last up date 2006.05.11

 渡露・在露経験のある知人・友人・親戚・教員から聞いた、ロシア話の集積場。
 もちろん、ロシアに渡り、ロシアに長く住んだからと言って、それでロシアないしロシア人を一刀両断できるわけはない。何年何十年住んでも、「ロシアでは」「ロシアとは」「ロシア人は」などと大主語で語れないのがロシアである。もっとも、それは中国もアメリカも日本も同じだが。さらに言えば、発言者の悪意・偏見・誤解・誇張・恣意的な歪曲は必ず含まれているであろうことと、私が発言者の伝えんとしていることを解釈しきれていないかもしれないことに留意されたし。
 最終更新日現在、私自身は未だ渡露経験はありません。


 商社員はシェレメチボ空港で荷物が重量オーバーしても平気である。なぜならばオーバー分の高額な料金は会社持ちだから。だからロシア語業者の中には、空港で商社員を見つけて、一緒に荷物を通して貰ったりする人もいるとか。
 曰く、「シェレメチボで商社員を見つけるのはまかせろ」


 ロシア人でも語尾変化を聞かせないために早口になることがある。意味さえわかれば、ロシア人は細かいことを言わない。


 ロシアでは日常生活で使う物品・設備が壊れると修理が困難。ソ連時代はもちろん、今も。今はカネさえ出せばどうにかなるが。
 例えば窓が割れたとき、すぐに直せない。日本だとダンボールでなんとかなるが、ロシアの冬にダンボールは通用しない。断熱効果が低すぎる。だからロシアでは割れた窓にボロ布や枕を突っ込んで塞ぎ、壁のようにしたという。枕を突っ込んだ窓は、しばしば見るという。
 ちなみにロシア人は、сквозняк(すきま風)を極端に嫌う。窓やドアを半端に開けておくことを嫌う。換気の為にちょいと窓をあけたりしてもすぐに閉められる。子供がカゼをひいたりすると、すぐにこのсквознякが疑われる。


 ソ連時代の学校で、トランプは目を付けられる遊びだった。だからみんな隠れてやった。目を付けられてもいい奴が、堂々とやった。労働者の息子とか。


 外国人には、「ソ連時代の小説はくだらない」と一方的に見なすに人間は少なくない。だがそこに描かれているものは重要。学校に行かないガキとか、社会問題の片鱗は描かれていた。


 ロシアに行くのならば、次の表現は必須。ударить кого(被害者) чем(凶器) по чему(やられた部位).つまりぶん殴られたときに民警に報告するのに必要なのだ。例えばНезнакомый ударил меня рукой по лицу(知らない男が私の顔を手で殴った)とか。ただしпо чему(ぽーちぇむー。「どこを」)はпочему(ぱちぇむー。whyの意)ではないので注意。「どこをやられた」と聞かれて、「なぜなら」と応えるやりとりを繰り返して、仕舞いには民警を怒らせた留学生もいたという。


 1995年のロシアは、最もひどい状態だった。何の肉だかわからない缶詰は出回り、電気ガス水道が止まってカンテラ・ローソクで鉱山労働者みたいな生活を送ったり・・・。


 ロシアは肉もセメントも大量にしか売らない。だから消費するのに困る。ちょいとアパートの部屋を手直ししようとセメントを買いに行ったら、何軒も直せそうな量だったり。


 モスクワではヨーロピアンメディカルセンター、ペテルブルクではアメリカンメディカルセンターが、最新の医療を誇る。もし緊急の際には、救急車にここに行けと言わなければならない。言わないと死ぬ。1回5万円とかべらぼうな金額をとられるが、日本レベルの治療を受けられる。
 ロシアの病院だと、タコ糸みたいな糸を手術に使われるが、欧米系病院だと溶ける糸をつかう。顔面をチンピラに殴られたとき、タコ糸みたいのを使われると安藤昇みたいに痕が残る。
 さらにはロシアの病院の注射器は針がヤケに太い。見ただけで治りそう。しかしインフルエンザの注射とかはタダ同然。


 ロシアのツーバイフォー建築は、新しいものも古いものもいい加減である。かなりの手抜き。パネルをセメントだけでくっつけただけのような建築方法で建物を高層化させていくとか、とんでもない。ロシアは基本的に地震がないので大丈夫なのかもしれないが、旧ソ連のアゼルバイジャンでは地震でこの手の建物は倒壊したという。
 昨今、マフィアが年金生活者ばかりのマンションを狙って嫌がらせと現金でもって買い占め、地上げをしている。こうして古いマンションを取り壊して新しいビルが立ち並んでいるが、そうしたビルもひどいものだったりする。日本の偽装建築どころの手抜きではない。日本の三菱系のとある会社の社長がモスクワで、「まるでパリのようになった。もうロシアでもビジネスが出来る」と発言して顰蹙と失笑を買ったが、表面の建物は杜撰で、裏に行くともっとひどい。


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