1年ぶりの帰省
2009年03月09〜13日(月〜金)


 所用にて、ちょうど1年ぶりの帰省です。正月帰ってないのでいい塩梅でした。



 年度替わりの移動時期よりも少し早いので、まだ平日の羽田空港は混雑していなかった。




 出発ロビーから飛行機までバスで移動。空港内の道路を見ていると、空港内の管理ナンバーと公道用の陸運局のナンバーの両方を付けた車と、空港専用の車の2種類があっていつも興味深くみている。交通規則とか独自のものがありそう。




 到着した釧路空港にて。
 今回の搭乗機はリアエンジンが特徴的なMD90。
 ややコンパクトな機体であるが、席は半分も埋まってなかった。




 まだ雪の残る釧路。




 空港からの連絡バスは、なかなか年季の入った車体。
 それはいいのだけれども、運転席に何やら張り紙がある(写真ではハンドル左側の白い部分)。
 「カーブで燃料が漏れるため、タンク8分目まで給油のこと」とあるが、車の燃料タンクって揺らしたぐらいでは漏れないのでは……。キャップのパッキンが劣化しているのだろうか。ガソリン車じゃないから問題はないのかもしれないが。




 釧路駅前到着。
 漫画やTRPGなどに注力することによって、小規模店舗ながらも郊外型大型店の進出によって地盤沈下著しい駅前にて存在感を発揮していた「Book亭」は、今だ健在であった。




 しかしちょっと大通りを眺めるとシャッター横町。
 もちろん営業している店舗も少なからず存在し、銀行や保険会社などの支社もこの北大通に集中している。今でも釧路の中心地であることには違いないが、しかし営業していない店舗が目に付くことも事実で、その点は嘆息するしかない。特に、休日には特に何をするでもなく北大通に集まってそぞろ歩きし、ゲームセンターやハンバーガーショップや映画館やボーリング場へ足を運んだ時代を覚えている身としては、特に。




 出来た当時は画期的な大型店だったYES電器の店舗。内地資本の大型量販店の進出と北海道経済の低迷には耐えきれなかった。完成当時は、何でも揃って安く買える、家電のデパートのようなイメージを持っていたもんだったが……。




 教科書や参考書を買うなら山下書店と相場は決まっていた。専門書や学術書の品揃えもなかなかのものだった。まさに釧路の文化の中心地!釧路の良心!ここが潰れたのは本当にショックなことだった。地方都市で本なんかは、郊外型大型店か郊外のレンタル店・スーパー等が固まったモールで買ってしまうし、特殊な本はアマゾンに依存するようになった。そんな中では、専門書などの回転が悪い商品を置く書店は生き延びられなかったか……。




 幣舞橋にて。釧路人に釧路のイメージカラーを聞くと、高度の蓋然性で「灰色」というコトバが返ってくるが、それは何も景気や文化のことを差しているのではなく、この冬の空がイメージされている。久々にこの空を見た気がする。

 


 最近釧路を賑わしている、貴重な明るい話題としてラッコが迷い込んで居着いたことが上げられる。
 私は確認できなかったし、特に確認しようともしなかったが、普段歩行者を見ることさえ少ない釧路のどこから湧いてきたのかと思うほどの人々が、ラッコを探し求めて、あるいはラッコの移動に合わせて川岸を行き来していた……。
 罪がない話題は貴重だ。




 一方、郊外のモール。食品スーパー、ドラッグストア、衣料品店、乳幼児用品店、100円ショップ、眼鏡屋、書店、レンタルビデオ、ゲームショップ、ファーストフード、ラーメン屋、焼肉店、回転寿司、スーパー銭湯、カラオケ……とこの一角に揃っている。これだけ揃えば大抵のことは足りるし、食品・日用品を買いに来たついでにカネを落とすこともある。車社会ではこうした場所の方が便利なのは言うまでもない。考えれば駅前が栄えていた頃は、駐車場を探して駅前の狭い路地を行き来して、開いている駐車場を見つけて車を止めても、そこからデパート等までそこそこ歩いた。しかも買う物が複数種類ある場合は、一カ所ですべての用事を足すことも出来なかった。そうした利便性を考えただけでも、郊外型大型店や郊外モールには太刀打ちできない。

 駅前は地盤沈下しているといえども、人々はそれなりに消費生活を享受している。まあ地域経済全体が低調で、失業率は高止まりし、市の財政はタダでさえ赤字体質なのに急増した失業者・困窮者保護のためパンク寸前なのは隠しようもない事実だが、それなりに人々は営みをしているわけで。




 かつては水質汚濁度・日本ワースト1だったこともある春採湖。その汚名は返上したが、それでも平成19年度環境省データによるとワースト5に留まっているらしい。




 うちの実家で飼っている熱帯魚のグッピー。
 実家の引越に際して、ちょうどその時期に祖母の葬式が重なるなど混乱が続いたこともあり、グッピーの水槽はしばらくの間、旧宅に置き去りにされた。人は引っ越したので旧宅の電源供給は絶たれてヒーターは利かず、もちろん室内には火の気もなく氷点下まで気温が下がった中、よく熱帯魚が生き延びたものである。ヒーター付きの水槽を回収して現在の新宅に据え付ける余力もなかったため、ただのガラス水槽で泳がせているが、それでも元気に生き続けている。心なしか、いや、確実に、最初飼い始めたときよりも小型化しているが。



 雌の全長2cm程度というのは、明らかに小型化している。
 繁殖して世代交代している中で、ヒーターもない水槽に適した者のみが生き延びて、小型化が進んだのだろうか。




 ちなみに水槽の水を交換するときに、親が老眼なものでグッピーの稚魚を2匹残したまま水槽の水を棄てようとした。私が気づいて救出したが、砂利や水草も多い水槽の中に隠れた、全長5mm程度の稚魚は見落としてしまうこともある。
 もっとも、卵胎生のグッピーは泳ぎながら稚魚を1匹ずつ産み落としていくが、雌の後に他のグッピーが群がって、生まれたばかりの稚魚を次々食ってしまう世界。生まれ出た直後に食われずに済んだ運の良い稚魚も、砂利や水草の影に隠れて生き延びる者もいるが、成魚に見つかれば食われてしまう。今回救出した稚魚は5mmぐらいのサイズなのでもう食われる心配は(多分)ないが、儚いものである。だからといって、生まれ出る稚魚をすべて隔離して育てていては、あっというまに水槽がパンクしてしまうわけで。この小さな水槽も過酷なものである。
 まあ、稚魚2匹を助けたその日の夕食に、小女子くぎ煮をしこたまおかずにしていたのだから、因業は相殺どころじゃないが。






 釧路に帰省すると必ず立ち寄るのが、蕎麦の老舗「竹老園」。
 皇族も食事をされた、釧路の誇る名店である。




 私が必ず注文するのは、まず蕎麦寿司。
 単に蕎麦をのりで巻いたものと侮ってはいけない。巻きには紫蘇の風味が利かせており、専用のタレを端につけて食うと、これがなかなか美味い。




 そしてメインディッシュは天ざる。ダイナミックなエビ天とざるそばである。
 私は温かい蕎麦は好みでないので、いつもこのコースになる。
 ちなみに蕎麦というと釧路人の多くは緑色のイメージを持っており、「茶色の蕎麦『も』ある」という程度の認識である。


 もう1つ釧路で必ず食べるのは、馴染みの寿司屋の握りである。馴染みすぎるので敢えて店名は出さぬ。本当の幼少期からの馴染みだ。

 家で食うため持ち帰って開いたが、いつものようにねじ式のキャップのお吸い物をつけてくれていた。海老の頭やマスの小さな筋子などの、通好みのつまみも添えて。これがいいんですよ。
 田舎煮のようなタコ、クリーミーなウニ、筋肉質なカレイ、はち切れんばかりのイクラ、肉厚のマグロなどなど、東京でも食えなくはないだろうけど、向こうではなかなか食えるものではない。東京のスーパーの寿司や回転寿司は、色はわるいし弾力もわるくしおれていたりで、鮮度は雲泥の差。それでいて値段は釧路の方が安いぐらい。釧路は住むとなると難しい面の多い土地だが、魚介類の鮮度と手頃さでは決して都会に負けない。
 巻きもそこそこ入っていたが、大変失礼だが、最初は量を増すためかと思った。だが、奈良漬、ごぼう、きゅうりのそれぞれの巻きが、ごま油の風味や仄かな南蛮が利いて、すばらしくうまかった。これぞ匠の味。今回の寿司の中で一番うまかったのは巻きだと言っても過言ではない。それに昆布醤油を端につけると一層風味が引き立つ。

 そして寿司屋だけではなく、余所からもらって冷凍していたカニも解凍して食った。カニは内地の人間にありがたがられるが、正直私はガキの頃からカニを1杯バラして食うのに慣れすぎ、それほど美味いものだとは思っていなかった。
 今までは、カニの足をハサミで切って中身をほじりだして食うだけだったが、今回はじめて頭胸部の半分を占有して自分で穿り出して食った。頭胸部の中身は、弾力があり密度が高く、食い応えがあった。カニミソのところもそうでないところも、風味が強かった。
 また、カニに酢をつけるなんて田舎くさい……と思っていたが、今回酢を漬けてみたところ、足も頭胸部も、酢をつけるとまったく別物になった。上等な昆布醤油と違って、酢はただの大量生産品の醸造酢。特別うまい酢でもないが、カニと合わさるとと風味・味わいがすばらしいものになった。うーむ。カニをありがたがる風習は特に持っていなかったが、たまに食うとなかなか侮れない。まあ帰省したところでそうそう食うものではないけれども。



 とまあ、川崎における食費の数倍以上の食事をしたわけであった。
 メシ食うために帰ったわけじゃないけれども。


 あと空港近くの雪をかぶった原野に、不思議な盛り上がりがいくつもあったが、あれは「谷地坊主」というらしい。写真を撮りそびれたので、また次の機会に紹介したいところ。


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