last up date 2004.11.28

 渡露・在露経験のある知人・友人・親戚・教員から聞いた、ロシア話の集積場。
 もちろん、ロシアに渡り、ロシアに長く住んだからと言って、それでロシアないしロシア人を一刀両断できるわけはない。何年何十年住んでも、「ロシアでは」「ロシアとは」「ロシア人は」などと大主語で語れないのがロシアである。もっとも、それは中国もアメリカも日本も同じだが。さらに言えば、発言者の悪意・偏見・誤解・誇張・恣意的な歪曲は必ず含まれているであろうことと、私が発言者の伝えんとしていることを解釈しきれていないかもしれないことに留意されたし。
 最終更新日現在、私自身は未だ渡露経験はありません。


 ロシア人にとって、カッコーの鳴き声は「ウックー」、鶏の鳴き声は「コカレックー」である。
 カタカナで書くとよくわからんが、ロシア人が言うとそれっぽく聞こえる。


 ロシア人にスリッパを贈ってはならない。それは死者への贈り物である。


 1970〜80年代に大学を出た若者は、過酷な労働に従事しなければならなかった。処女地開拓として、中央アジアの砂漠やシベリアの酷寒の地に若者達は送り込まれ、そこで都市や農場を建設した。それからやっと、知的な職業に従事することが出来た。高いキャリアを目指すのならば、まず第一に学位であり、第二に労働実績が必要であった。非常に厳しい社会と言える。
 ちなみに、そうして建設された都市や農場は、何の役にも立たず崩壊することもザラだった。シベリアは冬は酷寒、夏は猛暑の過酷な土地で、霜が深く降りて、隆起し、そして溶けるのを繰り返す。だから、シベリアにモスクワ的な設計をして建物や道路を造っても、すぐに壊れた。だからシベリアを飛行機で飛んでいると、今でも無人の廃墟がしばしば眼下に見える。成功したのはコムソモーリスク・ナ・アムーレのような例外だけである。中央アジアに多く建設された農場では、それなりに収穫が為されたが、穀物を保管する倉庫も運ぶためのトラックや鉄道もなく、結局ムダになったという。


 日本人はロシア人の目には哀しそうに見える。いつも笑って元気そうに見せつけないと、心配される。


 ソ連時代、資本主義国からの留学生、特に敗戦国(西)ドイツ・イタリア・日本からの留学生は、教員からも目の敵にされることが当たり前にあった。西側からの留学生がシベリア抑留について話したら、大学教員は机をぶん殴って、話すのを止めさせた。「それはウソだ。資本主義国のプロパガンダだ!」と。都合の悪いこと、話させたらまずそうなことは話させない。しかしこの教員は、本当にシベリア抑留のことなど知らなかった。 


 独ソ戦のветеран войны(ベテラン。まあ戦争功労者とでも訳そうか)は、無条件で尊敬され、なんでもタダである。


 ロシア人は何でも自作する。休日を過ごすダーチャ(別荘というか、掘っ建て小屋)からベランダのテラスまで。だから危険である。ベランダでタバコでもふかそうと思ってテラスに出たら、崩れて真っ逆様・・・ということもありえる。実際、テラスや窓が落ちて上にいた人や、たまたま下にいた人が死ぬ事故は、よく起きている。


 ソ連は「専門化」の国だった。1つの都市全体が自動車工場の街で、街の多くの人が自分で自動車をいじくりのまわせる・・・などということもザラだった。ただし、この街でテレビや住宅が壊れた場合、この街に専門技師がいないこともまたザラだった。ヘタをすれば他の共和国にしかいなかったり。これはソ連社会の大きな問題の1つであった。だから自家修理が盛んになった。靴から時計から自動車まで、街に腕のいい自家修理屋がいて、腕のいい奴のところには口コミで客が集まった。これは白タクと並んで、今なおポピュラーな副業である。
 だが、こうした自家修理屋たちも、ICが少しでも入っているともうお手上げであった。修理できる電気機械は、せいぜいソ連時代の真空管ラジオ・真空管テレビまで。西側から入ってきた、最新のテレビやラジカセは直せない。そこで、近くに日本人留学生が住んでいると知ったら、そこにテレビやラジカセを持ち込んで「修理しろ」と迫ることがあるという。もちろん、ICのカタマリの現代機器は、例え専門家であっても徒手空拳で、交換部品もなければ直せるはずもない。
 もちろん日本人は「直せない」と言うのだが、そうしたら今度はアホだと思われるという。つまり、日本人は誰でもテレビやラジカセを修理できるのだが、目の前の日本人は日本人の中でも頭の悪い何も出来ない奴だ、と。


 日本もロシアも男性優位社会である。だが、日本の方がより強烈な男尊女卑文化や制度を色濃く持っている。ソ連は世界的に見ても、女性の社会進出が推奨された社会だった。今現在も、日本よりはよほど専門的職業や指導的地位で女性が多く働いている。それに「ヨーロッパの一部」らしくバスの乗降は女性からだし、ドアは女性の為に男性が開けるし、女性に荷物を持たせるなんて非道い男と見なされる。日本では電車で痴漢を見ても見て見ぬふりだが、ロシアでは女にからんでいる男がいたら、回りの見ず知らずの男達が一斉に飛びかかって男をぶちのめしたりもする。
 どちらが優れているかなどと、私は言わない。ただ気をつけなければならない。男性優位社会に安穏としてきた日本人男と、基本的には男性優位社会ではあるがその中で強く生き抜き闘ってきたロシア人女性とでは、必ず摩擦が起きるであろうことに。いかに自分が先進的で、女性の権利に理解を示しているつもりでも、必ず意識に齟齬がある。結婚するとよく血を見るという。


 「コムソモーリスカヤ・プラブダ」なる新聞がある。直訳すれば「共産党青年同盟の真実」とでもなろうか。これは現在もなくなっていない。何故か。共産党を強烈に批判したからである。変わり身が早い。コムソモール大学も私学に転進して、経営学を教えている。経営難でロシア中の多くの大学教員がクビになったが、これらを掻き集めたという。


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