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竜の剣のはじまりの物語

 天気の良い日だった。
 少女は苺を摘みに、村の近くの山に入っていた。
 あらかた摘み終えて来た道を戻っていると、来る時にはなかったものが、道を横切るように倒れていた。
 近付いて、それがひとであることに気づく。髪の色が、新緑の色をしている。
 エルフだわ。
 少女は思う。
「大丈夫ですか?」
 言って駆けつけてみると、エルフの男は脇腹に酷い傷があった。野犬かなにかにやられたのだろう。
 少女はエルフの男に応急処置をすると、自分より背の高い彼を背負って、なんとか山を降りた。
 村に着くと、畑仕事をしていた近所の人たちが集まってきた。
「どうしたんだい?」
「山道で、野犬に襲われたみたいなの。一応手当てはしたけど、家に連れて行って休ませないと」
「そうかい。エルフねぇ。こんな村になんの用だか。まあ、これを使いなよ」
 怪訝そうな顔をしながらも、村の人は少女にそう言って、真っ白な布を貸してくれた。
「ありがとう。今度お礼に何か作って持っていくわ」
 少女は言って、エルフの男を背負ったまま、家に向かって歩き出した。
 家にはまだ誰も帰ってきていなかった。義弟たちは学校へ行ってるし、義姉もまだ仕事中だろう。
 客間に床を用意して、エルフの男をそこに寝かせる。
 もう出血は収まったようだ。
 さっき村の人に貸してもらった白い布切れには、少ししか血が付いていない。
 緑色の髪。尖った耳。間違いなく、エルフだ。
 この村は山に囲まれていて、人族だけが暮らしている。一応領主は町に住んでいるエルフなのだそうだが、村長が数ヶ月に一度町に行って話をするだけで、あちらから村に来たことはなかった。
 熱が出ているようなので、冷やした手ぬぐいを額に当てていたが、暫くしてエルフの男は目を覚ました。
「良かった。気づいたのね」
 青い瞳が、少女を見つめる。
「わたしは、助かったのか」
 エルフの男は呟いた。
「ええ、そうよ。怪我が治るまで、うちに居るといいわ。義姉さんも許可してくれると思う」
 少女が笑顔で言った。
 ぼやけていた視界が、次第にはっきりしてくる。
 自分が居るのは、おそらく少女の家なのだろう。木の壁の、素朴な部屋だ。寝床に使っているのは綿の入った布団だが、薄っぺらくて床の感触が伝わってくる。あまり金持ちではないようだ。
 少女の顔立ちは人族の中では良いほうじゃないかと、エルフの男は思った。
「あなたが助けてくれたのか」
「ええ」
「そうか。あなたは、わたしにとって女神だ」
 言って、エルフの男はニッと笑った。
 女神と言われて、少女は驚いた。人族の上にエルフ族が居て、エルフ族の上には神族が居ると言われている。ただの人間の自分が、女神と言われても困る。
「そんな。とんでもないです」
 首を左右に振って少女は言った。
「ああ、そうだ。『竜殺しのリリー』という女子を知らんか? 今はこの辺りに住んでいると聞いて、はるばるクーボワから来たのだ」
 少女が、今度は怪訝な表情を見せた。それから首を左右に振る。
「いいえ。知らない」
 男から眼を逸らし、少女は言う。
 さきほどまでの愛想良い雰囲気が少女から消えていることを、男は不思議に思った。
「ただいまー」
 別の声が、部屋まで聞こえてきた。
「あ、義姉さんが帰ってきたわ」
 少女は呟いて、部屋から出て行った。
 暫くして、部屋に少女と、少女よりいくつか年上の女性が部屋に戻ってきた。
「あんた、竜殺しのリリーを探してるんだって? クーボワから来たって聞いたけど、名前は?」
 女性は言った。少女よりも体が大きく、色黒で、力強そうに見える。
「わたしはクーボワで鍛冶師をしている、クレイス=アザリアと申す。……あなたは、竜殺しのリリーを知ってるのか?」
「知ってるもなにも、そりゃわたしのことだよ」
 女性は自分を親指で指して言った。
「なんと。女神の姉君が竜殺しのリリーであったか」
 なるほど、それで先ほど、リリーを知らぬなどと嘘を吐いたわけか、とクレイスは勝手に納得した。
「女神?」
 女性が聞いた。
 横で話を聞いていた少女が事情を説明している。
「で、竜殺しのリリーに、何の用だい」
「うむ。竜を退治したいのだ」
 男は事も無げに言ったが、それは不可能なことだった。竜族はエルフ族の天敵である。竜の牙や爪はもちろん、皮膚にさえ、エルフ族を死に至らしめる毒素が含まれていると聞く。
「それで、人族に助けを求めるわけか。悪いけど、わたしは行かないよ」
「そこを何とか。金なら、残されるあなたの家族が困らない程度は払える。もしあなたが望むなら、すべて前金でお支払いしよう」
 クレイスが笑顔で言う。
 しかし、女性は笑うどころか、顔を顰めて言った。
「お金じゃ命は買えないんだよ! 見てごらん」
 袖を捲り上げて、クレイスに見せる。
「これはね、火竜にやられたんだよ。人族には竜族の毒は無効だ。でもね、やつらの吐く熱は強力さ。みんな焼けちまう」
 両腕の全体に残るのは、火傷の跡だった。
「傷が治ったら、さっさと村から出て行きな。この村じゃ、エルフは歓迎されないんだ」
 女性は言って、部屋から出て行った。
 少女も女性に付いて部屋を出る。
 クレイスは一人残されてしまった。
 実は、もう傷はほとんど治っている。山の中で仲間とはぐれて、そのときに野犬にやられた。綺麗な傷なら治るのはもっと早いが、ぐちゃぐちゃに噛まれていて、なかなか自然治癒が進まず、あまりの出血で死ぬかと思った。それでも、きちんと手当てしてくれたおかげで、治癒が進み始めたのだ。
 女神。
 クレイスは助けてくれた少女を思い浮かべる。さっき部屋から出て行ってしまったが、家のどこかで、姉と会話しているのがわずかに聞こえてくる。
 神が、伝え聞いたような存在であるならば、信仰することで救ってくれるというのであれば、国は滅びなかった。そんなものよりも、自分を救った少女の方が、見た目は随分貧相ではあるが、自分にとっての神である。
 リリーを知らぬと言ったのは、姉が連れて行かれることを察したからだろう。
 クレイスは思う。女神はまだ若いように思う。人族はエルフ族と違って、年を経るごとに見た目がどんどん変わっていく。だから、若いというのは間違いないだろう。確かに、姉が居なくなっては困るのかもしれない。
 だが、わたしも引くわけにはいかない。
 竜殺しと呼ばれる彼女の力を借りなければ、到底倒せる相手ではない。本人の了解を得ずに連れて行くのはあまり好きではないが、どうしても来てもらって、竜を倒さなければ、以前エルフ族のみで戦いを挑んだときに失った仲間に、申し訳が立たない。
 仲間……?
「しまった」
 クレイスは立ち上がった。
 仲間と一緒に山に入ったことをすっかり忘れていた。十人程度で来たが全員が来てしまったら、この村にとっては脅威になるだろう。
 彼らが来る前に村人に話をつけて、彼らと自分が会わなければならない。
 怪我をしている自分を見て、彼らは自分が人族に傷つけられたと勘違いするかもしれない。
 クレイスは部屋の扉を開けて、外へ向かって大声で言った。
「すまない。言い忘れたことがあっ……」
「若、お迎えに上がりました」
 目の前に、クレイスと同じ緑の髪のエルフの男が立っていた。クレイスは後ろで髪をくぐっているが、このエルフは腰ほどまである長い髪をそのままにしている。

Illustration: 西山 那々

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「あ、そのひと、さっき家に来て、」
 少女が視界の奥で言っている。
「フリード。来たのはお前一人か」
 クレイスが言う。
「ええ。他の者は、村の外で待機してもらってます。村の人に刺激を与えるといけませんから」
「さすがだな」
「若を探すのに手間取りましたよ。まさか先にここへ来ているとは思わず、山中を探し回ったのです。ところで、探していた人は見つかりましたか?」
「ああ。この家に住んでる人が、竜殺しだ」
「ほう」
 フリードは振り返って、家の中に居た二人の女性に目をやった。
「女性だったのですか」
「リリーと言ったら、女の名前だろう」
「ごもっともで。それで、どちらがその竜殺しなんですか?」
「見れば分かるだろう。あの背の高い方に決まっているではないか」
「なるほど。でもあの大きな女性は、あまり『リリー』という愛らしい名前には見えませんけどね」
「フリード、お前は言い方に気をつけろ。名は親がくれるものだ」
 言って、クレイスはフリードの後ろに立つ二人の前に移動した。
「すまない。フリードはわたしの家臣……ああ、いや、部下でな。多少口が悪いが、敵ではない」
「迷子になった若が、ご迷惑をお掛けしました」
 フリードが言って、二人に向かって頭を下げた。
「あの、」
 少女が口を開く。
「ん、なんだ?」
「怪我はもう良いんですか?」
「ん、ああ。この通り、もうほとんど治ったよ。女神のおかげだ」
「女神?」
 今度はフリードが尋ねて、また少女は事情を説明し始めた。
 話をしている少女とフリードを横に、クレイスは竜殺しのリリーに、さきほどの話の続きをしようとした。
「リリー殿に、是非来て欲しいのだ。さっきも言ったかもしれないが、金ならできる限りのことはする。もし残る女神が心配だというのなら、一緒にクーボワまで来てもらって、わたしの屋敷で客人としてもてなすこともできる」
「金の問題じゃないんだよ。行きたくないって言ってるだろう。大体、あんたは隣の国のエルフじゃないか。わたしがあんたの言うことを聞く義理はないってもんだよ」
 人族はエルフ族の所有物として扱われる。領主のエルフが言うことなら聞かなければならないが、他所のエルフの言う事は聞かなくても良いというのが、常識だ。
 少女と話していたフリードが、クレイスの隣に立って、女性を見下ろした。
「生意気な人族の女ですね。若に対してその口の聞き方はなんですか。若は今でこそただの鍛冶師ですが、元は――」
「将来は世界一の鍛冶師になるんだからな」
 言いかけたフリードを遮って、クレイスが言った。
「若!」
「フリード、口出しは無用だ。リリー殿、わたしはこの土地の領主から、許可を得て来たのだ。この村の住人を好きにしてよい、という許可を」
 そう言って、クレイスが石版を取り出した。
 石版には何も書かれていないように見えるが、それにはエルフ族にしか見えない文字が刻まれている。
「っと、人族には読めないのであったな。まあそういう訳で、わたしがここの住人に何をしようと、わたしの自由ということだ。丁度、わたしの仲間がこのフリード以外にも九人居てな。今は村の外で待機してもらっているのだが、わたしが呼べばすぐに来てくれる、頼れる仲間なのだ」
 女性と少女の表情が強張った。クレイスが言っているのは、つまり、言う事を聞かなければ本人ではなく他の村人にも危害を加えるということだ。
「わかったよ。役に立てるかどうかは知らないけど、どうしてもって言うなら」
 女性がしぶしぶ言った。
 クレイスの方はエルフにしてはバカそうな顔をしているから、脅しを掛けてきても、何かに言いくるめれば実行には移さないように思える。しかし隣に居るフリードは、平気で村人を殺しそうだ。
「だめっ!」
 少女が叫んだ。
「だめよ、義姉さん。義姉さんにはまだ小さな男の子が居るじゃない。わたしよりも若い弟だって居る。義姉さんは行っちゃだめ!」
「女神……」
 愛想良くいつも笑っていた少女の悲痛な叫びに、クレイスは決心が鈍りそうになる。
「義姉さんは残って。わたしが行くから!」
「え?」
 クレイスは少女を見た。
「ああ、いや。竜殺しに来ていただかないと。あなたのような普通の人族では」
「だから、わたしが行くって言ってるのよ」
 少女は続けた。
「わたしが、竜殺しのリリーなの!」
「へ?」
 間の抜けた顔で、クレイスが言う。
 女性は少女の隣で頭を抱えて呟く。
「ああ、もう。言わなきゃわかんないのに」
「さっき義姉さんが言ってた事は嘘よ。ねえさんの腕の火傷は、一昨年の山火事の時のものなの。こっちが本物よ」
 少女は言って、袖を捲り上げた。
 少女の白い肌に、色の違う部分がべったりと張り付くように残っている。色黒の義姉と違い、白い肌に対してえらく目立っていた。
「だから、連れて行くなら、わたしを連れて行かなきゃだめなの」
「嘘ではないようですね」
 フリードが言う。
「まあ、お前が言うなら。えぇっと、じゃあ、リリー殿、明日になったらまた迎えに来るから、適当に準備しておいてくれ。町に着くまでの食料と服だけで良い。そっから先は町で補充して行くから」
 クレイスとフリードは、家を出て行った。
「言わなきゃわからなかったのに」
 女性が少女――リリーに言った。
「義姉さんには、まだ小さな男の子が居るし、弟だって居るし。それに、嘘はやっぱりいけないわ。今はばれなくても、いつかはばれる。本物の竜殺しじゃないって」
 リリーの肩が小さく震える。
「ごめんよ、リリー」
 義姉は、リリーに謝った。

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