今年もまた、白門祭へ
2006年11月05日(日)


 今日は古巣の学祭へ行ってまいりました。




 まず訪れたのが大学生協。
 雑誌の品揃えは相変わらずのようで。
 在学中はここで毎月「Newtype」を買っていたものです。




 さらには学食でメシ。
 私が常食していた甘酢醤油定食が430円とは恐ろしい。
 在学中は390円だったのに。
 400円台と300円台の違いは大きいですよ。
 八王子では物価が上がっているのか。

 それにしても、こんな大量の米はとても食えなかったっす。




 自販機にはドクターペッパーのペットボトルが。部内(の一部)で最も流行っていた飲み物だ。特に500mlペットボトルは1997年当時はなかなか希少で、偶然入ったうらぶれたコンビニで発見して買い占めなどしたものであった。そして次にそこのコンビニの前を通ったら潰れていたりも。まあ私が買わなかったら不良在庫化したまま閉店したので、少しはオーナーの負担を軽減したのであろうて。

 さらには大学時代の後半になると、学祭でF氏(仮名)と課長(仮名)が共同出資で「ドクターペッパー普及委員会」なる出店をおっぱじめたものであった。部室に敷いてあったくたびれた酒を幾度も吸ったゴザを地面に敷き、代金を入れる為に鍋を置いて、ドクターペッパーを仕入れ値よりも安く売ったのであった(120円の350ml缶を100円で)。ドクペを広める啓蒙活動である。しかし子供には指をさされたそうな。

 そんなことを思い出しながら、今やここそこで観られるようになった500mlボトルを一杯。




 それにしても世の中かわったものだ。320万画素CCD搭載の携帯電話と、キーボード搭載PHS。
 私は入学してすぐにドコモのP201を持ったし、PHSも持っている奴はいた。ネットも入学年度中に開通させた。デジカメも市販されていた。
 だが、携帯は単に電話をするだけの代物で、電話帳はカタカナ。番号通知さえまだほとんど行われていなかった。ネットどころかSMSさえもう少し後のことだ。
 今やネット接続で地位を確立したPHSも、入学当初は単なる安い電話にすぎず、まだアンテナも少なかったで市街地でもよく圏外になり(中大キャンパスも入学前年には圏外だった)、人が多いと電波を吸収してよく途切れ、さらには利用者が多いとなかなかつながらなかった。
 さらに言えば、携帯・PHS・加入電話間の発信・着信にも難があった。今では信じられないことだ。
 デジカメは長らく35万画素が標準の時代に停滞したものである。
 まったくもって隔世の感がある。




 学祭にまで「メードカフェ」が出来るとは・・・。
 「メイド」ではなく「メード」と表記するとは、非二次元人による便乗商法とでも言うべきか。さらに言えばイラストがメーテルだし。
 別に、祭の出し物を称して、「メイド」の正統性について兎角いうつもりはない。ただ、彼ら彼女らのイメージする「メード」像はどんなものだったのだろうか。それだけは気になる。
 ついでに、私にそういう属性はありません。




 やっぱりハルヒはいましたか。
 今ヤサをかりている某大学の新勧時期にも、でかいポスターがありました。やっぱり学園の祭典とくれば、ハルヒなんでしょう。
 それにしてもこの二次元関連サークル、ラグビーサークルにケンカ売るような貼り方を。まあこれも学祭の一風景か。




 そして今回訪れた主目的は、学部時代の所属部の演武!
 札幌に島流しにあっていた時期を除けば卒業後も毎年きています。もはや武道について論評することはできないけれども、懐かしいものです。

 それにしても、年々来訪するOBが減っている気がする。もちろん毎年OB自体は輩出されているが、私と同時代を過ごしたOBは減っている気がしますね。私が1年次の主将Tem氏はいらしていたし、2〜3年次の主将A氏は演武を披露するほど。だが、私の1つ下の、マイミクのびけん氏の代は全滅。皆それぞれに事情があるのだろうけど、1世代が空くのは寂しいものがありました。

 何はともあれ、年に1回ぐらいは古い連中の面でも拝みたいものではありますね。


 演武会の後、現役部員らは反省会・打ち上げがある。しかし私とTem氏・F氏らは近年は辞退している。部と稽古を離れて何年も経ってから、先輩風吹かせて演武に注文をつけることは避けたいし、褒め讃えるにしても見る目が失われてきているのでそれも難しい。さらにいえば、反省会では全員が意見・感想を述べるのでどうしても長引く。長引けば長引くほど、肩の荷が下りた現役生らが学祭を楽しむ時間も減っていく。だから部を離れて久しい年寄りはこのへんで消えた方がよいのである。もちろん現役部員と近いOBや、稽古の面倒を見ているOBらは行くべきだとは思うが。

 で、今回は私とTem氏・F氏の3人はまず大学から撤退しました。多摩センターで一服することにしたのだが、大学近辺の変化を楽しむ為に、敢えて多摩キャンパスから歩きました。まあ大した距離ではない。周囲には、空き地や田んぼばかりだったのに、学生マンションや分譲マンションが立ち並び、新しくコンビニが営業しており、自販機がここそこに立ち、信号機まで短い間隔にいくつも設置されていた。中大は丘の上に建っているのだが、下界まで下らないと何もなかったものなのだが・・・。




 学部時代だったら、昼下がりのメシ屋でもまず、酒をかっくらったものである。だが今日多摩センターで食ったのは甘いものである。Tem氏は昔から甘党で、多摩センターのすかいらーく・ガーデンズにはしばしば溜まったものである。ここはガーデンズではないが。ここでしばらくドリンクバーとケーキでアホな話をしておりました。

 さらには学生達で混んでいるいるかとおもいつつカラオケも行きましたが、まだ打ち上げの時間ではなく、すんなりと入りました。それにしてもTem氏が「ハルヒ」の歌に通じているとは驚きました。




 ついでに、これが今日貰った土産であります。
 私がみう好きだと知って知らずか気の利いたものを。
 家宝に致します。


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