美津濃氏逗留
2006年09月12・15・17日(火・金・日)


 学部時代の後輩・美津濃君(仮名)が、会社の研修で東京にやってきた。差し当たって、移動日である12日に会って、13日の出頭までの一晩を我が家で過ごすこととなった。彼が札幌に越して半年だが、想像以上に会う機会が発生するものであります。


 東京に着いた美津濃君をまず案内したのはロシア料理店。私もここに来たのははじめてだから当たりはずれはわからないが。



 まずはロシアビールのバルチカ・ノーメル8を注文。美津濃君はウォッカのジルジャーブナヤを注文しおった。私はもう外でウォッカを飲んで、(社会的にも身体的にも)生きて帰れる自信はないっす。
 メニューはロシア語と日本語の2カ国語で書かれていたが、店員は別にロシア語を出来るわけではなさそうであった。注文をとった給仕は、ジェルジャーブナヤのことを「あの赤い瓶」と伝えていたのだ。ロシア語話者にとってジェルジャーブナヤは発音が難しい語ではない。また、従業員は瓶のロシア語ラベルを読めないから色で判別しているのかもしれない。まあイタリア料理店や中国料理店の店員が、まずその言葉を出来ないようにロシア料理店でも同じこと。なのにそのことを意外に感じるとは、自国領・ロシア関係界に入って気が緩んでいたのかもしれない。あと、コックあたりはロシアで修行してコトバが出来るかもしれんけど。




 そして次に、サーモンマリネのブリヌィ巻きである。メニューによればマリノーブナヤ・ケタという。これは自分で組み立てるのだが自信がないので、店員にやってもらった。美津濃君は早速これをネタの店員のねーちゃんに話しかけていたが。そういや前回彼が東京に来たときも、ハンバーガー屋のねーちゃんに親しげに話しかけていたような。「営業をやるとこうなる」とのことだが。




 そして黒パン。ライ麦を使った本物の黒パン(黒糖パンではなくて)は、案外日本では手に入りにくい。もしかすると、はじめて黒パンを食ったかもしれない。黒パン飲料とも言うべき、クワスならば飲んだことがあるけれども。ほのかに酸味が利いて、やや堅めで、私の好みの食感であった。もちろん日本で店を出している以上日本人好みにしているのだろうけれども、白パンの柔らかさよりも黒パンの粉っぽさの方が私には向いていそう。




 そして根菜スープのボルシチである。サワークリームを浮かべている。




 メインディッシュのイベリコブタのグリル、グリル・スヴィーニナである。プラムのコンポートとレンズ豆を添えてある。これは主菜だけあって、味も程良く濃く、なかなか食べ応えがあった。




 デザートにはナシのコンポートである。コンポートが砂糖煮である以上、甘いに決まっている。だがこれはなかなかの甘みだった。いつぞやアメリカで食ったアイスクリームはその甘みのあまり「これを呑み込んだら死ぬ」と身体が拒絶したが、このコンポートは美味しかった。けれども辛党の私には甘すぎたかもしれない。




 ちなみに美津濃君はデザートにはアイスクリームを頼んでいたようだ。




 そして食後にはブラックコーヒーである。さすがに甘いデザートの後に、ジャムを入れた紅茶を飲む気にはなれなかった。

 ここの会計は2人会わせて1万円近かったが、宿代として美津濃君が払ってくれた。これは東京に来る前の打ち合わせのときから彼が申し出ていたことだが、ちょっとわるい気がした。が、歳は違えど学生たる私は、勤め人たる美津濃君の申し出を断る方が失礼というもの。宿という対価は支払っているのだから、ありがたく受けることにした。私の部屋に5000円分の価値があるとは思えないけども、それはさておき。




 そして我が家。ちょうど古新聞やスキャン用の資料が溜まっていて部屋が手狭であったが、板の間の部屋には荷物を置き、人間は和室へ。 






 晩飯を食ってきたばかりだけれども、土産の笹カマボコやラスクなどをつまみに、トマトジュースなどやったのでありました。
 テキトーなところで寝たのですが、我が家には布団など1組しかない。かつては来客用にと2組あり、たまにやってきた大学時代の後輩に敷いたことがあったのだが、1組の敷き布団はダメにしてゴミに出してしまった。その為、1人は通常の敷き布団に掛け布団、もう1人は残った掛け布団を敷き布団代わりに毛布類を被ることに。移動や通常の業務で疲れているだろうからと、美津濃君に布団を譲ったのだが、固辞された為、美津濃君が掛け布団の上に寝ることに。まあ敷き布団とて煎餅布団なので大して変わらないか。


 そして朝には私が早く起き、移動の疲れがある美津濃君がまだ眠っている中、机の電気スタンドだけつけて朝刊など読むのでありました。
 そして美津濃君が起きてからは朝のアホ番組をつけながら、前日に用意したパンなど食った後、美津濃君が駅に行くためのタクシーを呼ぶことに。私のアパートから駅までは近くはない。私にとっては苦にならないが、普段車社会で過ごしている美津濃君がスーツケースを引きずって行くには距離がある。
 しかしここに越してきたからタクシーなんか呼んだこともない。取りあえず電話帳を開くが、営業範囲がそれぞれ違ってどれを呼んだものか。私が迷っていると、痺れを切らした美津濃君が電話帳の1つのタクシー会社に電話を入れたところ、うちの住所には来ないとのこと。そして一番近そうな住所のタクシー会社に電話をしてようやくタクシーを呼ぶことが出来るのであった。都会はタクシー1つ呼ぶのも一苦労だ。かくして美津濃君は出立したのである。


 そして15日金曜日。この日、美津濃君の東京における仕事は終わった。本来ならばこの日の飛行機で札幌へ戻るはずだったが、土日祝日を有効に活用する為、知人友人のいる関東に数日間、残ることとした。その為、まずは金曜の夜は再び我が家を訪れた。今回は私の最寄り駅まで迎えに行って、駅前で食い物を買ってからタクシーで私のアパートへ向かった。




 まずは、ハートランドビールをやりつつ、焼き鳥などを。




 そして、レンジで温めるタイプの雑炊を。




 ビールがなくなったが、これでは飲み足りないと、近所のコンビニで焼酎を購入。店で一番高い焼酎を選んだのだが、コンビニではまあこの程度であろう。わるくはなかった。もっとも私は焼酎そのものを、まったくやらないのだが。一方美津濃君は、最近は焼酎のロックが多いという。ビールを大量に飲むのよりも、上質の蒸留酒をゆっくり飲んだ方が、身体への負荷は相対的に小さく、コストパフォーマンスも確かによい。しかし彼の会社では、焼酎の一気飲みのごとき、アホ学生ではそうそうやらないようなことが当たり前に繰り広げられるという・・・。




 美津濃君は海外の菓子が好きとのことで、私が彼と会って部屋で一杯やるときは、必ずこれがあるような。ドゥブヤの方のブッシュがこれを好きだというが・・・油がキツい。




 そしてかつては一世を風靡したハバネロ。一時の流行モノかとおもったが、ちゃんと菓子の1品目として定着しているようだ。美津濃君はあまりこれを食ったことがなかったらしいが、辛さに呻いていた。私はこれ、袋を逆さにして口にそそいで食っても、まったく意に介さない。その為罰ゲームなどで私に当たってもまったく効果がないため、それではつまらんと思い、苦しむ芝居をおこなったこともあった。まあ、もちろん胃にかかる負担は同じだが。




 そしてテキトーな時間に寝て、朝。
 前日買ったパンなどを食う。





 テキトーにテレビをつけると、大胆なコスチュームの児童番組が。
 世の中かわったものだ。
 この番組はチェキしよう、と。

 そして彼はテキトーにくつろいだ後、他の知人友人との会合のため、我が家を後にしたのであった。


 次に会うのはいつになるか、と思っていたが、17日に美津濃君から電話があった。研修は15日に終わるがその後は土日祝日なので、そのまま東京の他の友人宅を渡り歩いてから帰るとのことだったが、17日は宿を確保できなかったという。もちろん快く了解した。美津濃君は17日に大学院時代の友人と飲んでからうちに来るとのことで、ほぼ終電でやってきた。そして先日と同じような配置で寝た。




 そして翌朝はまた私が先に起きて新聞を読み、彼は目覚ましが鳴るまで起きなかった。今回は荷物をコインロッカーに預けてきたとのことで徒歩で駅へと出発した。これで本当に美津濃君は札幌へと戻った。今月先月と立て続けて会う機会があったが、次はいつ会うことであろうか。


戻る