last up date 2004.02.02

12-10
本ばっか読んでいる奴は視野狭窄だとか思いこんでいる奴はしばしばいる。
本というのは他者そのものだ。
外に出て他人とやりとりするのも家で本を読むのも、他者との接触。
他者のいわんとしていることを勝手に思いこむのも、型どおりの解釈しかしないのも、本に対しても実際の人間に対してもどっちにもできる。
本を読もうと他人と話そうと、視野狭窄な奴は視野狭窄。


12-09
 誰もが良心的に行動し誠実に仕事をしても、うまくいかないこと、全体として見たら不合理な結果になることなど往々にしてある。というよりも、うまくいくことの方が少なかろう。こうした問題に対してアホな奴らは、個人の「人格」にしか原因を求められない。
 指導者が利己的で傲慢だ、管理部門の奴らが何も知らないのに仕切る、現業部門の奴らが勝手なことやる・・・はては、政治家や企業家がワイロをやりとりして私腹を肥やしているから世の中うまくいかない、そういう奴らは高学歴者か金持ちだから人格がおかしい、なんてこと本気で思っている人にもよく出くわす。何が「〜だから」なのか因果関係がまったくもってわからんし、繋がっていないが、とにかく特定個人や特定の(自分とは違った)階層の人間が「おかしい人格をしているから」すべてがうまくいかない、というクソ簡単な世界観はどうにかならんものか。


12-08
私は将軍気取りの兵卒が嫌いだ。
兵卒は部分しかできないし見られない。
そのくせに自分がすべてを見据えて最高の判断をしているかのように思っている奴は腹が立つ。
兵卒は総動員、全力、堪える、というような単純な手法しか知らない。
こういう奴が仕切ろうとするとすべてが壊れる。


12-07
私が叩き殺さんまでも、いつか勝手に死ぬね。

 電話の一本もせんでボンズが2日も休みやがった。そして3日目に来やがったのだが、奴め、「いや、成人式でイッキ飲みさせられて、入院してたんスよ」とのこと。そう言えば、許されるとでも?周囲の人間は怒鳴りつけたりしないで、「若い奴に多いパターンだ」「気をつけて飲まないと死んじまうぞ」と窘める。するとボンズは、「いや、宴会場で60人からイッキコールさせられて、飲むしかなかったんスよ」と。
 アホか、こいつは。自分のせいではなく、他人のせいだから許される、とでも?誰かお前の両手両足押さえつけて、口に一升瓶ねじ込んで、鼻をつまんで息を出来ないようにして、無理矢理飲ませたとでも?お前のせいで研修の予定が大幅に狂い、担当者は午前3時まで調整に苦労したんだぞ、この野郎。


 さて。「イッキコールされたから飲むしかなかった」というのはもちろん言い訳ではあるが、奴のアホぶりと根性のなさを鑑みるに、まったくの虚構ではないと私はみた。真実だからこそ、述べれば許されるという発想なのだろう。だとすると、こいつは私が殺さなくてもいずれ死ぬかも。
 彼がアルコール分解能力に乏しい、下戸なのはよく知っている。だがね、ここそこに飲み屋が建ち並び、行事のたびに飲むことが多いこの日本では、飲めない人は自分で身を守らねばならない。もちろん、飲める人間とて、飲み過ぎて大暴れしたり、急性アルコール中毒で倒れたりする可能性はある。酒を飲ませたがる人の顔色ばかり窺い、顰蹙やブーイングを恐れていちいちイッキコールだの飲めという圧力に付き合っていたら、よほどの酒豪以外は身が持つまい。


 悪意や善意に関係なく、他人は自分のことをそんなに気遣いやしない。バカ連中のイッキコールや、会社の上司先輩の飲め飲めという声に「飲めない」「体質がどうこう」と言おうと、それで引っ込むことなんかは少ない。
 個々人が自ら好きこのんでmassとなり、かけ声かけたりブーイングしたりするような場では、最初から物事の筋書きが決まっている。いかなる主張も誰も聞きやすまい。歓声浴びるためにイッキ決めても、ただそれだけだ。それでぶっ倒れようと、誰も気にすまい。放置され、運が良ければ気の利いた奴に世話をされるが、顰蹙を買う。
 会社の上司先輩とて、ただ苦しめて日々の憂さを晴らす奴、後輩を苦しめれば自分が偉くなったような気になる奴など、いくらでもいる。そういう奴は、自分の悪意で部下や後輩に接しているという認識を持っているとは限らず、社会人としての態度を指導してやっている、生意気だから鍛えてやるとか、大層なきれい事を考えていたりもする。さらに、親兄弟のように仲間として酒を飲もうとの発想の持ち主とて、自分が楽しければ、自分が相手をどんなに苦しめ屈辱を与えていようとも、相手も楽しいに決まっているという錯覚を抱いていることもある。
 だいたい、「体質がどう」と言ったところで、あまり本気にされまい。アホは実際に目の前で起きないことを予測できない。飲めないと言う奴が本当にひっくり返って死にそうにならない限り、ひっくり返って死にそうになるとは思わない。ひっくり返って死にそうになっても、それで死ななかったらただの笑い話にしてしまって、実際に相手が死ぬまで、死ぬこともあるとは思わない。しかし倒れたり死んだりしたところで、損をするのは自分だけだ。


 とにかく、飲めないものは飲めない。手足抑えて飲まされることなんかはそうそうない。結局、飲むのは自分の意思だ。銃を突きつけられて、飲まないと射殺するというのならばともかく、顰蹙買うだの機嫌を損なうだのということを恐れて、死ぬかも知れない選択をするのはアホの極み。死なないまでも、それでぶっ倒れたり大暴れしたりして、人に迷惑かけたら飲まないことの顰蹙の比ではない。顰蹙を買わなくとも自分の損に他ならない。
 「飲めない」と言えば誰もが納得してくれるとは限らない。飲めと言われて飲めば、それで何事もなく済むとも限らない。こうすればいいという必勝策なんかはないんだから、毅然として強い意志でもって自分の生命は守らないと、死ぬよ本当に。理不尽だの、こうするしかなかっただの言ったところで、結局自分が損をするだけなんだから。


12-06
奴隷は、出口があっても外に出ないから奴隷である

 いやまあ、労働力を搾取された奴隷階級は、使用者の手から逃れても野垂れ死にしたり、あるいは逃亡奴隷として殺されたりしたものだから、逃げない奴隷を奴隷根性と呼ぶのはあまりにも簡単すぎる発想だが。
 私が言いたいのは、階級の最底辺として労働力を搾取された奴隷の話ではない。ちょっと変えようと思えば変えられることをせずに、苦痛や不自由、不合理、理不尽に甘んじる人々のことだ。これらの苦痛、不自由、不合理、理不尽に堪えることそのものが、何か目的達成のための手段となるのならばそれはどうでもよい。そうではなくて、なんにもならない忍耐をすることのみが唯一の方策であるかのように思う人々って、けっこう出くわす。


 まあ、変えるのはエネルギーがいる。変えるのは不安だ。変えるようとする人間はそれだけで、罪人のように扱われ、「堪えることを知らないガキ」としか見なされない恐れもある。私はしばしばその栄誉に預かる。だから、仕方ないから現状維持という楽な方策をとる。意識して現状に堪え、現状を墨守するのならば、まだわかる。しかし、変えるという選択肢が存在することそのものを想像も出来ない。あるいは、想像できたとしても、現状維持以外はとんでもないバカげた、あるいは悪魔的な企てのようにしか思えない人が一番手に負えない。


 誰もが困り苦しみ、誰も得をしない。しかしそう難しくもない方法で打開できる。そういう問題は社会のここそこに存在する。しかしそうしたくだらん問題の解決さえも難しく、打開しようという意思を失わしめるような社会ないし世間というのが、私は何よりも憎い。堪えることしか知らず、堪えるのが「大人の姿勢」で、堪えさえすればうまくいく、堪えなければ何か恐ろしいことが起きる、というような愚鈍な発想の持ち主が憎い。そして、勇敢な改革者を異常者、夢想家、無法者、ガキ呼ばわすることしか出来ず、現状維持と変革のどちらの選択肢が有効かの具体的検討さえもせず、ただ改革者を貶めることによって相対的に自分の優越を確認し、それだけで満足する者が憎い。そして改革者を叩くことに団結し、団結することによって他者からの信認を得て、改革者と自己との優劣関係を確固たるものとしようとする者が憎い。
 そういう組織ないし社会ないし世間は、とっとと滅びるべきだ。


12-05
きれい事を言ったつもりはないんだが

 大学時代の後輩と酒飲んでいて、コミュニティでの人間模様について話していたとき。私が「カネで買えないものもある」と言ったら、「晴天さんらしくない!」と笑われた。君は私をいったい何だと思っているのかね・・・。別の後輩は、「今**さんから100万渡されて、○○と手を切れと言われたら、喜んでそうしますよ」とのことだが、私はそんなことを命じられるほど札ビラ切れる身ではない。そういう意味では、買えないものがある。


 さらに言えば、私はカネで歓心を買おうとしてきた人を軽蔑してきた。飲み会のたびに札ビラ切っておごり、相手を「特別な人間だと思っている」と示すためにサシで高いメシ屋に連れて行ったり、高価なプレゼントを贈ったり・・・そういうことは時には嬉しいし、場合によっては大変な効果を為すだろう。しかし逆に、温情や親愛の情を示したいという気持ちから財布を開くことが、侮辱になったり、あるいは下心を疑われることもある。それでも場合によってはカネで歓心を買うことは出来るし、対人関係ではカネがなくては出来ないことも多い。けれども、買えないものはあるって心底思う。


 私自身も、友人や後輩に使っていたパソコンや取り外した光学ドライブといった、それなりにプライスの高い品を進呈することはしばしばある。けれども、それで歓心が買えるなどとは思っていない。あれば使ってくれるだろうとか、交友関係でこの機器が普及すれば便利だ、捨てるよりは誰かにあげたい、という発想にしか基づかない。けれども、「これで晴天の奴は、いい顔をしようとしやがって」「こんなものでオレから尊敬を買おうというのか」と思われるのではないか、という恐怖もまた、常に付きまとう。


12-04
「カタツムリって、上についてる貝みたいのとったらナメクジになるんじゃないの?」
 では、ナメクジという生物はどうやって発生していると?


12-03
「羽田空港って、千葉にあるんじゃないんですか」
「だから海に面している国内線で使う羽田空港!成田じゃなくて!」
「いやだから、東京の下の海の方は千葉じゃないんですか?」
「・・・・・・」
 海に面していれば、すべて千葉ですか。


12-02
「所詮しがないサラリーマンよ」
「え?『しがない』って何ですか?何が『ない』んですか?『しが』って?」
 カンベンしてくれ・・・。


12-01
語学学校にて。
「何人称とか、単数・複数というコトバがわからない」
と。本当に高校出たんか。人称はまだしも、単数複数って・・・。


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