last up date 2003.09.03

当サイトの性質

一、当サイトは、私個人の自分のためのメモである。
一、当サイトは、一切の公益性を企図しない。
一、当サイトは、ドラスティックな変革を行わない。




「当サイトは、私個人の自分のためのメモである」

 私はあくまで自分のためのメモとして、この「コームナタ・セイテーナ」を作成している。自分が忘れがちなこと、自分にとっての意味づけを明確化しておきたいこと、あるいは極めて個人的な日常の出来事を、文字化し整理することが当サイトの目的である。
 そのような個人的な代物ならば、わざわざ人目に触れるネットにアップしなくてもよいと思われるかもしれないが、サイトという体裁を取る理由はいくつかある。
 まず、ノートや紙切れ、PCのテキストファイルのメモは、すぐに溢れ出して把握できなくなり、収拾がつかなくなる。しかしサイトならば、まとまった形に出来る。
 次に、サイトはまがりなりにも人様の目に入る「可能性」がある。実際に誰も見なかろうとどうでもよい。「可能性」があるだけで、多少は簡潔に冷静に、そして醜悪にならぬよう物事を書くよう心がけることができる。
 そして、サイトはオフラインの知人友人、親戚に対する近況報告にもなり、そうした人々にオフラインでは伝えられない私の側面や発想に触れてもらうことも出来る。
 この三点の理由のみによって、私はただの個人的なメモをネットに載せている。




「当サイトは、一切の公益性を企図しない」

 前述のように、「コームナタ・セイテーナ」は個人的メモである。当サイト作成に当たって私は、他人様の役に立つようなことを提供するような気概も思い上がりも、一切持ち合わせていない。また、社会に何かを提起する意図もまったくない。
 公益性というのは、なかなか知り得ない情報を広く提供するとか、何らかの問題に対して提起を行うといった、大層なものばかりを指すわけではない。読んで面白いとか、バカバカしくて笑えるというのも立派な公益性である。私はその程度の公益さえも企図しない。「サイトとは軽薄なレベルで面白くなければならない」「個人的な日常とかよくわからん長文ばっかじゃ誰も見ない」とは、しばしば知人友人に指摘される。だが、私は面白いものを書こうとしていない上に、多くの人々に読まれようとも考えていない。
 だけれども、面白くしようとは思っても面白くなるとは限らないのが、表現というもの。多分私は、努力して多数者に受けそうなサイトを作ろうとしても作れないであろう。しかし何ら気張らずに書きたいことを垂れ流していても、時間をかけて読んでくださる奇特な方が若干数現れていることは付記しておく。




「当サイトは、ドラスティックな変革を行わない」

 私は、「サイトとは更新するものである」「サイトとは変化するものである」という認識を、ほとんど持っていない。そのため当サイトの体裁は、よほどの大問題が発生しない限りは、大々的に変革させることはない。そして基本的なスタイル、デザイン、さらには根幹テーマに関わるような大革新は行わないと明言する。行う更新は情報の追加と修正だけであり、それもそんなに高頻度には行わないことをご了承願いたい。 



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