上野にてオフ会
2007年11月05日(月)
本日は1年半ぶりにしんめい氏とオフでお会いする機会に恵まれた。
当初は上野恩賜公園の中での待ち合わせにしたが、待ち合わせ場所のわかりにくさと安全への不安から、急遽JR上野駅公園口での待ち合わせに変更したり。一時に比べると治安は大分改善されたらしいが、しんめい氏は奇声を発しつつ徘徊する不思議な人に出会したそうな。私も公園内で待機していたら、野外生活者が顔を覗き込むように寄ってきたものであった。夜は、主要な通り道以外は照明も殆ど無く視界が極端に悪く、鉄道線路と幹線道路の近くため騒音も大きいことから、もし襲撃されても手遅れになりそうな場所なのは今も昔も変わらないような。関東西部の住人としては滅多に訪れない場所なので、やや刺激的な空間でありました。
さて、無事にしんめい氏と合流してからは、上野の飲屋街を闊歩しつつ、居酒屋へ。最近歳のせいか健康診断の数値がわるくなってきたなどと話しつつ、飲み物はホッピー、食べ物は刺身やサラダなど、比較的低脂肪・低プリン体志向に注文を。まあ健康診断云々については私だけだけれども、やはり年齢とともに、学部時代のような猛烈に飲んで、しこたま揚げ物を食らうようなことはしなくなってきたわけです。
飲みながら大学院や仕事についての近況や学部時代の昔話などを話したが、1つキーワードになったのは「東京と田舎」かもしれない。しんめい氏は関東で学び、郷里に就職した方である。私も関東で大学を出た後、札幌(郷里ではないが、北海道には違いない)へ配属された人間。が、私は結局1年程度で再び関東へ戻ってしまった。しかし30歳近くになった今、選択肢としては郷里の釧路へ不可逆的に移住するオプションが有力になっている。このことを念頭に置き、東京と郷里で暮らすメリット・デメリットについて話したりもしたものである。
とりあえず、「毎日殺人的な電車に何十分も1時間も乗って通勤しなくてもいいというだけでも、田舎に帰る意義はある」「家族やペットと暮らすまともな住環境を得るにも、田舎しかない」という点では、同感でありました。田舎で生まれて田舎で育った人間が、「そのまま」中学高校の延長みたいに田舎で一生過ごすのは、箱庭的な世界観に終始してしまう。しかし東京で一端修行した後に田舎に戻るのは、それはそれで理想的なモデルかもしれないっすね。東京は趣味を楽しみ交友関係を広げるには有利だけれども、あまりにも非人間的な側面も強く、歳をとってから暮らすのはしんどいというわけでして。田舎に戻って交友関係を築くのも大変ですけれどもね。
というわけでホッピーをやりつつ話などした後、酔い覚ましがてら御徒町まで闊歩する。上野・御徒町の盛り場は、立ち飲み酒屋や昔からの格安旅館が混在しており、独特の雰囲気がある。存分のこの空気を味わった後は、カラオケに1時間ほど。やはり軍歌、鶴田浩二から始まり、1980年代の特撮、1970年代のアニソンなどを。しんめい殿は「北国の春」を歌われましたが、これはとても懐かしかった。北の人間にはノスタルジーを喚起しますよ。そしてシメは、2人で「ラバウル小唄」などを。カラオケ自体久々でしたが、こうした昭和の歌で固めるのも、久々でありました。
こうして御徒町でしんめい殿とは別れましたが、飲み屋の代金を多く持って頂いたばかりか、カラオケ屋でも私の小銭の持ち合わせが足りなくその分出して頂くなど、銭の面でもご負担をして頂きまして、これは申し訳ないです。次の機会においては、私が多く持って歓待したいところであります。
何はともあれ久々にお声掛けを頂き、いろいろと刺激的な日となりました。