last up date 2006.05.11

 渡露・在露経験のある知人・友人・親戚・教員から聞いた、ロシア話の集積場。
 もちろん、ロシアに渡り、ロシアに長く住んだからと言って、それでロシアないしロシア人を一刀両断できるわけはない。何年何十年住んでも、「ロシアでは」「ロシアとは」「ロシア人は」などと大主語で語れないのがロシアである。もっとも、それは中国もアメリカも日本も同じだが。さらに言えば、発言者の悪意・偏見・誤解・誇張・恣意的な歪曲は必ず含まれているであろうことと、私が発言者の伝えんとしていることを解釈しきれていないかもしれないことに留意されたし。
 最終更新日現在、私自身は未だ渡露経験はありません。


 материалの意味は辞書的には、「材料」「教材、資料」である。だが、これには「カネ」という意味もあるので注意。もしматериальный вопросと言われたら、それは100%「カネの問題」である。


 ロシアに留学していたロシア語教師曰く、помагите!(助けて)と叫んで、助けられた試しはないとのこと。プーシキン大学の寮で、誰かが「помагите!」と叫んだら、どこかで「не помагу!」(助けない)との怒鳴り声が聞こえてきて、さらに「почему!?」(何故だ)と言い返す声が聞こえたという。


 ジプシーが「手相を見てやる」と言って声を掛けてきたときに手を出したら、ポケットのモノを全部持って行かれる。なので強く出る必要がある。


 日本にある工業翻訳事務所に勤務していたロシア語話者な日本人曰く、
 ロシア語業者の翻訳で一番カネになるのは、ロシア語から英語への訳。
 一番カネにならないのはロシア語から日本語への訳。
 日本語からロシア語への訳は、逆よりはマシ程度。
 英語からロシア語への翻訳はそこそこカネになる。

 この人物の事務所は対露ビジネスの末端に位置する。
 まずはメーカーが大翻訳会社に仕事を出す。
 大翻訳会社が下請けに仕事を回す。
 下請けは孫請けに仕事を回す。
 この人物の事務所は孫請けだという。孫請けは必然的に納期が短い。訳する時間が限られる。一番多いパターンは、金曜の夜に仕事を回されて、月曜の朝にあげろというもの。上の方の会社が土日を休む為である。このように忙しく、一週間家に帰られないこともザラで、事務所に布団があった。しかしソ連時代後期に仕事が多いときは月収100万円にもなったという。だがペレストロイカ以後は仕事がなくなったという。
 この会社は社長とこの人物の2人程度の零細だったが、個人かそれに近い形態で仕事を受ける翻訳業者は、その多くが体をこわすそうな。 


 コップの水が半分入っている状態を表するのに、何というか。
 ペシミストは「уже половина」、つまり「もう半分しかない」と。
 オプチミストは「еще половина」、つまり「まだ半分ある」と。
 どこのコトバでも言いそうな話だが、ロシア語では結構この表現は使うらしい。


 ロシアの諺に、「Благими намерениями вымощена дорога в ад.」というものがある。直訳すれば、「地獄への道は良き意図によって舗装されている」となる。どういう意味なのか、解釈が難しい。善良な意図を持っていても、実行しなければならないということなのか。あるいは結果を出さなければならないと言うことなのか。何にせよ、「やるだけやったからいい」「心は善良だからよい」などという自分1人にしか通用しない世迷い言が存在する余地を排除した、すごいプラグマティズムだ。


 ロシア人はとかくповторение(繰り返し)を嫌う。例えば新聞や本でプーチン大統領について語るときも、「ロシア大統領」「ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ」「祖国の指導者」「我らが元首」などと違った言い方を次々と繰り出してくる。


 プーシキン大学の寮の上の方の階にはロシア人学生が住んでいるらしい。外国人学生との交流はほとんどない。


 大学寮内のキオスク(売店)やカフェでもビールは買える。ちょっとした食い物も。ギットレル(ヒットラー)誕生日前後になると寮から出ないで、キオスクの商品だけで過ごす学生も。


 プーシキン大学の寮のスタローバヤ(食堂)はときどきディスコになり、昔は外からやって来る人も大勢いた。しかしその中に悪党が混ざっており、寮内でのカツアゲや麻薬の密売などが横行したため、現在では寮の出入りは厳しい。寮・大学共通の入口にチェックがあり、学生証の提示を求められる。ガードマンは大学が雇っている警備会社である。そして寮にもチェックポイントがある。出るときはノーチェックなので、学生証を忘れたら大変。パスポートがあろうとなかろうと、とにかくどうにかして「寮に住んでいること」を証明する必要がある。ちなみに学食をディスコにする習慣は続いている。


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