部の古典の上映会
2008年09月27日(土)


 またしても学部時代の連中を招待して、インドアの不健全な会合を行いました。集まったのは先輩のツボシマ氏、同期のF氏、後輩のO氏の3人。私を入れて計4人。私は今後1年程度に渡って休みが土曜日に限定されるという変則的スケジュールなので、土曜日に皆様のご足労を願いました。が、やはり土曜日は動きにくいようで、前回の上映会に参加したA氏は仕事で欠席、集まった面々も午前中仕事等で昼過ぎに集まるなどの強硬スケジュールとなりました。人と休みが違うというのは、なかなか一筋縄ではいきません。


 さて、今回の上映会の趣旨は、学部時代において我々が所属していた武道部で一世を風靡した映像を上映するというもの。その映像の1つは、あまりにチープで、まるで学芸会のような児童番組にも関わらず、描かれる内容があまりに暴力的・反社会的な「クレクレタコラ」。
 これは部においてLDやTVKの再放送の録画が出回り、あまりの凄絶さに「クレクレ・インパクト」と呼ばれるセンセーションを引き起こした代物。部の共通言語として大きな地位を占めたにも関わらず、あまりの凄絶さから1996年度においては「新入生に対しては封印しておこう」と決められたほど。しかしそうした秘密は、私を含めた1997年度生の関心をいやが上にも高め、そして上映された後はやはり猛烈なショックを引き起こしたものでした。私など、後年に出たDVD-BOXを購入したほど。今回はこのDVD-BOXから傑作選を上映しました。
 DVD-BOXを所有している私でさえ、こうした機会がなければ永久に観ない可能性が高い。他の面々も現役時代には、部の飲み会の後に溜まった下宿で上映されたり、LDや録画VHSを所有していたりするのだが、こうした機会がなければ、二度と見ることはあるまい。


 今回選ばれたエピソードは以下の通り。
・交番ジャックの巻(33話) 
 銃とダイナマイトで武装して交番を乗っ取る、反社会性・暴力性抜群の一話。
・○×裁判の巻 (148話)
 リンチ裁判の暴力性と、裁判を担保する暴力の不在が招く結末について示唆する。中大法科を出て法務・司法に関わるOBも少なくなく、また、裁判員制度も始まろうというこのご時世なので、興味深く見れた。
・空気入れだよの巻 (81話)
 暴力性はさほどでもないが、タコラのもう一つの特徴であり、鑑賞が精神に影響を与える要因にもなっている「オチない」「チープな撮影」の集大成である。
・タコラの二等兵の巻(107話)
 タコラとチョンボの軍隊時代について描く。
・タコラの独裁者の巻(114話)
 暴力革命によって成立した独裁政権の非人間性と、それに対する放棄について描く。「タコラの森で生きるより、死ぬ自由を選びましょう」と自殺について描くとは、着ぐるみによる児童番組とはとても思えない。
・気違い真似して気が触れたの巻(220話)
 放送禁止用語が使われているばかりか、内容自体にも難があるので放送不能。
・残酷スイカ割りの巻(224話)
 暴力性が絶大な回。スイカ割りと称して目隠しをして日本刀持たせ、猿ぐつわを噛ませて縛り上げた仲間を切らせる展開自体が凄絶だが、日本刀を振り上げた下には仲間が……というところでオチるのでもなく、仲間の顔面をぶった切り、片眼失明にまで至り、大けがをした仲間が主人公に暴力で報復するというところまで描く。
・免許取って馬鹿を見たの巻(240話)
 「ピストル構えりゃ話は早い。すべて力の世の中さ」
・タコリアムテルの巻 (245話)
 スイカ割り割りほどではないが、残虐性が高い回。
・行かねばならない殴り込みの巻(248話)
 法のない世界において剥き出しになる、社会の暴力について描く。
・デザイナーも痛かったの巻(250話)
 仕立て屋が、客を暴力で拉致して強引に服を仕立て、あまつさえ「腕が邪魔だな」と称してのこぎりを持ち出す凄絶さ。

 「10話に限定しよう」として観たが、たった10話でも確かな満足感。すばらしい作品である。


 次に観たのは「バトルホーク」。どう見ても悪役にしか思えないマサカリを構えた主人公。ついでに変身後のコスチュームも悪魔的。さらには敵の腕を切り落とし、あるいは両手両足をへし折ってなぶり殺す残虐性。変身前の姿からして暑苦しい風貌(これは時代性か)。さらには親の敵を討って仮面のまま涙を流す。これらの描写にツボシマ氏がいたく感銘を受けた傑作である。
 今回持ち込まれた13〜15話は、ツボシマ氏が見せたかった「マスクのまま涙を流すシーン」ではなかった。が、悪の秘密結社なのに、前回までに主人公に殺された幹部の写真を秘密基地に掲げ、死者を悼む儀式を執り行うなど、非常に人間味に溢れる組織の在り方に心動かされる回であった。怪人は使い捨てではないのだ。事実上使い捨てだとしても、死者を悼み、讃えることによって死を覚悟して戦える環境を実現している。死者への名誉は死者のためではなく、生者が安心して戦える環境のためだ。すばらしい組織であった。
 その一方で、一般人は次々に死んでいき、主人公らもそれほどは一般市民の死を気に留めず、そして明らかに阻止できた死者まで抑止しないという消極性。戦いにおいて、他者を慮っていては精神が持たないし、救済に全力を尽くしても出来ることは限られるので、根源である敵を潰した方がいいのである。プラグマティックではあるが、しかしどちらが主人公なのかわからないような印象を受けた。そういう意味においても示唆深い作品であった。


 そして次は、学部時代に「タコラ」と並んで一世を風靡した傑作「魔人ハンターミツルギ」である。これは1973年にして12話打ち切りになって悲運の作品だが、(まがりなりにも)江戸時代初期を舞台にしているため、衣装・セットなどに(考証はともかくとして)カネがかかっており、ストップモーションアニメという手間の掛かる撮影方法をしており、(金銭的にも技術的にも時間や人手においても)コストがかかっている。「タコラ」とは制作費や携わった人数にどれほど差があるかわからない。
 しかしどうしても「安っぽい」イメージがぬぐいきれず、そして破天荒な設定やストーリー展開も相まって、カルト的な人気を誇っている。我が部においても、これがセンセーションを引き起こさないわけがなかった。1〜4話だけ録画されたVHSが部で秘伝として伝わり、これも「新入生に対しては半年は封印」とされてきたが、すぐにその存在について漏れ聞くようになり、興味が喚起され、やがて上映されてやはりセンセーションを引き起こした。1997年度には「魔人ハンター吾一」なるパロディ自主制作映画を部で撮ってしまったほど。しかもこの自主制作映画は、有楽町の施設を借りて、部で従事する武道の創始者や最高師範もお呼びし、現在では各界で活躍しておられる年齢が倍にもなるOBの方々も集まる公式行事において上映されたという……。
 また、1990年代後半は、まだまだ古い映像コンテンツを観るにはレンタルビデオ店や中古ビデオ店をはしごして、足で探すしかなかった(VHS化されていることは大前提だが、過去に発売されたというだけでは現在のようにネットショップで探せる時代ではなく、ましてや違法合法問わずネット上へのアップロードなど想像も出来なかった)。しかそそれでも「ミツルギ」の2巻(5〜8話)がやがて見つかり、そして人づてに最終巻の3巻(9〜12話)まで手に入ったしまったのだから、当時の部員の行動力とネットワーク力はおそろしい。というか、そこまでする情熱が凄い。


 さて、今回上映されたのは以下の3話。

・宇宙忍者サソリ軍団をつぶせ ! (1話)
 サソリ軍団とミツルギ忍者が登場する第一話。宇宙から、あらゆる忍術・妖術を使うサソリ軍団が飛来して来るが、そのようなすごい能力があるのに目的が「徳川を倒し、天下は麻のごとく乱れ、天下を取ること」という小ささ。ちなみに「麻のごとく乱れ」は副詞句的な用法だろうか?
 また、すべては長老・道半の見立てで物事が進行し、さらには操られているだけの物見をためらいもなく殺すなど、忍者世界の不条理さを思い知る。
・黄金妖怪カネクジラの魔力!! (4話)
 天下を取ることが目的だったはずのサソリ軍団の目的は、江戸の人々を困らせることに矮小化されているような気がする。江戸幕府の役人を計略に掛けて御用金を奪取するなど、やることがせこい。活動資金が尽きてきたのかと思ったが(後の話では、豊臣の隠し財産数百両を狙って行動している)、金は妖怪カネクジラの食糧であり、しかもそれを吐き出すと「触れると死ぬ毒の金」に変化しており、それで小判を拾う人々を殺戮しようとする。天下を取るためにどう役立っているのだろうか。
・サソリ軍団全滅作戦! (12話)
 最終回なので強引な展開が多い。磁力怪獣がほとんど最強の強さを見せたり、それまで語られることもなかった黄金仏が道半の命と引き替えに現れ、磁力怪獣から磁力を奪うばかりか魔人サソリまで火だるまにするなどパワーバランスが悪い戦いが展開される。しかしそれよりも見所は、火だるまになって苦しむ魔人サソリをしばらく放置し、「苦しめ……もっと苦しめ」ともがく様子を見物したり、さらには3人で滅多刺しにした挙げ句、手榴弾で爆破するなど、念入りな暴力描写がすばらしい。

 
 まがりなりにも30分番組なので、「タコラ」のように10話も観ていたら夜が明ける。したがって3話厳選だった。30分番組で実質20分強に過ぎないのに、1話につき2時間映画を観たような感覚にとらわれるのはどうしたものか……。


 今回は何だかんだで昼過ぎに集まったので、食事の用意はなかった。いつもは駅に集まってから駅前のスーパーで食糧を買い込んだのだが、今回は近所に出来た24時間営業のスーパーで夕食を購入。メシの購入が大分楽になりました。もう24時間耐久上映会・ゲーム大会みたいなことは実現困難だと思いますが、もしそうした機会があってもいろいろと助かりそう。コンビニは商売あがったりですかねえ。


 そしてメシを食いながらのBGVとして「新劇場版エヴァンゲリオン」を。まだ観ていない人もいたので、BGVといいつつ、ちゃんと観ました。結構違うところもあり、違いを感じさせないところもあり。背後のざわめきのようなセリフが主要キャラクターの声優ではなくなったのは、指摘されて始めて気づいた。
 ちなみに個人的に目に付いたのは、碇シンジの変化。緒方恵美の声も、表情も妙に艶っぽいような。ミサトさんを意識して頬を赤らめることも多く、そして何よりも他者に関わることへの躊躇のなさは、別人のよう。こうしたTVシリーズからの変化は、今後どのような大きな変化に結びつくのか。結構気になります。
 また、若干14歳の少女にすぎない綾波の存在感というか肉感もエロいです。というか、当時はセックスアピールの乏しさが逆にセックスアピールになったとしてセンセーションを引き起こしましたが、昨今のアニメと比較すると十分普通にセックスアピールが強い気がします。


 ちなみに、武道部に勧誘された日の飲み会で監督が「綾波レイのセックスアピール」というコトバを発し、周囲の部員達が「その話題は封印するって言ったじゃないですか」と牽制する場面がありました。この僅かな遣り取りで私は入部を決意しました。それまでは、それほど乗り気ではなかったかもしれません。そして案の定、「エヴァ」どころか、「タコラ」や「ミツルギ」に至るまで叩けばあまりにも埃が出る部であったのです。私が面白おかしくアホな学部時代を過ごし、当時まだまだ日陰者だった二次元趣味についても大っぴらに集団で楽しみ、こうして今に至るので交友関係を保っていられるのですから、部は私の人生を構成する不可欠の要素になっています。
 この部に入部しなかったら、留年もせず、もっとマジメに勉強して語学や資格試験などの実用的な分野で実力をつけて、新卒時点でもっと「中大生らしい」職業を選択し、それなりの困難や艱難辛苦に苛まれながらも30歳に至った段階でそれなりに有用な実務経験を身につけ、人並みの所得を得て、まったく違った人生を歩んでいた可能性がないでもないです。後年、語学やその他の資格で成果を上げたことからその方面での能力がないわけではないですし、就職に関しては何だかんだでコネもあったので、それほど荒唐無稽な「あったかも知れない姿」ではないと思います。
 しかし、立派な会社に入ったところで、精神を病んでおかしくなっていたかもしれないですし、一概には言えません。また、別の部に入ってうまくいかなかったり(少なくとも、私の趣味と人となりが受容され、あまつさえ協同して趣味や興味に邁進できる場はあまり多くない)、孤独に暮らしたりして、芯となり自信やアイデンティティを形作る「ささやかだが、輝かしい過去」を持たずに学部時代を終えたとしたら、それはそれで哀しいことです。その意味においては、監督の一言は私の人生に大きな影響を及ぼしたばかりではなく、私の人生をよい方向に影響したと思っています。


 そして時間が押し迫ってきてから最後に観たのは、「イナズマン」。二段階変身モノという異色作ですが、当時としては人気を博したようで続編も作られています。今の私は、(学部時代にも伸ばしていたことがありますが、それ以上に)髭面をしていますが、それでも東南大学3年の丸目豪作の方がよほど老けています。また、少年同盟のはずかしい敬礼とコスチューム(大人だと、かなり悲惨)、人を拉致してミュータントに改造する悪の組織みたいなやり口、一般人が怪人に殺されても大して関心を示さない同盟員もさることながら、物語の構成に驚かされます。あいかわらず。
 冒頭でいきなり隕石が落下して、軍服にガスマスクみたいな変な連中が闊歩したり、子供がそれから逃げ回ったり、ガスマスクに怪しげな薬品(?)を投擲して残虐に殺したり、何が起こっているのかさっぱりです。敵集団は「新人類」というらしいのですが、いきなり何の説明もなく「新人類」を連呼されてもわかりません。まあ説明なしで、特殊な用法の単語を提示して印象に残すという手法はありですが、子供番組でそれはわかりにくいのではなかろうか。
 しかしそうしたわかりにくさ、不親切さも含めて、今日の目では興味深いです。


 そして来客があったときのみ稼働する我が家のPS2(「ひぐらし」のために購入し、以来、1人では使うことはない)を引っ張り出し、「ヴァンパイア・セイバー」で対戦など。格ゲーは「キンタ95」ぐらいを最後に大してやっていませんが、私が勝ち抜き戦で優勝してしまいました……。


 そこで景品としてツボシマ氏から渡されたのは……。




 「転売したらそれなりの値で売れるから、今すぐ開封したまえ」と、封を切ることを求められつつ。
 次に訪問するときまでには完成させるべし、とのことですが、車のプラモデルは敷居が高いっすよ。
 しかしこれ、どうにか完成させてみたいところではあります。


 関係ないですが、今回は、「聖マッスル」「ロリフェ」「田丸浩史の商業単行本ほとんど全部」が我が家で取引されました。このメンツ(A氏含む)においては、これらの作品が共通言語となる日も近いですな。


戻る