last up date 2005.03.27

ロシア人向け書籍より。「日本人のジェスチャー」その1




 前回はロシアで出版された日本紹介本の「日本の標識」を取り上げたが、今回は同じ本の「日本人のジェスチャー」を紹介する。
 コトバが十分通じない、あるいはまったくわからないときにはジェスチャーは有効なコミュニケーション手段となる。大黒屋光太夫達もアムチトカ島に流れ着いたとき、現地先住民やロシア人に身振り手振りで敵意がないことを示したはずだ。同じ英語圏の人間でさえ、アメリカ人とオーストラリア人とは使うコトバに差違があるため意思疎通がしばしば出来ず、ジェスチャーの補助を得るという。
 このように身振り手振りは重要だが、ジェスチャーもまた万国共通ではないことを知っておく必要がある。例えば、日本人が「やったー」「よっしゃあ」などという意味でする、拳を掲げて力こぶに反対の手を置く仕草は、英語圏ではfxxk youという意味を持つ。冬季オリンピックで何も知らずにこのポーズをとった日本人スキーヤーがいたが、テレビの前で凍り付いた人間が相当数いたはずだ。もっと日常レベルの話になると、日本人の感覚では「こっちに来てくれ」という手の振り方でも、他の文化の人間には「あっちへ行け」と言っているように見えることもある。カネを意味する親指と人差し指のサークルは、文化圏によっては性的な意味を持ち、別の文化圏では呪いを意味する仕草ともなる。
 こうしたミスコミュニケーションの防止の意味に於いても、他国・他文化のジェスチャーを学ぶことは大切なことだ。さて、この本が紹介する「日本人のジェスチャー」が、いったいどれぐらい異文化理解に有益か、検証して貰いたい。


 そもそもこいつら、いつの時代の何人か、という疑問はあろうけれども、各ジェスチャーの検証に入りたい。私のロシア語力の限界から、誤って解釈したものもあるかもしれない。だけれども、ロシア語表記の一応の和訳は、白い部分に記しておいた。まずは各ジェスチャーが何を指すか考えてみてから、白い部分を反転表示させて見て頂きたい。




俺が一番偉い。

 直訳すれば「地位に関して一番上である」になる。だが、この親指のジェスチャーは「俺」の部分しか指さないのではなかろうか。それともこの親指は自分を指しているのではなく、「一番」の意味でも帯びているのか。まったくわからん。



何か思いだした。

 これは「思い出した」という行為そのものを示しているのではなく、何かを忘れていた自分自身を「いっけなーい」と軽く罰して見せているのではなかろうか。どちらにせよ、このジェスチャーはマンガではよく見るけど、こんな行為をする人間を実際に見たことはない。



私に任せなさい。

 胸を叩いて「任せろ」と言うことはあるだろう。だが、手を反対側の胸に当てて話すようなマネはまず、すまい。なんか、忠誠を示すようだ。



お願いをする。

 仏壇でも拝んでいるのかと思ったよ。




カネ。

 まあこれは言うまでもないね。こんな古代の異民族みたいな服装の奴にやられても、日本のジェスチャーのような気はしないけど。




何かを示している。

 だから、何を示しているんだ!




ケンカだ。

 第三者のケンカを示しているのか、ケンカをふっ掛けているのかは不明。なにしろ日本人はこんなジェスチャーはしないのだから。




雨が降っている。

 雨が降っているかどうか確かめるときに、日本人は掌を天に向けることがある。だけれども、これはジェスチャーだろうか?室内で、外を見ながら「おい、外は雨だぞ!」と掌を天井に向けて示したりはしない。外を歩いているときに、一緒に歩いている人間に「雨降ってきたな」として、この仕草をすることもまずないのではなかろうか。あくまで、自分が降水を確認するための行為であって、他者に何かを示す行為ではないはずだ。




親しい知人。

 訳したらどうしても「親しい知り合い」ぐらいにしかならないのだが、日本人は親しくても握手など滅多にしないだろう。ましてや男女では。握手を「日本人のジェスチャー」として紹介するのはナンセンスでは。




私。

 つまり自分を指す仕草なのだが、ここまで手を高く挙げて鼻を指す必要があるだろうか。自分を示す場合は、口か顎を人差し指で指すような気がする。ちなみに、欧米に於いて自分を示すときは、親指で胸を示したり、片手あるいは両手で胸を叩くなどする。




電話をくれ。

 こんな招き猫みたいに握った手を回して、どこが「電話」なのか。私思うにこれは、壁掛け電話のゼンマイを回す仕草ではなかろうか。いつの時代の電話だ!少なくとも、こんな仕草をして「電話」と理解できる日本人は、ほとんどいないのではなかろうか。




気を付けろ!

 「気を付けやがれ、俺を甘く見るなよ!」といった脅迫を含んだ警句である。言われてみれば絵の女は、誰かを弾劾しているように見えなくもない。だけれども、このコーナーの女性はすべて細いつり目で描かれているので、怒っているのかいないのか区別が付かない。



 

怒っている。

 ロシア語は「怒っている」と書いてあるのだが、私には照れ隠しに頭を掻いて、ごまかしているように見える。



間抜け(バカ)。

 не все дома у когоで、「誰それは抜けている、足りない」の慣用句。けれども手を握ったり開いたりするのは、「間抜け」とか「ノータリン」といった意味があるのだろうか?手をもっと高く上げて、頭に向かって掌を広げたり握ったりすれば、「頭がパー」というジェスチャーになるのだが・・・。


 まったくもって何を参考にしたらこんなエキセントリックな本を書けるのか、私には不思議でたまらない。例え日本語科の学生バイトが日本の書籍を参考に書いても、もう少しまともな本になるのではなかろうか。このジェスチャーにせよ、前回紹介した標識についても、日本人が見てさえ理解に苦しむものが多々ある。これは日本人から見れば「アホなことを書いている面白い本」で失笑して終わりかもしれないが、私には著者と出版元への怒りを禁じ得ない。祖国を滑稽に描かれたからではない。ロシア人が本気でこのようなアホな本を参考に旅行をしたり、ましてや外国語・外国文化の学習を始めたら、それは不幸だ。外国語学習者として、頼るべき書籍が間違っているのはとても怖いことだ。そして学ぶ基礎に於いて間違いがあると、今後の学習・研究において致命的な影響を及ぼしかねない。これはとても恐ろしい。こんなアホな本を読んで、日本へ知識をつけたと思うロシア人が現れないことを願わずにはいられない。


 さて、次回にはこれまで扱ったものとはうってかわって、詳細な日本紹介本を取り上げます。日本のジェスチャーが本当に日本通のロシア人にはどう捉えられ、どう紹介されているか。これはとても興味深い書物であります。ただ、詳細だけあって文章が長く、訳に少々時間が掛かるため、次回のアップは先になるかと思われます。しかしながら、紹介する価値が大と私は見ています。乞うご期待!


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