道館の入学式に参加する機会をえられたので私はそれで満足ですが。


 ついでに、校歌斉唱では黙っている学生が多いが、私は歌ってきた。この大学の校歌ならば、何年も前から知っている。それどころか、歌えといわれれば応援歌も歌えるぐらいだ。"St.Paul's will shine"とか。それは他大学か。


 そして入学式の後、学部生とその父母の列を避けて、駅とは反対方向へ抜けだした。するともう、背広を着た私は、ただの勤め人にしか見えなかった。今日はあちこちで入社式が開かれていたが、新入社員にさえ見えるかどうか。ちょいとトイレに入って手を洗いつつ見上げたとき、鏡に写った自分を見て、「これは老けておるわい」と再認識したほど。
 書類を取りにキャンパスへ足を踏み入れたが、さすがにサークル勧誘はまったく受けなかった。積極的にビラを配り、呼び止めて勧誘する若人達も、私が通るときは道を開けた。◎□派のアジビラさえもらえなかった。2〜3度、後から追い掛けてきた学生が私の顔を見てから、何か言おうとするのを止めたものだった。職員と思われたのか?何せ学部5年生のときの1年生が、今や企業で大学生相手に説明会をやっている時代だ。就職活動中の4年生に見られるにしては、私はすでに老けている。


 そして、大学院の研究科の顔合わせにおいては、この研究科の院生が想像よりも少ないことを知った。これは、ネットでうかつなことは書けないわい。見付かるのは時間の問題かもしれんし。取りあえずひとつだけ書くと、ロシア語が出来る方が何人かいて、驚いた。しかも最も流暢な方は、独学でその域に達したとのこと。起きて2時間単語帳と露文を朗読し、昼は露文を精読し、寝る前にまた単語帳と露文を2時間朗読して1日8時間ロシア語に触れているという。頭が下がります。多少ロシア語を学んだことに驕りがありましたが吹っ飛びました。明日から偉大なる祖国と主義と人民の為に、マジで勉強せねば。
 ついでに、飲み屋でブレジネフ期の国歌を合唱してきました。やっぱりロシア関係者はただものではありませんな・・・。


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