白昼、高校時代の連中と飲む
2006年06月04日(日)





 東京在住の高校時代の旧友とは、前々から「少し遅い新年会をしよう」とは話していた。だが、年度が替わり、桜が散り、それでも実現しなかった。そこで5月に私が実現に向けて働きかけ、そして6月に時間を設定したわけだ。それが今日の会合である。


 集まったのは、ナイワン、総統(いずれも仮名)と私の3人。高校時代は9人で連んでいたが、今関東にいて連絡がとれるのはこの3人だけである。釧路に1人、阿寒(行政区分としては合併の為釧路だが)に1人、札幌に1人、函館に1人、行方不明が2人。毎日毎週のように高校帰りにゲーセンへ行って当時流行りだった格ゲーをやり、カラオケなどをし、焼肉屋へ繰り出し、それから下宿に溜まって飲むような生活をしていたものだが、現在となってはなかなか会合は難しい。けれども、機会は作らないと発生しないわけだ。


 今回は総統が行きつけの焼鳥屋へ。早朝から酒を出す店である。そこでホッピーを飲むのが彼にとって、今一番粋な一時らしい。ホッピーは古くから伝わる低アルコール飲料だが、この焼鳥屋で「ホッピー」を頼むと自動的に焼酎のホッピー割りが出てくる。古は、この飲み方が代替ビールとして扱われたという。


 今回話したことは、仕事や生活の近況からはじまり、やはり昔話に花が咲いた。「昔はこんなアホなことをしたが、今考えたら大変なことをしでかした」という内容で。

 例えば、大学の初めの頃の帰省時、総統が「遊びに行こう」と私をボロカムリで連れだした先はなんと120km離れた帯広。この段階で、ちょっと市内で遊ぶと思っていた私は度肝を抜かれたものだった。運転技術の未熟さとボロカムリの性能の低さから、総統は低速で運転していたら、案の定後続車に煽られた。そこでニッケル合金製の特殊警棒を窓から振り回したら、後をつけていた車は凄まじいスピードで追い抜いて消えていったものであった。さらには帯広に着いM君に突然電話をして御実家に乗り込み、茶の間で酒盛りをしてそのまま昼間で寝て、起きたらM君は我々が吸っていたそれぞれの銘柄のタバコを買ってきてくれており、M君のお母さんはメシを作っていたくださった。本当に悪いことをしたものだ。


 と、「アホなことをしたな」で終わるわけではなく、総統は突然M君に数年ぶりに電話を掛けなどするではないか。既に妻子があり、おそらくは久々の休日を家族で過ごしているであろうM君のお宅に、突然酔っぱらいが電話をかけるという。これまたなかなかの迷惑。まあすぐ切ったからいいが。


 そして「十分飲んだ」として敷居を跨いで出たら、外は真昼。薄暗い店内で、すでに夜であるかのような錯覚を覚えていたが。太陽が昇りきったばかりの往来で、酔っ払っているのは我々だけであった。

「そっち行っちゃダメ!(声を潜めて)酔っ払いよ」

 小学生の女の子を、母親が呼び止める声が。
 うーん、そんなにヤバい連中に見えましたか。
 見えますね。ええ。


 数時間焼き鳥を片手に飲むという、ささやかな会合でありましたが、久々に旧友と楽しい酒を飲むことが出来ましたわい。次はいつになるのであろうか。


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